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サーバー移転
「アンコール遺跡群フォトギャラリー」(http://www.angkor-ruins.com)を置いているサーバーを移転した。
このコンテンツはもともと2000年1月にアサヒネット上のホームページとしてスタートし(このときはアサヒネットのドメイン)、その後自宅に置いたサーバー、Cobalt Cube で運用(このときはOCNのドメインだった)したのち、gTLDを取得してsonetのレンタルサーバーで運用、そして今回のニフティのレンタルサーバーと変遷してきた。
sonetでは1GB借りて運用(実際に使用したのは750MB程度)してきたが、ニフティの場合、スペースが2GBあるのがありがたい。
今回はレジストラの変更という面倒な手続きをしなければならず、だいぶ時間がかかった。
考えてみると、サイトをもう7年もやっていることになる。年が明ければ8年目に入る。カンボジアとのつきあいはこの11月から8年目に入る。サイトもなんらかの意味で脱皮する時期だろう。
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by hatano_naoki | 2006-10-30 18:47 | ネットとデジモノ
馬渕直城著「わたしが見たポルポト」
d0059961_16465419.jpg9月に出たばかりだという馬渕直城著「わたしが見たポル・ポト―キリングフィールズを駆けぬけた青春」(集英社)は、現時点でクメールルージュに対するシンパシーを表明したという点でユニークな書物である。
私個人はこの本の内容についてうなずくわけにはいかない部分をいくつも発見したけれども、「クメールルージュの行ったことについて、西側のバイアスのかかった報道がなされている」という主張は検証されるべきだろう。ただし、このひとにクメールルージュの行為に対する憎悪が見えないのは不思議だし、なぜそのことに言及しないのかという疑問が残る。下手をすると「ユダヤ人虐殺はなかった」というようなスタンスと混同されてしまうかもしれないという危うさを感じる。
おそらくこのひとにはことばで説明しがたい重い核のようなものがあり、それをうまく書けていないのだ。体験の重さを書物の軽さが損なっている。
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by hatano_naoki | 2006-10-29 16:41 | カンボジア
沖縄勉強ノート(84)足ティビチ、チマグー塩焼きとスーチカ
東京でも沖縄料理の店はあるし、中にはうまい店もあるのだろうが、どうもコストパフォーマンスに不満が残る。要するに味に比べて割高な感じがするのだ。それほど食べ歩きをしたわけではないから結論を出すわけにはいかないが、沖縄に行かない限り安くてうまい沖縄料理には出会えないような気がする。考えてみると、沖縄でもうまい沖縄料理を食べた記憶がない。食の優先順位が低かったのだ。それが、ここのところずっと、うまい足てぃびちを食べたいと思っていて、いろいろ試している。
ところで、てぃびち=豚足というのが一般化しているようで、豚足の素材さえ、てぃびちという名前で売られている。実際には、てぃびちとは「お祝いの時作る料理の名。肉・豆腐・大根・昆布などを醤油味で煮こんだもの。材料の切り方によって、ウーニー uunii (大きく切ったもの)、クーニー kuunii (小さく切ったもの)、シカムドゥチ sikamuduci (さらに小さく、さいの目に切ったもの)の三種がある。」という。(沖縄言語センター。「うてぃびち」の項の解説)
つまり豚足を煮たものをてぃびちというのは不正確だということだ。豚足をほかの素材とともに煮た料理はてぃびち(うてぃびち)だが、豚足そのものをてぃびちとは呼ばない。豚足を使わない煮込み料理もてぃびち(うてぃびち)と呼ぶ。
豚足の煮込み料理は「あしてぃびち」というが、アシとは「食用にする場合などの、豚などの肢」を意味する。「足」の意味では普通 フィサといい、アシは慣用句以外には用いられないそうだ。
食材としての豚のひづめの部分はチマグーといい、それを塩と胡椒で焼いたの「ちまぐーの塩焼き」だが、都内の店でメニューにあるところは少ないようである。インターネットの通販で「ちまぐーの塩焼き」を発見したので、これも前から食べて見たいと思っていたスーチカ(豚の三枚肉の塩漬け)と一緒に注文した。スーチカとは塩漬けを意味し、肉の塩漬けをいうそうだ。
二日後に届いた「ちまぐーの塩焼き」もスーチカも冷凍パックで、私には好都合だ。さっそく食べてみる。ちまぐーの塩焼きは期待にたがわぬおいしさ。スーチカもいい。どちらも私には大変な美味と感じられる。ということは、沖縄に行けばさらにおいしい「ちまぐーの塩焼き」とスーチカが食べられるということだ。沖縄の歴史と文化を探求したいと意気込んでいた私はどうやら沖縄の豚にはまってしまったようだ。
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by hatano_naoki | 2006-10-26 17:41 | 沖縄勉強ノート
本よ、売れろ
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索引、あとがき、クメール語のあとがき(これはカンボジア人のSさんに翻訳してもらった)、それに最終の修正をいくつか。これだけを編集部に持ち込んで、私の側の作業がようやく一段落した。
書名は、

「アンコール文明への旅~カンボジアノートⅠ~」
「キリング・フィールドへの旅~カンボジアノートⅡ~」

となった。いずれも分かりやすさを優先した命名であることは事実だ。
表紙もできてきた。シンプルだが品がいいと思う。白っぽい印象の「アンコール文明への旅」と黒っぽい「キリング・フィールドへの旅」とは、印象からもこの二冊が対になった書物であることを表しているのだろう。
2,200円という価格(税別)は、ほろ苦い。販売量の見込める本はたくさん刷るから1,300円から1,800円といった値段がつけられる。これならば買いやすい。一方、2,200円という値段はそれだけで買い手が減ってしまう要因といえる。2,000円以上を出すにはよほどの動機がなければならないだろう。つらいところだ。
書店に並ぶのは12月1日(予定)。あとはなんとか売れるように献本したり書評を書いてくれることを祈ったり。実際のところ、この2冊の本の世界というのは私の内部では何年か前に終わってしまっていて、その亡骸を拾って書いたという気がしないでもない。ちょっと無残でちょっと悲しい気分だ。
リアルタイムの息遣いを残した文章、いじりすぎない文章を今は求めている。
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by hatano_naoki | 2006-10-25 16:17 | カンボジア
「夏の闇」と「輝ける闇」
開高健の小説「夏の闇」を読み終え、今は「輝ける闇」を読んでいる。毎日数ページ。亀のような歩みだが。
「夏の闇」の舞台はパリとおぼしきヨーロッパの大都市と、ドイツかと思われる国の湖のほとりであり、「輝ける闇」のほうはベトナム戦争中のサイゴンが舞台になっている。「夏の闇」の舞台はヨーロッパだが、主人公はベトナムに戻ろうとしている男であり、、「輝ける闇」は今まさにサイゴンにいる男の物語である。
この二作がなんらかの意味で対をなすように意図されたのかどうか、私には分からないが、続けて読むとき、たとえばネガとポジのように存在している気がしたのは事実だ。
考えてみたらこの作家の小説をきちんと読んだことがあるのかどうか。私の感性はずいぶん鈍り、作家の体臭にむせかえることもなしに、こういった文体をそれほど抵抗もせずに受け入れるだけでなく、彼がどの程度の体験と知見をもとに書き進めたのかを窺おうとさえしている。
これらが日本語によって書かれたベトナム(ないしはベトナム戦争)を舞台とする小説の最高峰だとすれば、カンボジアを舞台とする日本語の小説にはどんなものがあるのだろうか。調べたこともないが、おそらくたいしたものはないのではないか。そこから、現代のカンボジアを舞台とする小説を書いてみたらどうかという思いつきも出てくるのだが。
私にはたぶん小説の才能はなく、それどころか書く才能自体が存在するのかさえ疑問ではあるのだが、それでも以前よりは牛歩のごとくだが進歩している。小説の破綻は惨めだが、別に失うものもないのだから、いずれやってみるかもしれない。
この作家を読んでいると文体というものを常に感じるし考える。神は文体に宿るのであって、思惟とか構想とかに宿るのではない。シンプルにいうなら文体があるかどうかがすべてだ。しかし、では文体が技術かといえばそうでもなく、それは皮膚からにじみだす汗のようなもの、その作家の肉体と不可分のものだ。つまり今、自分の文体を生み出すことこそが課題になっている。
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by hatano_naoki | 2006-10-17 18:15 | 日日
索引づくり、それから「次」
本はそろそろ最終コーナー。索引づくりに入った。索引が必要な本かどうかということもあるが、索引があって困ることはないだろう。
索引を作っていると、どんなトピック、どんなことばを使って書いたかが分かるし、一方でどんなトピックを扱わなかったか、どんなことばを使わなかったかがはっきりする。それは何が書き足りなかったかを如実に示すことにもなる。
索引作りは検索機能を使えば難しくはない。作業としてはクーリングダウンのようなものだ。

次はもっと文体を意識した、水準の高い本を書きたいという願望が急速に強くなっている。
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by hatano_naoki | 2006-10-15 17:57 | カンボジア
校正のつづき、それから「次」
「アンコール文明への旅」の校正が終わりかけている。
こちらは「きりングフィールドへの旅」よりも校正(というよりも本文の修正)に手間がかかっている。なぜなら時間をかけて書いてくる間に知識が古くなってしまっているからだ。端的にいえば書き始めたときの私の知識は「セデスのカンボジア」であり、それが現代にまで追いついてきた結果、書き直さなければならないところが少なくなかったということだ。
しかしそれもほぼ終わりつつある。あすかあさってには終わるだろう。
注釈もだいぶ追加したがまだ足りない。隙間なく注釈をつけたいところだが、そこまでの時間はない。
今進めている作業は事実上の二校で、もういちど全体のチェックをすれば終了ということになる。

手直しをしながら、「次」が頭にある。
何を書くかより、どんな文体の、どんな雰囲気、どんな読後感の文章にするかを考えている。400枚くらいを1年で書くというイメージだ。テーマは、いろいろ考えても、沖縄が候補のひとつだ。十二の旅への誘いの本、「行くべき場所」(仮題)もいいかもしれない。もうすこし考えてみたい。
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by hatano_naoki | 2006-10-09 23:40 | カンボジア
「ディア・ピョンヤン」
d0059961_6561789.jpgテレビでドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン」を紹介していた。これは面白そうだ。
「ディア・ピョンヤン」公式サイト
在日二世である梁英姫(ヤン・ヨンヒ)監督が10年にわたって在日一世である自分の父親を追ったドキュメンタリー。
昨年の「山形国際ドキュメンタリー映画祭2005」の「アジア千波万波」部門で特別賞を受賞した作品だという。東京では9月はじめから上映され、今は名古屋に行ってしまった。また東京で見られればいいのだが。
写真:copyright(C)Yonghi Yang/Cheon Inc.
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by hatano_naoki | 2006-10-04 19:45 | 日日
沖縄勉強ノート(83)カー(ガー)
d0059961_1546454.jpg沖縄は水で苦労してきた土地である。
沖縄の雨量は多いが、石灰岩質の土地が多いために雨水はすぐに地中に吸い込まれてしまい、地下水脈となる。その結果、川はできにくいし、地形の制約からあったとしても短く、傾斜は急である。水の管理は古来生活の要であったといっていいだろう。
昔の那覇では、特に東町や西町といった旧市街では井戸があっても塩分が混じっており、住民は天水を使い、一部のひとたちは現在の山下町にあった落平(うてぃんだ。位置は軍桟橋前バス停付近だと思う。昔は海に直接落ちていたという)から舟で水を運んできて売る業者(ミジウヤー) から買っていた。
地下の水が湧水となって湧き出るところ、すなわち泉はカー、あるいはガーと呼ばれる。古くは村の日常のコミュニケーションセンターでもあった。遠くの湧水から水を引いてくる場合はヒージャーと呼ばれる。樋川である。
写真は中城(なかぐすく)グスク近くで見た湧水。イリヌカー(西の湧水)という名前がついている。これもヒージャーだろう。いまは使われていないようだ。

2007年1月17日の追記。
井泉を機能面から見ると、村ガー、「班ヌカー」などの共同の井泉、村落形成のもとになった親井(ウエガー)、神女専用のヌールガー、みそぎの井泉であるソージーガー、産水を汲むウブガーなどがある。
構造でいえば、湧水を樋で引いたヒージャーのほかに、洞窟内のクラガー、横穴式のウリガー、縦穴式のワンドー、滑車をつけたクルマガーなどがある。
井泉に拝所があるところもあって、井泉が神聖なものとされていたことがわかる。実際、沖縄の井泉には宗教的な雰囲気が漂っているし、その雰囲気自体、すくなくとも私には容易に受け入れられるものだ。
『那覇歴史地図』によると、現在の那覇市にある井泉は120以上。ただしこの数字は1986年の調査によるもので、その時点ですでに消滅したものを含んでいるから、現在ではさらに少なくなっていると考えていいだろう。井泉の位置を地図上にプロットしてみると、首里の首里大名町と首里金城町周辺に多くの井泉が確認できる。
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by hatano_naoki | 2006-10-04 00:27 | 沖縄勉強ノート
歌姫
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bophanaのメインボーカル、山田里香さんには以前ちょっと会ったことがあり、bophanaを一度は聴きたいと思っていたがなかなか機会がなかった。それが今日になって恵比寿のガーデンプレースでやっている"TOKYO BOSSA NOVA 2006"に出演するというので1時間ほどのフリーライブを聴きにいってきた。
所属しているTONEのウェブサイトによれば、bophanaは「山田里香(Vo.&Shaker.)、小池龍平(G.&Vo.)、織原良次(B.)による サンバ、ボサノヴァ、MPB等のブラジル音楽を独自の解釈で演奏するアコースティック・トリオ」だという。2003年4月に結成、同年7月より都内カフェを中心にライブ活動を開始した。2005年1月、1stアルバム「Bophana」をリリース。
初めて聴いた彼女の歌声は思いのほか骨太でボリュームがあり、それでいて情感が豊かで哀愁のようなものも感じさせる。好きな声だと思った。突き抜けるような明るさというのではなく、むしろ孤独とか悲劇を感じさせるようなキャラクターだという気がする。いずれにしてもいい歌い手だと思った。これから歳を重ねてゆけばもっとよくなっていくだろう。
ただし私はちょっと特殊な位置からこの歌い手を見ているのかもしれない。彼女を知ったのはmixiでだった。ちょっとメールを交換してそれから喫茶店で会った。それは私が彼女の父親の経歴に関心があったからで、実際、その後父親に会うことにもなった。彼女の父親はシハヌーク時代にプノンペンで日本語を教えていた人で、シハヌーク時代のプノンペンの状況を知りたいと思っていた私はぜひインタビューをさせて欲しいと頼み込んだのだった。
私が彼女に会ったのは一度きりで、そのとき彼女はまだ若かった頃の父と母の写真がたくさん貼られたアルバムを持ってきてくれた。それからだいぶ時間が経ったが、今でも気になる存在ではある。
歌をうたって生きてゆくことは、その内実に人生にありがちな影があったとしても、それはそれはすばらしい生き方だ。人の前でうたい、人を喜ばせ、あるいは思いに沈ませる。歌い手というのはなにか根源的な、たとえばシャーマンみたいな存在であるという気がする。
ちなみにラテン風の"bophana"(ボファーナ)というユニット名は、実はサンスクリットから転化したクメール語の"Bopha"(ボパ。花を意味する)から来ているが、それは彼女のカンボジア人である母親の名前だという。

bophana blog
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by hatano_naoki | 2006-10-01 20:15 | 日日