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沖縄勉強ノート(44)北谷アメリカンビレッジ
d0059961_2381237.jpg北谷(ちゃたん)町にある北谷アメリカンビレッジは正式名称を「美浜タウンリゾート・アメリカンビレッジ」というらしい。北谷町はこのエリアを「西海岸部に建設された都市型リゾート施設で、開発のコンセプトは「安・近・楽」です。」と解説している。
1945年4月1日、この付近から読谷(よみたん)にかけて続く海岸に対して米軍は上陸作戦を開始した。その後米軍が占有していたハンビー飛行場が1981年に返還されると、米軍から還ってきた土地にアメリカの町を模倣した大規模な都市型リゾートが作られた。
「直径50m級大観覧車、3D映像を主体としたアミューズメント施設、8つのスクリーンを持つ映画館、ショッピングセンター、DIYセンター、ボーリング場、アメリカンレストラン、レコーディングスタジオ、アミューズメントセンター、輸入雑貨店その他たくさんの魅力的なスポット」(北谷町ホームページによる)を配置し、さらに沖縄で最も高層の建物となるザ・ビーチタワー沖縄(24階)などの施設ができ、コールセンターなど観光以外の施設も集積されつつある。人工海浜(サンセットビーチ)に加えて隣接する北谷公園には野球場などもある。
ここは観光客よりもむしろ地元の若者に人気のある遊び場のようだが、最近はちょっと元気がなくなっているという話も聞く。
アメリカンビレッジへの施設集積はそうとうなものだが、道路がひろく敷地自体も広大なのでがらんとした感じがする。その空気が"アメリカ的"なのだろう。
アメリカは沖縄の地上戦で一種の虐殺を行ったし、その後は人々が住んでいた土地を取り上げて居座り、多くの暴行事件や人権侵害を惹き起こした。
これだけアメリカという存在に翻弄されてきて、米軍を追い出すことが県民の悲願である沖縄が、アメリカの文化に関してはたいした抵抗もせずに、むしろ喜々として受け入れているように見える。これは不思議に思ってはいけないことだろうか。

北谷町にある米軍施設(北谷町役場ホームページ)

(写真:アメリカンビレッジ全景[拡大可能]北谷町ホームページより)
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by hatano_naoki | 2006-02-27 23:09 | 沖縄勉強ノート
PCM-D1が欲しい
d0059961_1985358.jpgPCM-D1はSONYが昨年発売した価格20万円の"ソニーのDNAを受け継いだ"ICレコーダー。大変に性能がいいと思われる。
この製品については読み物としても面白い開発者インタビューがある。
ソニーのアナログな意地、PCM-D1開発秘話(日経ビジネスEXPRESS X)
インタビューアーのソニーに対する懐古的な愛情、ソニーの現状に対する同情と義憤、それに半ばとまどう開発者たちという奇妙なインタビューだが、あとになればソニーの状況を伝える歴史的資料になることだろう。
このインタビューで一番印象に残ったのは、「大きな音で録りたいというよりは、このサーッというのが鳴らないものを作りたい。だからどちらかというと静けさに対してチャレンジしている。」という部分だった。
PCM-D1は高性能のICレコーダーである。DATが滅んだ今、それに代わるプロないしハイアマチュア向けの生録の機械として生み出されたセクシーというほかない工業デザインの極致。
私はオーディオマニアでも生録マニアでもないが、音が好きである。写真もいいが音の持つ想像力の豊かさがすばらしいと思っている。
音に関する私のワークは「ラジオ・アンコール」というインターネット・ラジオもどきに集約されるが、これらの録音に使われたのは手の中に入る小さなICレコーダーだった。
高性能の録音機というのは、人間にとって混じりけのない夢のひとつだ。そして私にとっても夢の領域にある。この高価な録音機で世界のあらゆる音を録れたら。

PCM-D1の製品ページ(SONYウェブサイト)
レビュー(blog "klingen lassen")

(写真・SONY PCM-D1)
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by hatano_naoki | 2006-02-27 19:08 | ネットとデジモノ
沖縄勉強ノート(43)「沖縄“笑いの巨人”伝~照屋林助の歩んだ戦後~」(NHK教育)
d0059961_18315611.jpg「沖縄“笑いの巨人”伝」~照屋林助の歩んだ戦後~(NHK教育)を見た。
てるりんの実演を見たことがない私は、この人物の魅力というものをおそらく概念的にしか理解できない。芸能というものは実物をみなければ意味がない。
ただ「てるりん自伝」を読んでいたから、彼のたどった道筋はおおまかに理解できた。
以前、照屋林賢監督「あじまぁのウタ」を見た私はこの映画に挿入される林助の語りを聴いて、枯れた好々爺のイメージを持ったのだが、だんだんと分かってきたこの人物の実体は大違いだった。
で、思ったことの断片。
・沖縄という世界は豊かだが空間的にも社会的にも狭い。糸口さえ見つかれば芋づる式に入り込んでいける気がする。
・ワタブーショーが興行的に行き詰って、林助が逃げる先は石垣島である。これはつまり、本島に住む人間にとって先島が遠くにある別の世界であるということではないだろうか。
・林助はまさに"ごちゃまぜのひと"だった。雑多な興味、関心、おもいつき、行動。
・彼の資質であったにせよ、笑いをキーワードとしたことは慧眼である。つらい時代に救いを提供したことが民衆に与えた恩恵は計り知れない。
・彼が幼少期を大阪で過ごしたことは沖縄に戻った林助に不適合の意識を植え付け、それは深いところで生涯続いていたのではないか。
・林助は小那覇舞天の申し子であり、舞天こそが"笑いの思想家"であって林助はその具現者というポジションであったのではないか。
・彼の軽さの裏には大変な読書量とか伝統芸能に対する理解があった。ただ、私の憶測によれば、たとえば1万冊に及ぶ読書のかなりの部分は実利を生むことなく単なる読書として消費されていったのではないか?つまり彼は読書そのものが無類に好きだったのではないか?同じように沖縄の伝統芸能そのものを純粋に愛したのではないか?
・林助という人物は最後まで親分・権力・権威の部類にはならなかったようである。
・ドキュメンタリーとしては長尺で無難な構成だが、ナビゲーターともいうべき宮本亜門がいなければさらによかった。

[照屋林助(てるや・りんすけ)]
1929年大阪生まれ。父は古典芸能の大家、照屋林山。1936年、嘉手納に帰る。1958年、前川守康と旗揚げした歌謡漫談、ワタブーショーが大ヒット。2005年没。

(写真:平成ワタブーショーCDジャケット)
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by hatano_naoki | 2006-02-26 16:25 | 沖縄勉強ノート
沖縄勉強ノート(42)黒木メイサ
d0059961_9202650.jpgさっきgoogleで「黒木メイサ」で検索したら82,300件ヒットした。
現状ではたいした数ではない。長澤まさみは628,000、沢尻エリカ533,000、蛯原友里574,000。
沖縄出身の歌手/女優としては仲間由紀恵1,150,000、国仲涼子220,000、安室奈美恵555,000。
モーニング娘。は2,970,000件に達する。
黒木メイサは沖縄出身で売り出し中のモデル/女優としては最も若い世代に属するだろう。1988年5月28日生まれだからまだ17才。 A型、ふたご座、身長165cm、スリーサイズB78cm、W56cm、H82cm、好きな食べ物はタコライス、好きなスポーツはバスケットボール、特技はダンス。だという。
2004年2月につかこうへい演出「熱海殺人事件・平壌から来た女刑事」で主役でデビュー。同年4月からは雑誌「JJ」のモデルになった。その後は映画、舞台、テレビ、CMに出るようになった。
黒木メイサをはじめて知ったのはおそらくJTA(日本トランスオーシャン航空)が2005年1月に開始したキャンペーンポスターだった。
彼女は沖縄が芸能界に向けて送り出してきた美女の系譜上に正統的に存在するように思う。「沖縄が芸能界に向けて送り出してきた美女の系譜」とは、沖縄の伝統的な美女という意味ではない。具体的にはハーフの美女あるいはそういう雰囲気を持ったということであり、異国的な空気を漂わせている。彼女たちはおそらく生まれ育った土地においてはその美しさのために"異形"の存在だったのではないだろうか。彼女たちの生まれた背景には米軍の存在と彼らが持ち込んだ文化がある。
黒木メイサの個人史を調べてみると、沖縄県名護市出身で本名は島袋さつき。日米のハーフで父は米軍の軍人らしい(未確認)。沖縄アクターズスクール在籍時にはB.B.WAVESに所属していたという。

[B.B. WAVES]
1996年結成。スクール生のトップ集団。結成時にはデビュー前のSPEED、知念里奈、D&D、DA PUMP、Folderなどが在籍。
[沖縄アクターズスクール]
1983年、マキノ正幸によって設立。安室奈美恵、SPEED、DA PUMPらを輩出。

名護市ホームページ「名護の顔」(黒木メイサさん)
事例調査:沖縄アクターズスクール(組織行動リサーチギャラリー)
牧野アンナインタビュー

(写真:コーセー「エスプリーク」CMキャラクター)
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by hatano_naoki | 2006-02-26 09:18 | 沖縄勉強ノート
沖縄勉強ノート(41)沖縄のサンゴ礁
d0059961_2024366.jpg外から見る沖縄のイメージの中核をなすのは青い海である。青い海とサンゴ礁。白い砂浜とリゾートホテル。こうしたイメージは自然発生的なものではなく、復帰後、観光客誘致のキャンペーンの中で作られていった(沖縄勉強ノート(20)「沖縄イメージの起源」参照)。
サンゴ礁は青い海のイメージを補強する重要な役割を担っていたといっていいだろう。

サンゴ礁には裾礁(きょしょう)、堡礁(ほしょう)、環礁(かんしょう)の3つの種類がある。琉球列島のサンゴ礁は裾礁で、島から沖に向かって発達したもの。
サンゴとは花虫綱八放サンゴ亜綱サンゴ科に属する腔腸動物の総称。サンゴ礁を形成するものとしないものがある。

沖縄のサンゴ礁が形成されはじめたのは温暖な自然条件の整った今から8500年前から7500年前。完成したのは二千数百年前,大和の弥生時代の頃である。
琉球列島のサンゴ礁は裾礁とよばれるが、奄美諸島ではまだ十分には発達せず,沖縄諸島でようやく本格的になる。そのため弥生人たちはもっぱら沖縄に貝殻を求めた。」
(熊本大学文学部教授・木下尚子氏の講演記録「貝交易の語る琉球史」より要約<第146回沖縄問題研究会>)

沖縄に特徴的な白い砂浜は、サンゴ礁を形成しているサンゴ礁生物の遺骸起源のものです。白い石灰質の骨や殻が細かくなることで、白い砂浜が生まれるのです。(沖縄県ホームページ「沖縄の自然環境」

つまり沖縄的な風景とされるサンゴ礁の見える風景も白い砂浜も、歴史的に見ればたかだか2000年前に出来上がったものなのだ。しかもサンゴ礁の形成は沖縄が日本本土との交易に踏み出すきっかけとなった。
なお、琉球列島、特に宮古・石垣に広く分布している琉球石灰岩もサンゴ礁由来だがその生成時期ははるかに古い。約40万年前の第四紀更新世(第四紀更新世そのものは150万年前~1万年前にわたる)のサンゴ礁堆積物であり、県内総面積の約30%を占めている。

今日的な問題としてはサンゴ礁の破壊がある。インターネット上を検索すると、現在、サンゴ礁ということばと最も密接に結びついているのは環境破壊ということばであることがわかる。
南西諸島には日本のサンゴ礁の約九割が分布しているが、その中で本島周辺はほぼ壊滅的状態。1995年に実施した環境庁の調査では南西諸島海域にある約96,000ヘクタールのサンゴ礁のうち約1,500ヘクタールが失われている。世界自然保護基金(WWF)は南西諸島を二番目に危険度の高い「絶滅危機」にランクした。(沖縄とサンゴ

サンゴ礁の破壊要因としては、大規模土木工事、森林伐採、土地改良事業などによる表土(赤土)の流入、それらが原因とも考えられるオニヒトデの大発生などがある。
オニヒトデの大発生の原因ははっきりしていないが、海水温の上昇や天敵の減少など、自然のバランスの変化が考えられる。
またサンゴの白化現象も大きな問題となっている。サンゴの白化現象とは、造礁サンゴが白くなり、やがて死滅する現象。サンゴがストレス(高水温・低水温・強い光・紫外線・低い塩分など)を受けて共生藻(宿主との間で互いに栄養を与え合う関係をつくって いる藻のこと)を失うことによって起こる。これは沖縄海域だけの問題ではなく、地球規模で起きている海水温の上昇に起因している。

[オニヒトデ]
インド洋と西太平洋に分布する大型のヒトデ。日本では紀伊半島以南に分布。サンゴのポリプを食べるヒトデで、直径は最大60cm、通常は30~40cmになる。体表に大きな鋭い有毒の棘を多数持つ。(国立環境研究所ホームページより)

WWFサンゴ礁保護研究センター
新石垣空港建設問題

(写真:沖縄本島南部のサンゴ礁(裾礁。薄い色の部分)。NASDA撮影。中央に那覇空港が見える)
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by hatano_naoki | 2006-02-24 18:24 | 沖縄勉強ノート
何人死んだのか?
d0059961_9491061.jpgポル・ポト時代についての疑問のひとつに、この時代に一体どれくらいの国民が犠牲になったのか、というのがある。
最近では約170万人という数字がよく使われているようだ。
犠牲者の数については複数の研究者や機関がさまざまな推測を発表している。
今読んでいるのはBruce Sharpという研究者の文章だが、なかなか面白い。
まずこれまでの主な研究を紹介し、それらがどのように死者数を推定したかを述べ、方法論的欠点とか、他の研究者からの批判などを紹介する。
現時点ではポル・ポト時代の死者の推定数は最小で約70万人、最大で約330万人。推定にあたっては人口調査、難民へのインタビュー調査、人口統計資料、DC-Camによるmass grave調査などが用いられている。
しかし、こうした基礎数字自体があいまいである。たとえばポル・ポト時代以前のカンボジアでは全国規模の人口調査(国勢調査)は一度しか行われていないという。しかも1962年とかなり古い。ポル・ポト時代がはじまるまでに13年もの時間が経過している。その間の人口増加率をどう推定するかで結果はだいぶ違ってくる。
結局のところ何人が死んだかについて、その数を特定することは極めて困難だといえる。
しかし、死者の数に迫る行為自体がポル・ポト時代を乗り越えることにつながるはずだ。草の根を分けてでも真実に迫るのだ。これは国家事業として歴史的意味を持つが、現時点ではカンボジア政府はこうした行為を考えてもいないようだ。それに近い作業を継続しているのは民間組織のDC-Camだけである。
ポル・ポト政権崩壊後にクメール人民共和国(PRK)が行った調査の結果は犠牲者数の推定としては最大で、当時は政治的プロパガンダだと批判された。これは理屈としては理解しやすい見方だ。
しかし方法論的欠陥があるとしても、PRKはその官僚主義的体質からそれなりに正確な人口把握を行っていたのではないか。「PRKの調査数字は政治的プロパガンダだ」という批判自体が強い政治性を帯びていたといえよう。
一方、当時の米CIAの調査は政治的理由で犠牲者数をなるべく少なくカウントしようとしたために、結果として他と比較して最小の犠牲者数を推定している。
クメール・ルージュは国民の徹底的管理のためにそうとう正確な人口把握を行っていた可能性があるが、そのデータはおそらく消滅しているだろう。
死者の数を数えるという憂鬱な作業とその先にある数字と推計の羅列から、"収容所国家"における処刑のありさまがさまざまに想像される。ただの数字なのに。

ポル・ポトの時代(「アンコール遺跡群フォトギャラリー」)

(写真:チュンエクのmass grave)
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by hatano_naoki | 2006-02-22 19:08 | カンボジア
starbucks coffee
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by hatano_naoki | 2006-02-21 22:48 | 写真日記
カンボジア研究会「カンボジア上院議員選挙と最近の政治情勢」
d0059961_21223980.jpg寒い午後、比較的強い雨が降る中、上智大学にカンボジア研究会を聴きに行った。
午後6時半から1時間半。
上智大学大学院の山田裕史さんによる「カンボジア上院議員選挙と最近の政治情勢」というテーマの講演。カンボジアの政治状況ははわかりにくいが、この講演を通じて今年の1月22日に行われた上院議員選挙の意味、しくみ、結果についてある程度理解できた。
上院については、上院設置の目的・いきさつに疑義があること、上院と国民議会の構成要素が同じであり、二院制そのものに疑問があること。
d0059961_21251163.jpg上院選挙はカンボジアが資金面もふくめて自力で実施し、選挙事務には不正はなかったと見られること、選挙結果はカンボジア人民党(CPP)が予想通り勝利して議席の8割近くを得たこと。
私の関心事は政権を維持し続けている人民党の実体とはなにかということと、カンボジアがゆっくりとでも民主主義に向かっているのかどうかということだ。
人民党の権力掌握手法については以前、山田さんの話をきいたことがあるが、人民党政権の長期化(恒久化)を思わせる内容だった。人民党はたぶん"環境対応型組織"で、組織維持・権力維持のためなら環境しだいでなんにでも変身する。おそらく観察対象としてかなり面白いに違いない。
d0059961_212869.jpg余談だが、山田さんは選挙監視活動で訪れたコンポンチャムのノロドム・シハヌーク高校(投票所)で、ヘン・サムリン(原音に近い表記だとヘーン・ソムルン)に会ったという。
以前フン・セン(原音に近い表記だとフン・サエン)とヘン・サムリンが並んで歩いている写真を見たことがあり、背が高くないことは分かったが、山田さんとヘン・サムリンが並んでいる写真を見ると、ずいぶん小柄なひとのようだ。
元クメール・ルージュの軍幹部(師団長)という強面イメージとの乖離。カンボジア現代史の登場人物の実像の面白さを感じる。

(写真上:フン・センとノロドム・ラナリット 中:サム・レンシー 下:ヘン・サムリン)
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by hatano_naoki | 2006-02-20 22:11 | カンボジア
grafiti
d0059961_10424237.jpg川沿いの人通りの少ない道に面したブロック塀に或る日グラフィティが現れた。
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by hatano_naoki | 2006-02-20 10:43 | 写真日記
立花隆、ライブドア事件を語る
ビデオニュース・ドットコムというインターネット放送局がある。
このサイトにある番組のひとつに、日本外国人特派員協会での立花隆のスピーチ(2006年2月3日付)がある。その中でライブドア事件に言及した彼は、エイチエス証券副社長の那覇での謎の死についてそれが他殺であること、殺害はプロの仕事であること、この事件に闇の世界が深く関わっていることを指摘していた。
注目すべき指摘だと思う。立花にそれ相当の情報があり、確証があるということだろう。
彼はまたホリエモンは闇社会とかかわりがあったとも述べている。

エイチエス証券副社長の自殺を聞いたとき、多くのひとが直感的に他殺だと思ったことだろう。それは根拠のない憶測だったわけだが、私をふくむ大衆の憶測を一蹴するのはときとして危険だ。
不思議なことが多かった。
まず奇妙に感じたのは、収入もあり一定の社会的地位もある人物がわざわざカプセルホテルに泊まったことだった。那覇には高級ホテルから安宿まであるが、カプセルホテルはひとつしかない。選ぶ理由があったはずだ。しかも以前にも来たことがあるという。
救急隊が駆けつけたときの状況も腑に落ちない。深い傷を負っていたというが、多くの人は自殺ならばそこまで自分を傷つけることができるのかと疑った。
大衆としての私はこの事件が結局うやむやになると予感している。なにかいかがわしいことが起きていて、その解明が行われているが、なんとなく動きが鈍い。解明に気が進まないような空気があるようにも感じる。これも憶測だ。
エイチエス証券副社長の死が巨大な悪の波頭にすぎないことが分かりかけて、そのあと波は大海に戻ってゆく。そういう気がする。
ホリエモンは"大成功"を収めたにせよ、単なるお調子者だと思っていたが、実は想像を超えるほどどす黒く醜悪だったようだ。ライブドア事件がだんだん怖くなってくる。

[ビデオニュース・ドットコム]
ビデオビデオジャーナリスト神保哲生が1999年11月に立ち上げたニュース専門のインターネット放送局。広告に依存しない報道を目指すとしている。
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by hatano_naoki | 2006-02-18 08:23 | 日日