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倉橋由美子著「パルタイ」と書き出しのこと
先日、「ミステリの名書き出し100選」(早川書房)という本を立ち読みした。
本の書き出しの部分に関するウンチクは、たしかにそれだけで本を書きたいと思わせるくらい面白いテーマではある。ミステリの書き出しが特にひねってあるかどうかは別として、楽しい立ち読みであったことはたしかだ。
ところで、私にとって書き出しが印象に残っている小説はなにかと思い起こしてみると、そのひとつは「パルタイ」だった。

ある日あなたは、もう決心はついたかとたずねた。

こう書き出される「パルタイ」の作者は当時明治大学大学院に在学していた倉橋由美子で、書かれたのは1960年、安保闘争の年である。パルタイ(Partei)とはドイツ語で党、党派を意味する。当時の文脈では日本共産党を意味していた。
私がこの作品を読んだのがいつだったかは忘れたが、初めて読んだときの少しざらついてしかし透明感のある文学っぽい肌触りの心地よさを今でもよく覚えている。60年安保の世代ではなく、むしろ70年安保の世代である私は共産党にも共産主義にも胡散臭さを感じていたが、この作品のかもし出す世界を少し胸が裂けるような気分で読んだ。それは青春というものの反映のせいかもしれない。共産主義が戦後の青春と重なっていた時代があった。

翻って私の書こうとしているものの書き出しのことである。
どのように書き出そうか、どんな文体で、どんな空気で書こうかとここしばらく考えている。特に書き出しに凝ろうとは思わないが、書き出しはある程度作品全体を規定するともいえるから、いい書き出しにしたいとは考えている。いずれにせよ、まだ迷いが続く。
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by hatano_naoki | 2006-12-29 18:08 | 日日
沖縄勉強ノート(92)上原栄子著「辻の華」
1944年10月10日まで存在した那覇の辻遊郭がどんな場所であったのか、辻に育った尾類(じゅり)であった著者による実に詳細な"生活誌"。以前から読んでみたいと思っていた本だが、きのうようやく二割ほど読み進むことができた。大正時代から沖縄戦がはじまるまでの時代の辻を内側から見た記録として貴重である。記述は具体的で詳しい。辻での生活について語られる文章の多くはこの本をもとにして書かれているようであり、この本しかないというような状況でもあるようである。史料としての価値もあるのだ。
辻は基本的には遊廓そのものだが、そのサービス機能が多様であるだけでなく濃密な人間関係とそこに生まれる情とに立脚していたこと、女によるある種の自治組織が機能していたこと、そしてなによりも辻という都市の中の狭い一画に独特の価値観、倫理観、人生観が生き、長い期間にわたって維持されたことにある。都市の一角が物理的境界をともなわずに独自の世界を形成することは珍しくはないにせよ、辻の独自性と外の世界とのつながり方には琉球処分以降の沖縄の社会を知るためのいくつもの鍵が含まれるように思われる。それはたとえば人身売買であり、農民の貧窮であり、士族の衰弱と退廃であり、それらは日本による植民地的支配とその背景にある沖縄のなんらかの弱さが生み出したものだったに違いない。植民地主義は弱さを衝いてくる。
本書が史料としての価値を持つひとつの理由は断片的な記述にも興味深い点が多いことだ。たとえば当時の沖縄の農村部では用を足したあと紙ではなく特定の木の葉が使われていたことが書かれている(カンボジアでは今でも用を足したあと特定の木の葉を使うという)。
辻は庶民のための遊び場ではなく、那覇の金持ちのために性をふくむ複合的なサービスを提供していた。辻で遊べるのはほんの一部のひとたちであったにすぎない。たとえば昭和初期には1,500人のジュリがいたといわれるが、彼女たちが相手にしていたのは粗い推定でせいぜい5,000人かそれくらいだろう。しかし一方で5,000人もの男たちが辻になじみの女を持っていたということにもなり、それはつまり売春というより公的に恋人であり妾である女を斡旋するしくみといったほうがいいような気もしてくる。
当時の男たちにとって辻は甘美で自由な楽園だったことだろう。このしくみの裏には陰謀はなかったのだろうか?辻が形成されたのは17世紀の後半、島津の支配が始まって半世紀以上もたってからである。男たちを骨抜きにして支配者に対する反抗を殺ぐための政治的な陰謀の匂いがするといったら言い過ぎだろうか。
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by hatano_naoki | 2006-12-28 09:17 | 沖縄勉強ノート
行く年来る年
チンプなタイトルで"総括"と"抱負"を。
今年は動かない年だった。ほとんど旅行にも行っていない。トピックといえば本をようやく出せたことで、そこにいたるまでに相当の時間を投入したが、それ以外にはこれといってない。ただしいろいろ考えた年ではあった。動かずに考えていた。
図書館通いをした年でもあった。国会図書館と都立中央図書館にはだいぶ通った。好意的にいうなら、準備をしていたということだ。
来年のことはなにも決めていないといっていいが、本を書くことは続けていきたい。今年出した本は私にとってはじめての実用書以外のカテゴリーの本という意味があったが、来年はさらに自分を追い込むことになりそうだ。ただし、いまのところ沖縄について書くことになりそうだが、これまで以上に出版までの道筋はきびしいに違いない。
今年が動かない年ならば来年は動く年にしたいし、たぶんそうなるだろう。
沖縄をテーマとする本を2007年中に書き上げること、現代カンボジアをテーマとする「カンボジア・ノート」の第3作を2008年中に書き上げることを目標にしたい。

12月26日の追記。
来年私が試みようとしていることのひとつは、書くプロセスの洗練ということかもしれない。賽の河原のような時間を3年間もすごした末の"洗練"は実現するか?
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by hatano_naoki | 2006-12-23 17:25 | 日日
沖縄勉強ノート(91)曽我部司著「笑う沖縄」
d0059961_1832168.jpg書店で偶然みつけた本。この本を読みながらもうひとつの脳が私は沖縄をどう書くのかと考え続けているのがわかった。
本書のサブタイトルは「『「唄の島』の恩人 小那覇舞天伝」とある。戦後、米軍の設置した収容所での活動に始まって一世を風靡したボードビリアン、小那覇舞天(おなはぶーてん)を主人公にしたノンフィクションである。おそらくもっともまとまったかたちになった舞天伝だろう。
この本を読む私のスタンスはかなりひねくれている。
ひとことでいえば、本書を書くにあたって200冊以上の参考文献を読んだという著者の沖縄観を値踏みしているのだ。ノンフィクションを書く作法を見ているということもある。なるほど、こういうふうに書いているんだね、という感じだ。
まだ読み始めたばかりなのであれこれいう段階ではないけれども、著者は自分が舞天に興味を持ち、調べていく過程を正直に書き留めているようにみえるし、参考文献のリストを見ると、著者の準備と興味の動きがよくわかる気がする。
ノンフィクションを書くとき、自分がそこに根を持つ対象を書く場合と本を書くための対象として書く場合に分けるなら、本書は後者に分類されるだろう。それが悪いといっているわけではない。むしろ後者をいかに書くかがプロの作家としては問われるのだろう。
著者の動きを見ていると(もちろん書かれた文章から見える部分に限られるが)、当たり前のことではあるが、資料にあたることと関係者にインタビューすることから組み立てていることがわかる。特にインタビューから手に入れることのできる情報量は多いはずだ。それも「インタビューの行間」に存在する情報量が圧倒的であることは私自身の経験からも想像できる。そして私自身も相当量のインタビューが生み出す本を書いてみたいという夢がある。
まだ途中までしか読んでいないけれども、うまい書き手だとは思わなかった。しかし舞天伝説の中でも特に有名な「ヌチヌグスージサビラ(命のお祝いをしましょう)」の部分が照屋林助によるある種の創作ではないかと思わせる指摘には説得力があり、通説と事実の関係の一事例としても伝説の生成の過程としても興味深いものだった。このへんがきちんと取材したノンフィクションの役割であり醍醐味だ。
ライブドア事件における野口氏の死の真実も、公的な追求が収束してしまったあとでは一個人の我慢強い取材の成果として明らかになってゆくことに期待するしかないのかもしれない。

12月26日の追記。
本書を読み終えた。舞天の"弟子"を自称するひとびとに対する著者の冷ややかな視線が印象的だ。これはたぶん事実に近いのではないかと思いあたることがある。それは観光客には隠された沖縄のいやな部分につながっているようだ。そしてここでも私はカンボジアを思い出している。
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by hatano_naoki | 2006-12-21 15:55 | 沖縄勉強ノート
神は細部に宿る
神は細部に宿る。

God is in the details

このことばが昔から好きだ。
しかし、ではこのことばの意味は何かといわれると、感覚的にしかこのことばを受け止めていないことに気がついた。そこで少しインターネットをさ迷ってみると・・・。

このことばが誰のことばかははっきりしていないらしい。
いくつかの説がある。
まず、建築家ミース・ファンデルローエ(Ludwig Mies van der Rohe)の言葉だという説。
ファンデルローエは1886年ドイツに生まれ、1969年にシカゴで死んだ。煉瓦職人、家具職人などを経て1912年にベルリンに自分の建築事務所を開いた。その後バウハウスにもかかわった。1937年にはアメリカに移っている。ユダヤ系だったのかもしれない。
ドイツの美術史家アビ・ヴァールブルグ(Aby Warburg, 1866-1929)が好んで用いたというし、グスターヴ・フローベル(Gustave Flaubert, 1821-1880)やイギリスの美術評論家・社会思想家ジョン・ラスキン(John Ruskin, 1819-1900)だという説もあるようだ。
(これらの説の典拠まではあたっていない)
ところでこのことばはどのように理解されるのだろうか。
インターネットから拾ったいくつかの解釈は:
細部にまで手を抜かずきめ細かく配慮して作られたものは美しい
「細部」が「全体」の完成度におよぼす影響を象徴的に表した
美しさと機能の追求はディテールの追求である
建物の最小単位である素材や意匠のひとつひとつに一切の妥協を許さず、情緒豊かな造形美を丹念にかたちにしていく
いずれにせよ「神は細部に宿る」は、アウディの作り込みと完成度の高さを表すのに最適な言葉だろう
万物のいかなる細部にも、「神」のメッセージが込められている
細部へのこだわりが、作品のクオリティを決定づける
たとえば映画のワンシーンで描写される役者の動きから置かれている小道具のデザインや色までが、すべて意味を持つ世界
細部を捨象しない
「完璧主義者」と呼ばれるほどに「細部」にこだわる
ものごとの本質はほんの細かいところによくあらわれる
細部まで手を抜くな、細部の作り込みで全体の完成度は決まる
・・・等々。
もっとも世俗的な解釈は、「手抜きをするなよ」といったところだろうか。

私は先に列挙したような一般的だと思われる解釈を受け入れるけれども、それと同時に、まさに細部に神が宿る(依り憑く)という直接的なイメージをも抱くのだった。
ところでこの神とは何なのだろうか。創造の、あるいは美の神だと考えられるが、まさにキリスト教(あるいはユダヤ教)における神を意味しているのかもしれない。あるいはその両方の混合かもしれない。あるいはギリシャ的な神のイメージかもしれない。正しい解釈を知りたいものだ。
日刊デジタルクリエイターズというサイトにはこんな文章があった。
「もっともこの言葉は、古くからユダヤ教にあったものを、ドイツの建築家ミース・ファン・デル・ローエ(Mies van der Rohe, 1886-1969)が好んで使ったことで広まったようである。原義では「神は日常の些事から遠く切り離された高邁な地に存在するのではない。信仰は日々の現世的な生活から遊離したものであってはならない」という教えのようである(以下略)」
これが事実だとすると、「神」はユダヤ教の神を意味することになる。

インターネットには「相互参照のワナ」というものがある。
Googleで「神は細部に宿る」ということばの由来をたどっていると、あきらかに情報源だと思われるサイトがあり、そのサイトの情報を引き写したと思われるサイトがある。参照と引き写しの連鎖はその情報の"裏づけのない信憑性"を高める。これは一種の伝言ゲームだ。
それにしても、事実とはなにか?

さらに脱線だが、私の思考は細部のみによって構成されている。
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by hatano_naoki | 2006-12-19 18:22 | 神は細部に・・・
ブルーな気分
本が出てうれしいかといえば、もちろんうれしいけれども、なにかユーウツな気分も混じっている。
本ができあがるときのカタルシスはたしかに存在したが、その本はもはや私の力の及ばないところにいってしまい、自分だけが取り残されたような気がしたり、自分がまったくの無力だという自覚にとりつかれたりする。
自分の書くものに意味があるのかどうか、なんらかの価値があるのだろうか?
書くという行為は基本的に自律的だが、他者の視線の中で育つものでもある。前に書いた本に対してはいくつかの感想が寄せられたが、それらは送り手である読者が想像できないくらい私を勇気づけた。今度書いたものにどんな感想が寄せられるかは想像もつかない。
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by hatano_naoki | 2006-12-18 21:58 | 日日
沖縄勉強ノート(90)中国の縁辺で
琉球王国が栄えた大きな理由は、中国(当時の明)とのかかわりの中で海上貿易によって富をえただけでなく、さまざまな技術や社会制度までも輸入したことにあるわけだが、そのキーワードである朝貢や海禁政策について知ろうとすると、中国と周辺国家との関係の歴史、そしてもちろん、中国そのものについて最低限のことを知っておきたいと思うようになる。
中国とその周辺をふくむ地域においては"中国をめぐる秩序"(=冊封体制)が長く機能してきた。この秩序はもちろん武力をともなう圧迫や強制をともなうことがあったにせよ、中国の側の思想としての側面もあったようにみえる。"親"であり"中心"である中華帝国は周辺の愚かで未開な国ぐにを感化し導く。その原理は礼である。礼をわきまえた"子"である周辺国家には恩恵を与え、保護するが、礼を失した国には懲罰を加える。
その基本は相手に戦意を失わせるような圧倒的な力を保有し誇示することで戦わずして勝つことにあるようだ。鄭和の遠征のスタイル、特にその規模は中国による力の誇示の典型に思える。
中国による秩序なるものは時代によって変化してきたはずだが、いずれにせよ、中国には行動を支える原理と思想があり、それらは強固でゆるぎがたいように見える。世界帝国というものはみずからの理念を周辺国家に敷衍することに情熱を傾ける。自分たちの考える(というよりも肉体化した)自由なるものを広めようとしたアメリカもまた過去の世界帝国の類型に忠実なのだろうか。
私は中国が複雑で理解するのがむずかしいと考えて敬遠してきた節がある。しかしたまたま中国の周辺国家であるカンボジアと沖縄のことを考えるとき、そうもいかないようだ。さらに自分自身もまた"周辺国家"に生きている以上、中国を知ることはますます必要なことに思えてくる。
まずは琉球の朝貢貿易の相手であった明とその直前の元の時代のあたりから勉強すること、それに通史を一通り勉強することをはじめた。
朝貢については、経済活動としてみた場合、利益を得るのはほぼ朝貢国の側に限られる。中国(当時の明)は訓化すべき"子"を得たが、これは経済活動とは別の行動だ。"子"の多くは明の軍事力に逆らうことはできなかったはずだが、それにもかかわらず、明は領域を拡大しようとはせず、形式先行の朝貢関係に満足していたように見える。ただし中国と国境を接する国、たとえばベトナムと琉球のような島嶼国家とでは関係はおのずと異なっていたにちがいない。
朝貢関係とは何か、中国の歴史を貫く理念とは何か、さらに中国の対琉球、対カンボジア関係はどのように推移したか、基礎的な理解を深めたい。悩みの種は、中国という対象があまりにも大きく、複雑であることだ。私の関心の軸足は中国の縁辺国家である琉球とカンボジアにあって、その延長上で中国を避けて通れなくなったということだ。こわごわ中国に近づく。
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by hatano_naoki | 2006-12-17 23:51 | 沖縄勉強ノート
店頭巡回
自分の書いた本が出ると書店に行って本がどのように陳列されているかを確かめるのがクセになっている。
いい場所取りができていて平積みになっていればうれしいし、どこかの隅に押し込まれていればがっかりする。売れている気配があれば躍り上がるようなうれしさだし、まったく売れている気配がなければ落ち込んでしまう。特に最初の数日あるいは数週間が書店における評価が下される期間だと聞けばますます日々の動きが気になる。
それでいて自分(著者)が目の前に展開する状況の傍観者だという気分もある。

12月11日の追記。
ある書店では私の本は「私が見たポルポト」のとなりにあった。この本の著者は「『ポルポトの虐殺』は西側の捏造だ」とまではいっていないけれども、クメールルージュに強いシンパシーを感じているひとであるのはたしかなようだ。
驚くのはAMAZONで見たこの本の読者の感想である。この本の著者の「ポルポトの虐殺は西側の捏造だ」といわんばかりの主張を受け入れようとする読者が少なくないようなのだ。その背景にはイラク戦争を通じてのアメリカ、そして「西側」への批判、反感があるようである。つまりイラク戦争への反感がポルポト時代の西側報道への疑問、そしてポルポトの虐殺はなかったかもしれないという問題意識につながっていっている。
こういう思考自体が私にはどうも理解できないのだが、読者のコメント8件の大部分が「ポルポトの虐殺に関するこれまでの報道」なるものに疑問を表明していることは注目すべきだと思う。「西側」への不信がポルポトを救おうとしている。
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by hatano_naoki | 2006-12-10 17:41 | カンボジア
オールドインペリアルバー
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帝国ホテルのメインバー、オールドインペリアルバーにはフランク・ロイド・ライトの"遺構"があった。
写真右端の壁面に見られる格子状の部分と左奥の壁面は当時のものを移築したのだという。なかなか幸せな気分だった。
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by hatano_naoki | 2006-12-09 08:42 | 日日
本文と脚注
d0059961_21585723.jpg本の注釈は普通は参考文献や引用元の書籍名など、本文に入れると冗長になる情報を章の最後に、あるいは巻末にまとめて記載する形式である。
本文の下あるいは上に置くこともあるが、この場合はそのページ内の項目に対応する注釈を配置することになる。
今回の二冊では、本文ページを上下に分割して下の部分を注釈と写真・図などの欄とした。この形式は以前から是非とも採用したかったものだ。この場合、本文と注釈との関係はより密接になる。私の場合は、本文のある語句に関するウンチクを注釈のスタイルで書きたいというのが目的のひとつだった。つまり注釈は本文の枝分かれした一部である。
一方、この形式ではページごとに(今回のケースでは見開き2ページに対応して)注釈を配置するから、各ページに入れ込む本文と注釈の対応関係は制約を受ける。私の場合は各ページに入る本文内容が決定してから注釈を書いた。
かりにこの本を文庫本にすることになったら各ページの本文文字数が変わり、その結果、本文と注釈の関係が変わってしまうから大変に苦労することだろう。
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by hatano_naoki | 2006-12-07 22:15 | カンボジア