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沖縄勉強ノート(76)大田昌秀著「沖縄戦下の米日心理戦」
d0059961_17314149.jpg昨日は沖縄慰霊の日で、TBSの「NEWS23」では沖縄特集をやっていた。北中城の旧中村家住宅からの中継はちょっとなつかしかった。この特集では沖縄戦のとき、米軍が展開した心理戦、具体的にはビラまき作戦と、それが与えた影響についてやっていて、番組中では米軍が沖縄県民の心理分析をしたうえで心理戦を進めたこと、その核心は沖縄は日本とは違うという考え方だったこと、米軍は1950年代まで日本と沖縄の心理的分断を図り、それは成功していたが冷戦の進展とそれによる沖縄の基地の恒久化の流れの中で破綻し、沖縄は日本復帰を指向するようになったことなどを述べていたと記憶している。沖縄における米軍の心理戦というテーマを面白く感じたのでちょっと調べてみると「沖縄戦下の米日心理戦」という本に行き着いた。著者は元沖縄県知事で現参議院議員の大田昌秀。そこでこの本を探し出して斜め読みしてみると、「NEWS23」の特集の大半はこの本の受け売りであるらしかった。テレビも意外と安易なことをやっている。
著者の大田は1925年生まれ。沖縄戦では鉄血勤皇隊(中学生によって学校単位で組織されて軍の指揮下で活動し、多くの戦死者を出した)に属して実戦に参加した。そこで情報戦の現場に接して興味を持ち、戦後長い時間をかけて当時の情報戦の実態を調べ上げた。
大田の記述から類推すると、米軍が沖縄で心理戦を展開したのは沖縄上陸作戦にいたる過程で硫黄島などで多くの戦死者を出したためで、その目的は米軍の戦死者を最小限にとどめるためだったらしい。「NEWS23」でも触れていたが、米軍は上陸作戦開始以前から沖縄について研究しており、彼らの分析はおおよそつぎのようなものだった。
1)沖縄人を日本のマイノリティ・グループとして位置付ける。
2)沖縄人と内地人には心理的亀裂が潜在している。
3)沖縄人に本土の日本人から長年にわたって虐げられてきたという歴史を認識させ、沖縄人としてのアイデンティティを自覚させて日本軍から離反させうる。
4)沖縄人は日本本土の文化に比べて自らの文化をおくれていると考え、劣等感をもっている。
もちろんこうした分析は軍人が行ったのではなく文化人類学者が関与した。米軍はこの分析をもとに「沖縄人と軍部の亀裂を深める」ことから心理作戦をスタートさせたという。
800万枚ともいわれる大量のビラが撒かれたが、作戦初期には本土出身兵士と地元住民の離反をねらい、住民にはこの戦争で沖縄県民が本土の犠牲になっていることをアピールした。次の段階(4月10日~6月10日頃)では投降した捕虜がビラ作成を手伝うようになり、またイラストの効果が確認されたという。最後の段階では投降の呼びかけが行われた。この段階では音声(人間の肉声)による呼びかけが大きな効果をあげたという。作戦は最後の段階ではビラの内容もふくめて情緒・感情に訴えるようになっていった。
ビラ作戦がどの程度の効果をあげたかは評価しにくいものの、沖縄戦での投降は他地域に比べて格段に多かったとされる。
ところで、もしかするとこの本のもっともすばらしい部分は文末の「むすびに代えて」かもしれない。大田は「ヒロシマの真実を再訪する」(ロバート・J・リフトン、グレグ・ミッチェル著)の中の「(原爆投下と)自分たちが品格のある人間であるという感覚を調和させるのは、いつの時代にも容易なことではなかった」ということばを紹介している。そう、原爆の投下はアメリカ人を本質的に深く傷つけ、その傷はいやされていないし、おそらく今後もいやされることはない。これは日本にとってアジアとの間でくすぶるこのあいだの戦争のけじめの問題に似ているかもしれない。いずれにせよ、あいまいにしてきたことがボディブローにように効いてきている。
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by hatano_naoki | 2006-06-24 22:51 | 沖縄勉強ノート
こなから
d0059961_5122952.jpg御茶ノ水の順天堂大学裏にあるおでん屋さん、「こなから」に行った。友だちの友だちであるおでん研究家、新井由己さんのウェブサイト、おでん博物館で「これこそ究極の味」と紹介されていて、それならばと行ってみたわけだ。店内はカウンター形式で、掘りコタツのように足が入れられるのがうれしい。店内の雰囲気はなかなか落ち着ける。一番の客だったが30分もしないうちに満席になり、うわさどおりぎゅうぎゅうに詰め込まれた。おでんはいろいろなねたを試してみたがいずれも上品、こぶり、薄味でうまい。ただ、すこし評判が先行しているという気がしないでもない。お勘定はいわれるほどには高くなかった。
そのあと神保町まで歩いていった。途中、明大通りを下っていくとき、ふとサン・ミシェル大通りに似ているなと思った。"神田カルチェラタン"はまんざらウソではなかったわけだ。神保町交差点あたりで喫茶店を物色して、結局、"KLEIN BLUE"にした。客がちょっとうるさいが、長いカウンターがすてきだ。
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by hatano_naoki | 2006-06-22 06:45 | 日日
第13回カンボジア勉強会
きのうは第13回のカンボジア勉強会だった。いつもどおりの上野桜木の木造家屋での集まりはそろそろ蒸し暑さを感じる季節になっていたが、室内を風が通ってゆく感じが、おもむきがあってよかった。集まったのは20人弱。あるひとがアンコール・ワット第一回廊で採ったという拓本の実物を持参してくれた。これはめずらしいもので、そのための許可をとる苦労話もおもしろかった。自分自身が拓本にまで手を伸ばそうとは思わないが、拓本そのものには実物に触れるような迫力があって楽しめた。
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by hatano_naoki | 2006-06-18 07:02 | カンボジア
International Klein Blue
d0059961_69452.jpg突然だがイヴ・クライン(Yves Klein)である。この作家の作り出した色であるInternational Klein Blue(IKB)については以前からなんとなく見聞きしてはいたが特に深い興味を持つこともなかった。それがなぜだか急に関心が頭をもたげてきた。特に作家の代表作のひとつである「青いヴィーナス」(Blue Venus)が気になる。日本では富山県立近代美術館大原美術館で見られる。ベネッセアートサイト直島のベネッセハウスにも展示があるというので、行くとすればここかもしれない。
いずれにしてもこの青の深さを肉眼でしっかりと確かめたことはないのでそれを是非したいのだが、富山も倉敷も直島も遠い。で、IKBの染料を買ってみようかとも思っている。値段は1,680円だそうだ。それにしてもこの青は、世界をこれ一色で染めてみたいと思わせるいい色だ。

d0059961_11273495.jpg「青いヴィーナス」についての解説(徳島県立近代美術館)
Yves Kleinについての情報いろいろ(BLUE HEAVEN)
イヴ・クラインの略歴・国内で見られる主な絵画・所蔵品(ピースフル・アート・ランドびそう)
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by hatano_naoki | 2006-06-16 06:21 | 日日
カンボジア情報センター?
カンボジアに関する書籍やその他の情報を集めた「カンボジア情報センター」のようなものを作ったらどうかと、ちらっと考えた。ようするに情報拠点が要ると思うし、自分で作ってみたいとも思う。まずはインターネット上でバーチャルな情報センターを作り、それをリアルな空間に拡張していくのが早道かもしれない。
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by hatano_naoki | 2006-06-15 06:20 | カンボジア
「ハワイイ紀行完全版」(池澤夏樹著)
d0059961_13344555.jpg「ハワイイ紀行完全版」(池澤夏樹著、新潮文庫)は、その内容に心酔しているというわけではないけれども、私にとっては紀行というスタイルについて、また書籍の編集デザインというものについて教えてくれる教科書のようなものだ。
肩に力が入っていなくて楽に読ませるが、本質的なことをさらりと指摘していたりする。衒学的だがいばっていない。文体とか内容がヘンに立っていないのがプロだと思わせる。文体を流れるゆったりとした時間の流れはハワイの雰囲気を漂わせる。こんな本が書いてみたいと思わせるが、おそらくどこかに真剣勝負の世界(たとえば小説)があって、その傍らにこういったある種の余技としての紀行がある。そんな気がする。
私の場合、死ぬまでにあと何冊書けるかわからないが、何十冊ということはたぶんないだろう。ヘタをしたらせいぜい数冊、いや、もしかしたら今回の作品が最初で最後になるかもしれない。こういう状況下で、今回の本が出せることについては出版社の社主であり編集者であるYさんに感謝しなければならない。
これまでに書き上げた「カンボジア・ノート」(仮題)の文章を「ハワイイ紀行」と重ね合わせる。「ハワイイ紀行」はハワイという誰でもイメージできる旅先を選び、土地を丁寧に歩いて観光客には見られない見聞を披瀝し、歴史を語り、重くはないが深みのある紀行に仕上げている。私は日本人のほとんど知らないカンボジアを選び、日本人にはほとんどイメージできないアンコール遺跡に踏み込み、また皆が忘れてしまったポル・ポト時代に降りて行こうとする。結局のところ、アジア好きやカンボジアマニアにしか読まれないとしたら、それはまったく残念なことなのだが。つまり、今回のケースでいうなら、カンボジアというあまり知られていない土地を扱いながらも、どのようにしてある程度の普遍性を獲得すればいいのかということだ。
もうひとつの学ぶべき点、というか模倣したい点は、書物としてのデザインである。昔から注釈のある本を作ってみたいと思っていたが、それが「ハワイイ紀行」を見てよみがえった。つまり、一般的な注釈よりも「それ自体が小さな読み物であるような注釈の群れ」とでもいうようなイメージで注釈を入れてみたいのだ。そしてまた写真の扱いもある。最初に紀行的な本を書こうと思ったときは文章だけで勝負するぞと思っていたのだが、「ハワイイ紀行」には多くの写真が入っている。これでいいじゃないかと思った。文章の表現力不足を写真で補うような関係でなければいいのだ。それでむしろ小さな写真をたくさんちりばめたような本にできないかと考えている。もちろん地図とか図面とかも載せたいものだ。
それに本としてのボリュームがある。「ハワイイ紀行」は558ページもある厚い本だ。これは各ページの下に注釈欄を確保したせいでもあるのだが、私の「カンボジア・ノート」(仮題)2冊のボリュームは同じように換算するとおそらく500ページ以上になり、ボリュームとしては遜色がない。これはちょっとうれしいことだ。本というのはボリュームも大事で、ある程度のふくらみがなければ読者は満足感が得られない。ところが私は書き急ぐ傾向があり、読者を置き去りにしてイメージが勝手にジャンプし、そしてどこかに行ってしまったりする。その結果文章は短くなる。じっくり書き、読者がついてこれるようにしなければならない。遅すぎる文章は嫌いだが、適当な速度を見つけなければならない。
こんな具合で実は私は「ハワイイ紀行」を読んでいないのかもしれない。
本文が固まったあとも、「カンボジア・ノート」(仮題)にはおよそ100本の注釈を書き、100枚近い写真を選定し、地図や図面を準備するといった、いつ終わるのか分からない作業が待っている。
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by hatano_naoki | 2006-06-12 18:47 | 日日
カンボジア・ノート(仮題)その後
本は二冊になることにほぼ決まりのようだが、編集者からのアドバイスを受けてここしばらく直しをいれている。part2にあたる「キリング・フィールド」編は多少直す程度だが、part1にあたる「アンコール遺跡」編は大幅に組み替え、削り、追加している。こちらは最初から苦労していたが、その理由は自分でも分かっている。ときどきに書いた断片をつなぎ合わせたものが元になっているので一貫した流れがうまくいっていないのだ。それで全体の流れをよくすることを目的に時系列的に組み替え、かなり削り、かなり書き加えた。きりがないといえばそれまでだが、ここまでやってきたのだからうんざり感はない。後悔しないようにしたいと思うだけである。
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by hatano_naoki | 2006-06-11 17:13 | カンボジア
アジサイの季節
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by hatano_naoki | 2006-06-08 21:38 | 写真日記
「カンボジアわが愛」と「カンボジアの戦慄」
「カンボジアわが愛」(内藤泰子著)と「カンボジアの戦慄」(細川美智子・井川一久著)を読んだ。どちらもカンボジア人と結婚してプノンペンに住んでいた日本人女性で、クメール・ルージュのプノンペン制圧時に他の人々と同様に地方に追放され、ポル・ポト時代が終わるまで過酷な生活を経験した。どちらも自分の目で見た事実のみを書き綴っている点で記録としての価値が高いと思われる。それは彼女たちの置かれた環境からいって当然のことで、サハコーの外の世界の情報は一切絶たれた状態だった。実に巧妙な大衆の管理である。憂鬱な読書だ。悲惨な描写の連続。「カンボジアの戦慄」は初版7千部だったが発行後数カ月で著者の了解なしに絶版となり、残部数は廃棄処分になったという。なにかの力が働いたと考えるのが自然だろう。
当時の日本の状況を考えるとき、いわゆる親中国派の存在を忘れるわけにはいかない。彼らはマスメディアの内部に少なからぬ数が存在していて、クメール・ルージュに対する報道姿勢を方向付ける一定の役割を果たしたのではないか?
最近、中国の存在の大きさを改めて感じる、中国は日本の歴史を貫いて日本と関わってきたし、最近の私個人はその存在感に空を覆い尽くす黒雲のような憂鬱な気分を感じる。中国はますます巨大化して日本を飲み込むほどの強国になるだろう。安定した強国であれば大変な脅威となり、不安定であればそのひずみが日本にも及ぶだろう。その先は空想の領域だが、カンボジアに中国の周辺国家の運命のひとつの類型を見てしまうのだ。
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by hatano_naoki | 2006-06-07 05:48 | カンボジア