カテゴリ:遺書( 3 )
ガンになったら
asahi.comのこの記事に、ガン患者と医師との意識のずれとでもいうべき調査結果がある。
(東大病院の放射線科外来を受診中の患者450人と東大病院でがん診療にかかわる医師155人、看護師470人に加え、無作為に抽出した東京都に住む市民千人(20~79歳)を対象に、「望ましい死のあり方」について尋ねた。)
要約すると、「最後まで闘うこと」は、81%の患者が必要と答えたのに対し、医師は19%。一般市民は66%、看護師は30%。「やるだけの治療はしたと思えること」については92%の患者は必要と答えたが、医師は51%。「容姿がいままでと変わらないこと」は、必要としたのは患者70%に対し、医師は29%。「残された時間を知っておくこと」は、医療者は89%が必要と回答したのに対し、患者は69%。「先々何が起こるかをあらかじめ知っておくこと」では79%の医師が必要とし、患者では63%。

がんで死ぬというのはいまや誰にもその可能性のある死に方だから、当然わたしにも少なからず可能性があるわけだ。
がんによる死についてもっとも関心があるのは、死そのものよりも死への過程である。がんによる死は、多くの場合、あっという間にやってくるのではなく、ひたひたと迫ってくる。 患者は死の足音を聞きながら生きていく。もちろん、われわれは一人残らず死に至る病にかかった病人であるわけだが、がんに罹れば死への距離がはるかに測定しやすくなる。一年、半年、三ヶ月。その宣告がどれほど過酷であるか、まだ(おそらく)がんにかかっていないわたしには想像することもできないが、誤解を恐れずにいうなら、がんにかからずともそう遠くない未来に自分が死ぬのは確実だという事実のほうがおそろしいと感じている。
繰り返すが、関心事は死への過程だ。アンケート結果と関連付けていえば、わたしは最後まで闘おうとは思わない。闘っても勝てる相手ではないからだ。可能なら一切の治療をしたくない。すると治療するよりも死は早まるだろうが、がんが体を満たしていくのもまた自分の生の一部であり、生命の摂理であるように思う。
死ぬまでに残された時間のうち、自分が自由に使えるのはその一部に過ぎない。病気が悪化すればなにもできなくなる。だから残された時間を知っておくことは、おそろしくはあるが、大変に重要なことだ。だからできるだけ正確に残された時間を知っておきたい。その時間をどう使うかといえば、人間が死ぬまでに片付けておかなければならない雑事をこなすだろうし、ようするに何気ない日常をなるべく長く続けようとするだろう。
ただし末期症状の痛みに苛まれながら生きていくことはとてもこわい。できることなら痛みを感じずに死んでいきたい。これが唯一の願いだ。さて、実際にはわたしはどんなふうに死んでいくのか?
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by hatano_naoki | 2009-01-21 16:33 | 遺書
基調低音
最近は自分が死ぬことを、極端な言い方をすれば、いつも考えている。ただ、意識の表層で考えているというのではなく、基調低音として、あるいは意識下の思考として、つねに触れているというような感じ。だからといって気分が暗いというわけではなく、単に身近なものとして死を見ている気がするというだけで、日常に変化がおきているわけではない。
考えてみれば人間はみな死ぬわけで、わたしだけが死ぬわけではなく、何十億の人間がみな死んでいくわけだから優れて普遍的なできごとであるにすぎない。肉体の死、客観的な死はいくつも見てきたし、それがどういう具合に起き、推移していくかもわかっている。ただ、わやらないのは自分の死というできごとだ。まだ死んでみたことがないので、どうなってどうなるのかがわからない。
昔、山で死に損なってあと一歩で死ぬところだったが、そのとき自分の身に降りかかってくる寸前だった死は苛烈で残酷なはずだった。肉体がこわれていくような死が皮膚のすぐ外側にあった。しかし人間には不思議な能力が備わっているもので、確実な死の直前に自力でそこから逃れることができたのだった。
まちがいなく死ぬはずだったわたしは生きることになった。かっこいい言い方をするなら長い余生がはじまったのだ。
ずっと死ぬことをおそれて生きてきたし、今でもそうだ。しかしちょっとした変化の兆しがある。死に対する親和力がわたしの中に生まれてきたようなのだ。死ぬことはこわいが、こわいだけではないと思い始めた。永遠に生きるほうがもっとこわい気がするのだ。
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by hatano_naoki | 2008-12-24 23:32 | 遺書
「遺書」カテゴリー新設の解題
「遺書」のカテゴリーを作ったからといって、べつに性急に自ら死のうと思っているわけではない。
ただ、自分が息をして飯を食らい、笑ったり怒ったりする時間が有限であるということを確認するというか、生を愛惜するというか、死をおそれつつも少しずつ近づいてくる死そのものに対する親和力の様相をみつめるというか、そういう気分を折に触れてメモしたり、そこから見えてくる世界の様相をいくらかは書きとめておこうかと、ちらっと思っただけだ。
あせらなくとも死は誰にでも確実に間違いなく絶対にやってくる。これはなかなか不思議なことだ。なぜなのだろう?
死というものはあそび甲斐のあるヤツだ思えてきた。
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by hatano_naoki | 2008-12-21 16:41 | 遺書