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朴正熈(パク・チョンヒ)の時代
d0059961_21323450.jpg朴正熈(パク・チョンヒ)とその時代について少し調べようと思っている。
なぜなら、私自身がはじめて体験した海外は朴正熈の支配していた1970年代の韓国であり、またその後の韓国への旅の中で、ここには書かないが、ある特異ともいえる体験をしているからだ。ずいぶん以前、その体験を文章にまとめたが長いあいだ行方不明になっていて、最近になって偶然に発見したのだった。データはすでになく、残っていたプリントアウトをスキャナーで読み、OCRソフトでデータ化した。それは実体験をベースにしたノンフィクションであって、発表することを目的にしてはいなかったが、すでに30年近くが経ち、公開しても問題がないように思われてきた。
そこで時代背景について自分としてしっかり理解したうえで、100枚とちょっとのこの小品を少しまともなノンフィクションに仕上げる努力をしてみたいと思ったわけである。
私の中には朴正熈という人物の恐怖がいまだに生きている。自分の個人的な記憶と現代史とを結びつけて、私があのときどんな状況にいたのかを確かめ、自分の生きていた時代というものを見晴かしてみたいのだ。
このように最近のマイブームは自分の記憶を歴史と重ねあわせることで、ある程度年をとったからできる遊びであり、寿命と引き換えに譲ってもらえる資本みたいなものでもある。これを元手に少し書いてみようかと思っている。
韓国での朴正熈の評価はいまだ定まっていないようで、最近出た「朴正煕(パク・チョンヒ)、最後の一日 韓国の歴史を変えた銃声 」(趙甲済、裴淵弘著) ではかなり好意的に描かれている印象を受けた。一方で最近提出された「親日反民族行為真相究明特別法改正案」は朴正煕も調査対象となるため、野党ハンナラ党の代表で元大統領の娘である朴槿恵(パク・クネ)の追い落としを狙っているという指摘もある。
私の記憶は、歴史とのかかわりの中で検証してみるとなかなか面白い。たとえば私がはじめて韓国に行った1972年には茅葺の農家を見かけたが、次に行った1978年にはほとんど見ることができなくなっていた。こうした変貌の原動力となったセマウル運動は1970年にはじまり、70年代を通じて推進されてゆく。私が目撃したのは正にセマウルの過程であったのだ。
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by hatano_naoki | 2006-05-30 21:04 | 日日
本の企画:「那覇からの十二の手紙」
昔からオーソドックスな手紙の文体というものに憧れている。私自身実際にそういう手紙を書いた記憶はほとんどなく、手紙そのものすら死にかけているこの時代に、手紙の文体だけが生き残って文学作品になるというのは奇妙なことかもしれないが、私の個人的な嗜好として、手紙の文体に人間の感情を載せる器としての魅力を感じるのだ。
ある町から発信される一群の手紙。旅の途上から送られてくる手紙。知の往復書簡。手紙は私にとって座談と同じくらい好きな表現手法である。
次に何を書くかを考えていて、内容ではなくスタイルとして、手紙の文体というものが浮かんできた。それはたとえば「那覇からの十二の手紙」というようなタイトルで、12の手紙によって構成される一種の紀行本を書くというイメージだ。おそらくはるか昔に読んだリルケの書簡集とか、そういった作家の手紙のことが記憶の底にあるのだろう。
ところで那覇ほど徹底的に破壊された都市もめずらしいだろう。もちろん最大の破壊は10・10空襲だが、戦後の復興期に町並みに関する文化的復興を行わず、道路の位置すら変えてしまった。戦前の那覇の再生は永遠に不可能になってしまったのである。かつての那覇は古地図と写真と幻想の中にしかない。こういう町を歩くとき、旅人は幻視者にならざるをえないが、これはかなりいい加減であって、かつ自己陶酔的で気持ち悪い。ともあれ、歴史を念頭に置かなかったとしても那覇そのものがいわくいいがたい魅力をたたえた町であるのはたしかだ。那覇をどこまでも歩く男の物語が書きたい。
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by hatano_naoki | 2006-05-28 06:13 | 日日
沖縄勉強ノート(75)"Interlude"を聴きながら
与世山澄子の最新アルバム、"Interlude"を聴いている。
以前店頭を回ったが見つけることができなかった。こういう"ロングテール"商品を手に入れるには結局Amazonが最良の手段であることを再認識した。
ジャズにはくわしくないが好きだ。ビリー・ホリデイは全曲持っている。ジャズの生演奏を聴かせるバーとか、路上のジャズとか。特に古いジャズはいい。
与世山澄子を聴くのははじめてだが、まるで昔のアメリカのジャズ歌手を聴いているようだ。声が太くて押し出しがよく、子どもの頃から耳で聴いて覚えたアメリカ英語を正確に再現していて、いい意味で進化も変容もしていない稀有の歌い手。"ベース"の時代を固定して息づかせ、そこにタイムスリップしたような気分にさせる。そう、時代が小浜島生まれの少女をジャズに出会わせ、愛させ、歌わせ、忘れないように導いた。
那覇に行ったら「インタリュード」に行き、彼女の肉声を聴けるだろうか。いや、聴くのがこわい気もする。CDは十分に生々しくて幻惑的だ。店に行くことでなにかを侵し、なにかを破壊するのではないか。こうして深く悩みながら聴くアルバムは艶っぽくて去りがたいのだった。

追記。
ここにいい写真がある。

2007年1月21日の追記。
「ナビィの恋」、「ホテル・ハイビスカス」の中江裕司作品、『恋しくて』(2007年のゴールデンウィークに公開予定)には与世山が出演し、「インタリュード」という名の店も登場するそうだ。
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by hatano_naoki | 2006-05-27 17:46 | 沖縄勉強ノート
本の企画:「オンラインエッセイ集1989-2006」
次の本をどうしようかと考えていて、昔から考えていたプランを思い出した。それはパソコン通信時代以降にネットで書いた文章をまとめて本にすることだ。
パソコン通信サービス「ニフティサーブ」の電子会議室に書いた100本以上のエッセイ、ニフティの会員誌「オンライントゥデイジャパン」に3年間連載したコラム、それにインターネット上の日記やブログなど。全部あわせると400字詰原稿用紙2000枚以上になる。1000ページ近い本になりそうだ。
これを商業的に出版するのはほとんど無理だろう。自費出版しかないかもしれないがなんとかしたい。これは今のところ夢の領域のはなしだ。
私が最初にパソコン通信でエッセイを書いたのは1989年の1月で、当時仲間と作ったフォーラムの"にぎやかし"に書き始めたのだった。一種のネット熱に浮かされていた時代でもある。今読むとあまりにも下手なので冷や汗がにじむが、それでも時代の証言であるのだから今更いじるわけにもいかない。
こういう過去の文章と時代解説のような文をセットにして商業出版にもっていけないものかとも思っている。実現がむずかしいのは分かるが、自分とネットの関係を総括しておきたいという気分が強い。
ネットは私を救ったといえるし、淵に引きずり込みもした。極楽と地獄を見せてくれた、そうであるならば、その顛末を自分なりに見直しておきたいのだ。
それにしてもあまりにもぼうだいな量をネット上で書き散らした。今私の手元に残っているのはその中のごく一部分にすぎない。昔のログを読み直してみると、やはり時代を感じるし、その時代感覚が歴史の領域に入りつつあることを実感する。
しかしネット社会の入り口であったパソコン通信の時代はほとんど記録に残っていないようだ。
私は自分がネットの時代のはじまりを語る語り部にふさわしいとはまったく思っていないが、それでもいくらか書いておいたものはある。なんとかしたい。
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by hatano_naoki | 2006-05-26 18:47 | 日日
「定家明月記私抄」「定家明月記私抄続編」を読む
d0059961_1622989.jpg世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ。

私はずっと昔、おそらく安西均の詩を経由し、堀田善衛の「定家明月記私抄」によって、この語句に出会ったのだろう。だから私のこの語句に対するイメージは安西の詩と堀田の「定家明月記私抄」冒頭の文をないまぜにした借り物であるといわざるをえない。
それにしても19歳の定家のなんという矜持。
奇異に聞こえるかもしれないが、堀田が戦争中の自分の心理と重ね合わせて定家に近づいていったのに似て、あるとき私も定家の気分が分かる気がしたのだ。それは定家という人物がいわば"等身大の詩人"であって、それを堀田が喝破したからだ。定家に自分自身を見るひとは少なくないに違いない。結局のところ、堀田の手助けによって、私は定家そのひとに惹きつけられているのかもしれない。
行き倒れた民衆の屍の臭いが屋敷のうちにまで漂ってくるすさまじい時代に典雅な歌を詠む定家という人物は私自身である、と。
明月記に記された定家の行動に関する堀田の描写を読みながら、私は自分が書く行為に思いのほか依存していることに気づく。書くことは私を支え、また私を引きずり落とす。少しでもいいものを書きたいという願望は消えていないが、息絶え絶えになってもいる。落胆と恍惚の両極端を味わいながらも、書く行為から去ることができない。いや、去る気がない。
明月記そのものを読むのは私には至難だ。堀田に教えられながらいくつかの語句をようやくおぼろげながら理解するにすぎない。それにしても漢文脈の美しさというものを私は味わうことなくおとなになってしまったことを少し後悔する。私の文章が硬いのは漢文脈への憧れが潜んでいるからかもしれない。

写真:定家「明月記」原文。「世上乱逆追討雖満耳不注之 紅旗征戎非吾事」の部分を示す。
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by hatano_naoki | 2006-05-25 19:16 | 日日
「環境と文明の世界史」を読む(2)
○○さん、
「環境と文明の世界史」を読み終えました。
読み終えたとはいっても、大変に中身が濃いので文章を目で追ったといったほうがいいのかも知れません。
読み終わっての感想ですが、まず、提示される具体的な数字や事実にあっと驚くことが少なくありませんでした。
それはたとえばネアンデルタール人が我々の祖先ではなく途中で枝分かれした存在だということや、35000年前にベーリング海峡を越えた人類が100人だったとしても(人口増加率を1.4%と低く見積もっても)800年後には1億人になるとか、火の起源は落雷による発火だとか、釈迦はネグリートかもれないがモンゴロイドかもしれないとか、文明の起こる環境は雨量500ミリ前後の地域だとか、古代ギリシャでは森林破壊で農地が荒廃し、アリストテレスの頃には穀物は輸入していたとか、要するに私の知らなかった事実がいくらでも出てくるわけです。
これにはちょっとうろたえてしまいます。
こういった断片的な事実は、大きな歴史の流れや変化がなぜ起きたかという議論に収斂していきます。ここでは歴史に対する視点、とらえかた、理解のしかたのユニークさに驚かされますが、結局のところ、これらも旧来の史観に対する攻撃ないしは批判であるのでしょう。
議論は結局のところ、私たちが地球環境に対して大変な破壊を行ってきたことを明らかにします。その先にあるのは破滅ではないか?それを防ぐ(あるいは乗り越える)ことについては、はっきりとは表明されないものの、悲観的な空気が漂っているように思えます。
これは私が以前から感じていたことであり、もちろん私だけでなく多くのひとびとが気づいて考え続けてきたことですが、私たちはどのような価値観、世界観を抱いて生きていけばいいのでしょうか?
成長や発展ということばが無力になり、といって次の生き方を創出することもできない。現実には大量消費が止まない。たぶん私たちはつつましく生きるべきであり、また他人に対する想像力を育て、憎悪を減らし、愛を増やさなければならないのでしょうが、現実の世界では憎悪がむしろ増殖しているようにも見えます。
ひとつの価値観が終焉を迎える局面では私たちは不安になります。今がその時期なのでしょう。それと、これは単純な思考ですが、"西欧的価値観"にはもはや期待ができない気がする。なにが西欧的価値観なのかとか、ではアジア的あるいはイスラム的価値観が存在するのか、存在するとしてそれらで代替できるのかといった議論になるのでしょうが、ごく感覚的な話としてそう思います。

それともうひとつ。
本論とは直接関係ありませんが、尺度の話です。この本では私たちの日常の感覚とはかけ離れた時間の尺度が持ちだされます。新書266ページで100万年を旅するのですから。地理的にも全地球的な尺度が出てきます。そこからDNAレベルにまでズームしていく。こういう尺度の自在な変更は、思考のダイナムズムにすくなからぬ影響を与えるでしょう。常日頃、私たちの尺度は硬直的ですが、ときどきは柔軟体操が要るのだと気づかされます。

しかし本書がカバーしている知見と思想は、まだ全貌が把握できません。もう一、二回読み直してみる価値がありそうです・・・。
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by hatano_naoki | 2006-05-25 18:23 | 日日
都会の川
d0059961_2259151.jpg
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by hatano_naoki | 2006-05-24 23:00 | 写真日記
次。
3年もつきあってきた執筆作業が一段落して、ちょっとした不安感が生まれる。
実際にはまだ手直しがあり、かなりの量の注釈を追加しなければならず、写真や地図や、もろもろの材料を用意しなければならないのだが、終わったという気分が強い。
頭の隅で次を考えている。
これからは3年かけるわけにはいかない。せいぜい1年で書き上げるのが目標になるだろう。材料を全部揃えた上で一挙に(3ヶ月くらいで)書くというやり方も試みてみたい。
で、テーマである。
沖縄を何らかのかたちで扱ってみたいと思っているが、どんなスタイルがいいのかまだ思いつかない。写真+文の組み合わせの本というのもひとつは作ってみてもいいだろうが、これを沖縄をテーマにしてやる手があるかもしれない。それはたとえば100枚の写真と100の短いエッセイで構成する本だ。
一方で紀行というスタイルをもう少し突っ込んでやってみたいという気もある。「那覇紀行」あるいは「那覇幻視紀行」というタイトルが浮かんでくる。
ヴェネツィアとかプノンペンとか香港とかニューヨークとか、海外のどこかひとつの都市を歩く紀行も書いてみたい。これはシリーズがいい。
結局のところカンボジアはニッチである。テーマとしてのカンボジアを手放す気はないが、それと並行してより多くのひとに受け入れられる本を書きたいということがある。より普遍的なテーマ、普遍的な内容。
それは何かということだ。
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by hatano_naoki | 2006-05-23 19:59 | 日日
紅旗征戎非吾事
定家にインスパイアされた安西均の詩「新古今集断想 藤原定家」が好きだった。

「それが俺と何の関りがあらう? 紅の戦旗が」
貴族の青年は橘を噛み蒼白たる歌帖(カイユ)を展げた
烏帽子の形をした剥製の魂が耳もとで囁いた
燈油は最後の滴りまで煮えてゐた
直衣の肩は小さな崖のごとく霜を滑らせた
王朝の夜天の隅で秤は徐にかしいでゐた

「否(ノン)! 俺の目には花も紅葉も見えぬ」
彼は夜風がめくり去らうとする灰色の美学を掌でおさへてゐた
流水行雲花鳥風月がネガティヴな軋みをたてた
石胎の闇が机のうへで凍りついた
寒暁は熱い灰のにほひが流れてゐた
革命はきさらぎにも水無月にも起らうとしてゐた。

・・・堀田善衛「定家明月記私抄」を再読しよう。
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by hatano_naoki | 2006-05-22 23:41 | 日日
日本クメール学研究会
上智大学に日本クメール学研究会の講演を聴きにいった。
講師は名古屋経済大助教授の四本健二さん。テーマは「カンボジア大虐殺は裁けるか-クメール・ルージュ裁判をめぐる最近の動向-」だった。
四本さんの「カンボジア憲法論」は読んだことがあり、とても面白いと思った記憶がある。
今日の話では、クメール・ルージュ裁判が来年にも始まる見通しであり、推測ではあるが、おそらく十名程度が訴追され、三年後には結審するというようなおおまかな見通しが示された。
講演終了後、四本さんに著書「カンボジア憲法論」に掲載されている民主カンプチア憲法の日本語訳を「カンボジア・ノート」に引用することについて許可をいただいた。民主カンプチア憲法は一見に値する「奇書」であるからだ。
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by hatano_naoki | 2006-05-22 22:29 | カンボジア