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沖縄勉強ノート(21)カンボジアから沖縄を望む
ちょっと変わった視点かもしれないが、ここ何年かカンボジアに関わってきた私としてはカンボジアと沖縄を並べて考えてみたい。というか、沖縄への関心はカンボジアから派生したものだ。
私が沖縄に行ったのはカンボジアよりも古い。沖縄への関心はずっと昔からあった。カンボジアは多くのことを私に教えてくれたが、同じスタイルの「旅」を沖縄でもしてみたいと思った。それはある意味でカンボジアに一区切りをつけたいということでもあった。カンボジアへの関心を絶つということではないが、ちょっと他の世界をのぞいてみたい。他の世界でカンボジアを理解していったときの方法論を適用してみたい。
実際には方法論などという大それたものがあるわけでもない。まず見たもの行った場所を基点にすこしづつその周囲を知り、その範囲を広げてゆくだけのことだ。

沖縄を少し勉強してみたいと思った理由のひとつは、沖縄とカンボジアとの間になんらかの相似を感じたことだ。かなり荒っぽい見方だが、具体的にはこんなことを考えた。
・中国の強い影響下にあった。
・中国の経済政策(具体的には交易の手法や交易路の設定)の変化によって没落した。
・どちらも周辺諸国との関係において両属関係にあった時期がある。
・住民の大量死を経験している。
・外的な要因によって近代に移行した。
・古代的な要素の痕跡が現代に露出している
要するに歴史の歩み方においてときとして類似したものを感じる。
似ているからどうだというのかという意見もあるだろうが、私にとっては沖縄はカンボジアに次ぐ極私的"地域研究"なので、ついつい両者を比較してみたくなるのだ。
沖縄についての本を読むとき、しばしば自分のカンボジアに関する知識を参照する。するとああここは似ているなと思う場合が少なくない。カンボジアに対する理解に拠って沖縄を理解しようとしているのかもしれない。
ただし「似ている」と感じることはおそらく入口にすぎない。たとえばこのふたつの地域が中国との関係において双子のような存在だということはおそらくできない。
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by hatano_naoki | 2005-12-30 20:11 | 沖縄勉強ノート
沖縄勉強ノート(20)沖縄イメージの起源
d0059961_0423286.jpg旅先としての沖縄の魅力はなんだろうか。
沖縄が好きだという人が沖縄のどこに魅力を感じているのかを知ろうとインターネットで検索してみた。
サンプルが少ないので断言はできないが、もっともよく出てくるキーワードはまず海、次いで空のようだ。
それからおいしい料理、開放的であたたかい人、独特の文化といったところ。日本らしくないのが魅力だという意見もある。
わたしにとって沖縄の最大の魅力はなにかと問われたら、その歴史的な存在のありようと答えるだろう。もちろんその気候風土は生理的に心地よいものだ。
一方1997年に行われた復帰25年目の世論調査(沖縄タイムス、朝日新聞、ルイス・ハリス合同世論調査)によると、沖縄県民の持つ「沖縄のイメージ」は「米軍基地」が44%、「沖縄戦」18%、「観光地」15%、「歴史、文化」9%、「沖縄の歌」6%、「食物、飲み物」4%、「タレント」2%だったという。観光で訪れる者とその土地に住む者の見方にずれがあるのは当然といえば当然だが、沖縄の場合その差が際立っている。

今読み始めている「沖縄イメージの誕生」(多田治著・東洋経済新報社刊)によれば、今現在の観光地としての沖縄のイメージ形成(つまり青い海、亜熱帯の気候風土、異国的な文化)は1975年の沖縄海洋博覧会をきっかけとしている。
その背景には日本復帰後の経済的復興のための開発計画(沖縄振興開発計画)が、更にはそれをふくむ枠組みとしての新全総といった日本全土を網羅する戦後の経済開発の大きな枠組みがあって、こうした「日本経済」に復帰後の沖縄が取り込まれてゆく過程で誕生したものだ。
それ以前の沖縄への旅が戦没者慰霊を主目的に、名所旧跡の観光、安い輸入品のショッピング、そして売春などが目的だったのとは大きく異なっている。
海洋博をさかいに亜熱帯の気候風土や独特の文化を売り物にした観光立県への変貌が始まる。青い海をシンボルにさまざまなメディアを通してアピールし、その結果青い海への憧れを刷り込まれた本土の観光客が生まれたのは、いわば意図的・人工的なプロモーションの結果だったということだ。
沖縄イメージのこういう読み解きかたは、青い海沖縄的な沖縄観にフラストレーションを感じていた私を基本的に納得させるものだった。ただ、沖縄のイメージ形成に関して海洋博の果たした役割を相当に大きくとらえているように見え、また状況を図式化しようとする意図が強いようにも見える。現実のパラメーターはもっと複雑なはずだ。たとえば青い海への憧れをいかにアピールしても現に存在する海の青さが本物でなければすぐにメッキがはがれる。消費者の側に潜在していた憧れを揺り動かすことができたからこそ沖縄はブームになった。南太平洋への憧れの安価な代替としての沖縄といった位置づけもあるだろう。切り取り方がちょっとシンプルすぎるかなという印象だ。
本論とはずれるが、文中に散見される社会学用語の解説は勉強になった。

いまや沖縄への旅は、その相当部分はマスメディアによって作りあげられたイメージを消費するために費やされる。これはそのことの是非に関わらず現代の旅あるいは観光の特性だ。
観光客はメディアの書く物語を演じるために沖縄に行く。こうした傾向のはじまりは「ディスカバージャパン」にあるとこの本の著者は書いているが、これは妥当な指摘だろう。
こうしたメディアの役割に気づかないか、あるいは気づかないふりをしている旅行者は過半数を占めるだろうが、気がついた旅行者は自分の旅人としての属性を消すことができないために二重の迷宮に踏み迷うことになる。
(作られた沖縄のイメージと戦う記録としての沖縄紀行。これは面白いかもしれない。)
そして観光の沖縄とは別に基地の沖縄、日本に収奪されてきた沖縄がある。これは進行形であり、日々重い荷物だ。「基地の沖縄」に関する思考もまたステレオタイプ化して現実性を失っている気がしてならない。

いまや私たちはメディアの作り出す沖縄のイメージのとりこになっているが、それを乗り越えて独自の視点を持ち、"本当の"沖縄を知ることができるのかどうか。疑いが疑いをよんで自分の感覚すら信じられなくなってくる。
沖縄を構成する諸要素をそれぞれに正確に知るために、多面体である沖縄のそれぞれの面をよく磨くことでしか私の願いはかなえられないだろう。
要素と要素の関係や善悪の判断は少し後(あるいはずっと後)でいい。

多田治氏のウェブサイト

(写真:「沖縄イメージの誕生」表紙)
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by hatano_naoki | 2005-12-28 23:53 | 沖縄勉強ノート
プラットフォーム
d0059961_2062683.jpg駅を照らしているハロゲン投光器(たぶんハロゲンだと思う)を見ると、阪神淡路大震災直後の神戸を思い出す。
崩壊した町の夜を照らしていたのは同じ形状の投光器だったはずだ。
その下を人々がまるで暗黒の未来小説の一場面のように黙々とあるいていた。
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by hatano_naoki | 2005-12-28 20:06 | 写真日記
I AM STILL ALIVE
d0059961_1521865.jpg河原温(かわら・おん)のことを思い出していた。
といってもその作品の実物に触れたわけでも体系的に理解しているわけでもない。
ずっと以前、彼の作品"I am still alive"を以前雑誌かなにかに掲載されていた写真で見たことがある。それを思い出したのだ。
この作品群の最初の印象は特にどうということもなかったと思う。コンセプチュアルアートというような呼び方をされる作品は好きではなかったのだ。
しかし不思議なことに"I am still alive"のことを人生の途上でときどき思い出すようになった。
思い出すだけで、それ以上理解が深まることはなく、また記憶の海に沈んでいく。そういうことが何回も繰り返された。
そして私が知るに至ったのは、彼の作品が永遠に接続されているらしいということだった。
翻って私は考える、ある人格の表現は野放図に晒しておくと全人格的な自己表現、なんでもかんでもの表現を許容してしまう。そうではないのだ。表現の幅を狭めること、そぎ落としたテーマと言語でのみ自己を語ること。これは一般に職人と呼ばれている人々の表現手法でもある。

作品群"I AM STILL ALIVE"は素材としては紙であり、属性としては電報である。河原はどこかの国のどこかの町で電報を打つ。その電報の文面は"I AM STILL ALIVE"。これだけだ。彼は別の町に移動する。そこでも電報を打てる場所を探すことだろう。窓口に歩みより、電報をお願いします、と係員に話しかけることだろう。

"I AM STILL ALIVE"の他には"I got up"と"One Million Years"が印象に残っている。
"I got up"はポストカードに"I got up at ..."というスタイルで起きた時刻をタイプした作品。"One Million Years"は百万年にわたる西暦の年号を印刷した書物。

d0059961_13523714.jpgでは河原温とは何者か?
略歴を調べてみると愛知県に生まれ、59年以降メキシコや欧米に滞在。65年からニューヨークで活動をはじめる。66年以降、"I am still Alive"をはじめとする日付のある作品群を制作。91年カーネギー賞、92年アーヘン芸術賞受賞。作品集"I am still Alive""1969. I went, I Read, I Met, Journal""Whole and Parts"他。などと書いてある。現在もニューヨークに住んでいるらしく、70歳代前半くらいの年齢のはずだ。人前に姿を表すことは稀だともいわれているが、こうした一種の匿名性の確保も彼の思想と作品の一部なのだろう。
略歴を読みながらこの作家にとって生地や経歴、ましてや受賞歴などどんな意味を持つのだろうかと考える。
そして、河原温という作家は美術館やその展示会に作品を見に行かなくてもいいのではないかとも考える。

(参考)
コンセプチュアル・アート
1960年代後半から始まった現代芸術のスタイルのひとつ。何をつくるのかよりも概念の提示を主題とする。

"One Million Years"の解説(アキラ イケダ ギャラリー
河原温は1970-71年にニューヨークで"One Million Years (Past)"を12セット制作しました。各セットは10巻で構成されており、紀元前998,031から始まり、紀元後1,969で終わります。各書物は200ページであり、各ページは500のタイプされた年号でできています。この作品は、1971年にデュッセルドルフのギャラリー・コンラッド・フィッシャーで展示されました。"One Million Years (Past)"は"今までに生きた人と死んだ人"に捧げられています。 "One Million Years (Future)"は1980年にニューヨークで最初1セット、10巻が制作され、翌年にデュッセルドルフのギャラリー・コンラッド・フィッシャーで展示されました。紀元後1、981で始まり、紀元後1001,980で終わります。11セットが1981-98年に制作された。"One Million Years (Future)"は"最後の人"に捧げられています。

河原温の作品に出会える場所:
東京国立近代美術館
Dia:Beacon

(写真上:I AM STILL ALIVE 写真下:"One Million Years (Past and Future)"部分)
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by hatano_naoki | 2005-12-28 01:23 | 日日
沖縄勉強ノート(19)沖縄を舞台にした映画その2
d0059961_1563163.jpg2003年度の山形国際映画祭で「琉球電影列伝/境界のワンダーランド」というタイトルの沖縄特集が組まれていた。
1936年に作られた国威発揚映画から現在にいたるまで、沖縄に生まれ育ったひとたちによる作品や沖縄に住み着いたひとたちによる作品もふくめて多数の作品が網羅されている。
私はこの映画祭の記録をインターネット上で見つけたにすぎないが、この特集の編集姿勢からいくつかのことをまなぶことができそうだ。目次にあたる部分だけ紹介する。

Part 1 オリエンタル琉球-昭和・戦前期、沖縄への視点
沖縄 (1936) 、沖縄本島及び周辺離島の風物(河村只雄撮影未編集フィルム) (1936-40) 、琉球の民藝 (1939) 、琉球の風物 (1940) 、南の島 琉球 (1940頃) 、海の民 沖縄島物語 (1942)

Part 2 沖縄戦・日米最後の戦闘/沖縄戦記録フィルムを巡って
1) 容赦なき記録
沖縄戦記録フィルム~1フィート運動収集フィルムより(未編集版) (1945)
2) 記録とプロパガンダ
ドイツニュース映画「フィルムで見る世界」(Welt im Film) より (1945) 、アメリカ軍公式広報映画より
3) 記憶化と語り継ぎ
1フィート映像でつづるドキュメント沖縄戦 (1995)

Part 3 沖縄戦を彫る/記憶のクロニクル
1) 果てしなき問い
ひめゆりの塔 (1953) 、激動の昭和史 沖縄決戦 (1971) 、ひめゆり戦史 いま問う、国家と教育 (1979) 、空白の戦史 沖縄住民虐殺35年 (1980) 、遅すぎた聖断 ― 検証・沖縄戦への道 (1988)
2) 声と語りの衝撃 今、生きる言葉と記憶
島クトゥバで語る戦世〈全6部〉 (2003)

Part 4 アメリカニゼーションとジャパニゼーション
1) 「アメリカ世」のプロモーション
起ちあがる琉球 、この十年 第一部 (1955〈推定〉) 、琉球ニュース・セレクション
2) 「Aサイン」時代のソウルグラフィー
OKINAWAN BOYS オキナワの少年 (1983) 、Aサインデイズ (1989)
3) 〈祖国〉への憧憬/〈27度線〉の向こうがわ
沖縄・祖国への道 (1967) 、沖縄の声 (1969) 、石のうた (1965) 、沖縄の十八歳 (1966) 、復帰協闘争史 (1977)
4) 沖縄返還の舞台裏
As Okinawa Goes, So Goes Japan-秘密文書が明かす沖縄返還 (1997) 、告発-外務省機密漏洩事件から30年、今語られる真実 (2002) 、「その時」のニュース映画(読売国際ニュースより) (1968-72)
5) 〈アメリカ〉と〈日本〉の狭間
沖縄列島 (1969) 、かたき土を破りて-沖縄'71- (1971) 、シリーズ「戦後40年」若きオキナワたちの軌跡 (1985)

Part 5 「世替わり」のクロスワールド/〈27度線〉が消える時
1) 重なり合う声、絡まり合う目
やさしいにっぽん人 (1971)
2) 〈暴力〉の代理と〈抗争〉の迷宮
沖縄やくざ戦争 (1976) 、海燕ジョーの奇跡 (1984)
3) 「ヤマト世」の浸透と〈沖縄〉の創造
1975 OKINAWAヌ夏 (1975) 、謝花昇を呼ぶ時 (1976) 、ヤマングーヌティーダ (1978) 、沖繩列伝第1 島小 (1978) 、一幕一場・沖縄人類館 (1978)

Part 6 沖縄ディアスポラ/「出沖縄」の軌跡
船出 沖縄編 (1972)
おきなうえんせ ラテンアメリカに生きる沖縄県人〈ボリビア編〉 〈ペルー編〉 (1977) 、 ヒア・サ・サ ― ハイ・ヤ! (1985) 、裏切りの記憶 (1988)

Part 7 沖縄・コロニアルランドスケープ~非連続の同時代として
1) 植民地のエレジーと占領のクリシェ
無言の丘 (1992) 、八月十五夜の茶屋 (1956) 、
2) 沖縄戦の分有
そこに光を (1946) 、レベル5 (1996)

Part 8 地のウタ、天界のファンタジー
1) 音とファンタジーの響宴
月城物語 (1959) 、吉屋チルー物語 (1962) 、ウルトラセブン「ノンマルトの使者」 (1968) 、あじまぁのウタ (2002)
2) マブイ(魂)と神々の遊行
ナナムイ/第一章 神歌編 (2003)、ナナムイ/第二章 ユークイ編 (2003)

Part 9 沖縄の血・地・知・痴、そしてchi-高嶺剛の世界
サシングヮー (1973) 、オキナワン ドリーム ショー (1974) 、オキナワン チルダイ〈特別版〉 (1976~) 、パラダイスビュー (1985) 、 ウンタマギルー (1989) 、嘉手苅林昌 唄と語り (1994) 、夢幻琉球・つるヘンリー (1998) 、私的撮夢幻琉球 J・M (1996~)

Part 10 沖縄イメージの乱反射
1) 「沖縄イメージ」の鏡像
白い壁画 (1942) 、ソナチネ (1993)
2) オキナワ・ミックス・スプリット
パイナップルツアーズ (1992) 、たたかう兎 (1992) 、ヒッチ・ハイカー (1977) 、彩縄粋風~沖縄発・若手作家ショートフィルム集

この特集では高嶺剛という映像作家が大きく取り上げられている。どんな評価を得ているのか、インターネットをさまよってみた。
山形国際映画祭での紹介記事
Okinawa Culture Archiveの記事
AIIウェブサイトのインタビュー記事
「夢幻琉球・つるヘンリー」紹介記事
琉球大学ウェブサイトのインタビュー記事

(写真は「夢幻琉球・つるヘンリー」ポスター)
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by hatano_naoki | 2005-12-27 07:38 | 沖縄勉強ノート
沖縄を書く
沖縄を書きたい。
現時点ではロードムービー的紀行文のスタイルが頭に浮かぶ。
比較的短いひとつの旅(たとえば1週間の旅)の中で起きたこと、出会ったひと、訪れた町について徹底的に細部にいたるまで書き込む。一日目、二日目・・・と一日分が一章になっているような構成。旅の目的地は沖縄本島。国道58号線に沿って旅する記録とか。
「カンボジア・ノート」を書くなかで思ったのは、紀行的文章を書くときかなり私的な記憶とか感慨を織り交ぜてもいいのではないかということだった。

現在沖縄に関する本はかなりの数が出版されていて、アイヌを扱った書籍群と対比されるような歴史・現代史に属するもの、おもしろおかしい旅行記、移住もの、音楽など比較的ひろい範囲をカバーしている。特定地域を扱った本としては多いといえるだろう。
書かれるテーマは琉球処分、第二次世界大戦末期の地上戦、基地問題といった深刻なものと沖縄のひとと社会を面白おかしく綴ったものに二極分化しているような気がする。
沖縄本はずいぶん出ており、出尽くした感じもあるので、それなりに特徴のある内容が求められるだろう。
「カンボジア・ノート」は二年半もかけることになるが、沖縄の本はせいぜい半年くらいで書き上げたいものだ。

(参考)
1)ロードムービー
ロードムービーの要素は、ある地点からある地点への移動、その途上での人との出会い、旅の中で主人公が人間として成長していく"自分探し"の記録、旅先の風景、風土、そこに住む人々の生き様と精神を反映する、始まりがあり終わりがある、旅を人生にたとえる、といったところだろうか。青春ということばも入るかもしれない。
ちなみにロードムービーの原点はフェデリコ・フェリーニ「道」だと考える人が少なくないようだ。一般的には「イージーライダー」あたりか?
2)紀行
広辞苑では「旅行中のできごと・見聞・感想などを記したもの」と説明している。
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by hatano_naoki | 2005-12-26 16:47 | 沖縄勉強ノート
カンボジア・ノート(仮題)-出版へのプロセス
「カンボジア・ノート」(仮題)の出版が見えてきた。2003年の秋に書き始めて以来2年以上が経っている。
ただし原稿じたいはまだ相当に手を入れなければならない。
脱稿までにあと2ヶ月、刊行ははやくて4月といったところだろうか。
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by hatano_naoki | 2005-12-26 15:23 | カンボジア
青色LEDの聖夜(5)
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by hatano_naoki | 2005-12-24 20:34 | 写真日記
沖縄勉強ノート(18)沖縄を舞台にした映画
d0059961_15105156.jpg順不同。ごく一部。

・恋戦。OKINAWA Rendez-vous
 2000年 香港。監督:ゴードン・チャン/出演者:レスリー・チャン、フェイ・ウォン、レオン・カーフェイ、加藤雅也。
・NOEL
 監督:梨木友徳/出演者:TAKA、平良トミ、須賀貴匡、ベッキー、長曽我部蓉子、中川家。
・ROUTE 58
 監督:倉持健一/出演者:RUN&GUN、山田優、岡元夕紀子、黒田倫弘、笠原紳司。
・かんからさんしん
 1989年 日本。監督:小林治/出演者:
・男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花
 1980年 日本。監督:山田洋次/出演者:浅丘ルリ子、渥美清、倍賞千恵子。
・飛鳥へそしてまだ見ぬ子へ
 1982年 日本。監督:木下亮/出演者:名高達郎、竹下景子、神山繁、文野朋子、井上純一 。
・メイン・テーマ
 1984年 日本。監督:森田芳光/出演者:薬師丸ひろ子、 野村宏伸、財津和夫、渡辺真知子 、太田裕美。
・遥かなる甲子園
 1990年 日本。監督:大澤豊/出演者:三浦友和、田中美佐子、柄本明、戸浦六宏、神山繁。
・きけ、わだつみの声
 1995年 日本。監督: 出目昌伸/出演者:織田裕二、風間トオル、仲村トオル、緒形直人、鶴田真由。
・マリリンに逢いたい
 1988年 日本。監督:すずきじゅんいち/出演者:安田成美、加藤雅也、三浦友和、笑福亭鶴瓶、石野真子。
・イツカ波ノ彼方ニ
 2005年 日本。監督:丹野雅仁/出演者:平田裕太、加藤ローザ。
・ナビィの恋
 1999年 日本。監督:中江裕司/出演者: 西田尚美、村上淳、平良とみ、平良進、登川誠仁、アシュレイ・マックアイザック。
・ホテル・ハイビスカス
 2002年 日本。監督:中江裕司/蔵下穂波、余貴美子、ネスミス、亀島奈津樹、和田聡宏、大城美佐子、照屋政雄、平良とみ、登川誠仁。
・ソナチネ
 1993年 日本。監督:北野武/出演者:ビートたけし、国舞亜矢、渡辺哲、勝村政信、寺島進、大杉漣、津田寛治。
・ニライカナイからの手紙
 2004年 日本。監督:熊澤尚人/出演者:蒼井優、平良進、南果歩、金井勇太、かわい瞳。
・豚の報い
 1999年 日本。監督:崔洋一/出演者:小澤征悦、早坂好恵、あめくみちこ、上田真弓、岸部一徳、平良進。
・ウンタマギルー
 1989年 日本。監督:高峰剛/出演者:小林薫、戸川純、青山知可子、ジョン・セイルズ。
・ベスト・キッド2
 1986年 アメリカ。監督:ジョン・G.アビルドセン/出演者:ラルフ・マッチオ、パット・モリタ、タムリン トミタ。
・きみのためにできること
 1999年 日本。監督:篠原哲雄/出演者:柏原崇、真田麻垂美、川井郁子、田口浩正、永島暎子、大杉漣、岩城滉一。
・ひめゆりの塔
 1995年 日本。監督:神山征二郎/出演者:沢口靖子、後藤久美子、中江有里、高嶋政宏、神山繁。
・釣りバカ日誌11
 1999年 日本。監督:本木克英/出演者:西田敏行、三國連太郎、浅田美代子、村田雄浩、桜井幸子、余貴美子、谷啓。
・激動の昭和史・沖縄決戦
 1971年 日本。監督:岡本喜八/出演者:小林桂樹、丹波哲郎、仲代達矢、川津祐介、橋本功。
・孔雀
 1998年 日本/香港。監督:クリストファー・ドイル/出演者:浅野忠信、ケヴィン・シャーロック、シュー・メイチン、クリスタ・ヒューズ。
・生きない
 1998年 日本。監督:清水浩/出演者:ダンカン、大河内奈々子、尾美としのり、左右田一平、村野武範、岸博之、石田太郎、小倉一郎。
・ああひめゆりの塔
 1968年 日本。監督:舛田利雄/出演者:吉永小百合、浜田光夫、和泉雅子、乙羽信子、二谷英明。
・3-4×10月
 1990年 日本。監督:北野武/出演者:ビートたけし、柳ユーレイ、石田ゆり子、井口薫仁、渡嘉敷勝男、豊川悦司。
・ぼくらの七日間戦争
 1991年 日本。監督:山崎博子/出演者:具志堅ティナ、渋谷琴乃、明賀則和、高良陽一、佐野史郎、鶴田忍、内藤剛志。
・BEAT
 1998 日本。監督:宮本亜門/出演者:真木蔵人、内田有紀、永澤俊矢、川原亜矢子、平田直人。
・沖縄やくざ戦争
 1976年 日本。監督:中島貞夫/出演者:松方弘樹、渡瀬恒彦、千葉真一、地井武男、成田三樹夫。

(写真:ホテル・ハイビスカス)
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by hatano_naoki | 2005-12-24 19:25 | 沖縄勉強ノート
沖縄勉強ノート(17)オリオンビール
d0059961_13135542.jpg日本という国ではキリンとかアサヒとかのナショナルブランドのビールばかりが幅を利かせているのに、なぜ沖縄でだけオリオンビールという別ブランドのビールがあり、しかも大きなシェアを占めているのか、ずっと不思議だった。
オリオンビールのウェブサイトで調べてみると、会社設立は昭和32年5月。当時の社名は「沖縄ビール株式会社」。同年8月に現名護市で工場建設を開始、翌昭和33年11月に工場竣工、昭和34年2月製造開始、5月 製品発売開始。 オリオンビールの名は公募による。6月、社名を「オリオンビール株式会社」に変更。昭和47年(日本復帰の年)に本社を浦添市城間へ移転。会社規模は資本金3億6千万円、2004年3月期の売り上げ222億5千万円(うちオリオンブランド189億円)、従業員数175名。
日本全体でのシェアは0.9パーセントだが沖縄ではシェア約55パーセントを誇る。現在はアサヒビールが筆頭株主となり、業務提携してアサヒビール・ブランドの生産販売を行っている。オリオンブランドの販売量は漸減傾向にあるようだ。
まったくの地場の企業であるオリオンビールは発泡酒戦争で苦境にたったようで、これがアサヒとの業務提携の遠因になったのかもしれない。

軍政下での沖縄人のがんばりがオリオンビールを生み出した。当初は別として次第に県の中でのナショナルブランドに育っていった背景には日本と切り離された特殊な状況があったに違いない。これに加えて沖縄人のナショナリズムがどれくらい影響したのか。これは宿題だ。
私自身はオリオンビールをときどき飲むが、あのさっぱりした味が忘れられないというより沖縄を懐かしむという理由からだ。ただし沖縄で飲むオリオンはうまい。
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by hatano_naoki | 2005-12-24 13:14 | 沖縄勉強ノート