<   2007年 05月 ( 55 )   > この月の画像一覧
空模様
[RICOH GR Digital]
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種明かしは無粋だが、水たまりに映った空を撮ってみた。
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by hatano_naoki | 2007-05-31 20:51 | 写真日記
GR Digital (19)フォト・エッセイ
相変わらず日常のすきまで写真を撮って楽しんでいる。
しかし、ブログに写真を載せるという枠におさまってしまいそうな気もしてくる。
なにかテーマを決めて撮っていきたいと思いはじめた。マンホールの蓋とか送電鉄塔とか、特定のものを撮るのがどういうことか、理解しているつもりだ。
軽くて小さいGRDならではの写真を撮りためて写真と文によるフォト・エッセイ的な本を作ったら楽しいだろうと思う。こういう希望を持っているひとは無数にいるだろうが、実現にいたるのはその何百分の一、あるいは何千分の一だろう。自費による出版ではなく、内容をある程度認められて出版にいたらなければ意味がないが、その道筋はとてもむずかしいということだ。
しかし、それにもかかわらず私はどちらかといえば楽観的だ。なにかを撮り、文章を書いて一冊の本の分量の原稿を用意し、それを編集者に判断してもらう。たとえば百枚の写真を撮り、それぞれについて短いエッセイを一ページ分書けば、一冊分の原稿ができる。百枚の写真と、百ページのエッセイ一編でもいい。
こういう本を作ることに執着するわけではないけれども、重くて大きな一眼レフではなく小さなカメラで撮るというところに面白さを感じるし、私にもできそうだと思わせるところがある。GRDは写真がうまくなりそうだと錯覚させるカメラだということが、この例からもわかるだろう。
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by hatano_naoki | 2007-05-31 06:33 | カメラと写真
黒い自画像
[RICOH GR Digital]
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by hatano_naoki | 2007-05-30 21:04 | 写真日記
ヒマラヤ杉
[RICOH GR Digital]
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by hatano_naoki | 2007-05-30 19:11 | 写真日記
沖縄勉強ノート(122)クバ
クバとは沖縄で蒲葵(びろう)のこと。
学名は"Livistona chinensis"、和名ビロウ、ヤシ科ビロウ属。原産地は中国南部、台湾、南西諸島など。常緑高木で高さは3~15メートル。葉は全体として円形で直径は1.5~2メートル。
Wikipediaでは「ビロウ」の項目で「葉は掌状に広がる。ワシントンヤシにも似るが、葉先が細かく裂けて垂れ下がるのが特徴である」といっているが、葉先が折れて垂れ下がっている様子は確かに特徴的であり、いくらかおどろおどろしくもある。
3~4月に黄色の花をつける。果実は長さ約1.5センチメートルで、10~12月に黒色に熟する。若い芽は食用になる。葉を乾燥させて屋根を葺く材料にしたり笠を作ったりさまざまに使われていた。身近で日常生活に溶け込んだ植物であると同時に聖性の高い植物。同様に聖域とかかわりの深いクロツグも沖縄ではよく見られる植物だ。このへんに古代的雰囲気を感じたりもする。
やんばる」というウェブサイトにはクバの形態がわかりやすい写真がある。
久高島の北部にはクバの森がある。かつては島全体がクバでおおわれていたという。伊平屋島北端の田名崎では山全体がクバの原生森で覆われており、県指定天然記念物になっている。
クバは祭祀においてももっとも多用される植物といわれる。また昔の時代を言い表す「蒲葵ぬ葉世(くばぬはゆ)」ということばもある。クバの森は沖縄の原風景のひとつだといっていいだろう。
沖縄の文化や信仰と植物は深いかかわりを持っているようだが、クバはとくに聖性と深いかかわりのある植物であって、うたきではしばしばクバが見られる。聖域にクバがあるというより、かつてはクバがどこにでもあり、結果的に聖域にも存在したといったらいいのだろうか。いずれにせよ、クバは霊威が高く、さまざまな祭祀に用いられた。
在野の民俗学者、吉野裕子は著書『扇 性と古代信仰』の中で、クバの葉が扇の起源だとしているが、沖縄の信仰について、うたきの構成は女陰をイメージしており、これに対してクバの幹は男根のシンボルだといっている。それゆえにクバが神木となったという。
古代天皇制においてもクバは神聖なるものと考えられていたという。またうたきは神社の祖形だといっているが、これについてはほかの研究者の見解も知りたいものだ。
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by hatano_naoki | 2007-05-29 19:58 | 沖縄勉強ノート
ショーウィンドウ
[RICOH GR Digital]
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by hatano_naoki | 2007-05-29 14:52 | 写真日記
壁紙
「青い家」を壁紙にしてみた。サイズは1024×768ピクセル。

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by hatano_naoki | 2007-05-29 07:29 | 写真日記
山間の町で
[RICOH GR Digital]
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by hatano_naoki | 2007-05-28 17:26 | 写真日記
GR Digital (18)最近のGRD生活
相変わらず持ち歩いている。
忘れてでかけた日があって、その日はなんとなく落ち着かなかった。一種の依存症というべきだろう。
いろいろ試しながら撮っている。
ある日、絶好の被写体が目の前を通り過ぎたあとで撮ればよかったと後悔し、それからは反射神経をきたえる(=イメージトレーニングする)ことにし、カメラの起動時設定ををスナップモードにしたが、その後「絶好の被写体」が目の前を通り過ぎることはなかった。
しかしいずれにしても、スナップモードは有効だ。
カメラの操作系では、いまのところ一番いじるのは露出補正で、次が測光方式だろうか。測光方式はあれこれ考えてスポット測光を標準にし、状況に応じて「マルチ」とスイッチしながら使っている。ISOは200。たぶん「オート」か64/100あたりで設定するひとが多いと思うが、ノイズはこの際がまんしてシャッター速度を上げることにした。手ぶれが気になってしかたがないのだ。
これはまた、いわゆるきれいな写真を撮る方向ではなく、被写体の面白さを第一に考える方向に私が向かっていることを意味するだろう。もともと印画紙(ではないが)上の美しさをうんぬんするには向かない小型カメラなのだ。
28mm(相当の)レンズでのスナップ写真というものにいくらか慣れてきた。
中望遠がほしい場面によく遭遇するが、あきらめるしかない。撮れないものは撮れないし、それはそれで割り切れていいものだ。
それにしても28mmは楽しい。かなり寄るか、周囲をかなり写し込んだ写真が好きだ。
そして。
結局、目なんだなと思う。視線、まなざし、そこから生まれる切り取り。それに加えて偶然というスパイス。蛇足だが、偶然は引き寄せられそうだ。
ともあれ、少しでも意識に引っかかった対象は撮ろうと思っている。
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by hatano_naoki | 2007-05-27 16:52 | カメラと写真
CSF(Cultural Studies Forum)例会
d0059961_6543265.jpgきのう、CSF(Cultural Studies Forum)の5月例会に参加した。総合テーマは「グローバル化時代のワールド・ミュージックとメディア」。
スピーカーとテーマは次のとおり。
1)平尾吉直(首都大学東京)「ジンバブエ都市ポピュラー音楽とコミュニティ」
2)笹川秀夫(立命館アジア太平洋大学)「タイとカンボジアのポピュラー音楽にみるグローバル化と反グローバル化」
3)佐藤英孝(放送局勤務)「ルーツミュージックの日本における需要と受容」
参加者は主催者、スピーカーもあわせて14、5名だった。
この日の趣旨については告知に次のように書かれていた。
「1980年代末の「ワールドミュージック」ブームは冷戦期最後を飾る「第三世界」からの、または「第三世界」を搾取する、ポピュラー音楽産業の一つの動向であった。1950年代以降に次々と欧米宗主国から独立していったアフリカやアジアの音楽にはしたがってナショナリズムの高揚が波打っていたことは想像できる。1990年代以降の日本において沖縄の音楽が脚光を浴び始めるのはまた別の文脈であって、つまり冷戦以降の、グローバル化時代の幕開けという側面をもっているはずである。今ワークショップでは現在の東南アジアのポップス、アフリカのポップス、それに日本のポピュラー音楽の現況報告を通し、冷戦時代のワールド・ミュージックの総括を含めたワールド・ミュージックの現在を考える場としたい。その際冷戦期/グローバル化時代のワールドミュージックを語る上で、進化していくメディアを巡る政治経済体制の変化が、美学上の「趣味」の問題とともに鍵となるはずである」

会場は武蔵大学だった。学生の姿がほとんどみえないこともあるが静かで落ち着いた大学だと感じた。カルチュラルスタディーズなる領域にについてはほとんどなにもしらないといっていい。多田治氏の『沖縄イメージの誕生』を読んだとき、はじめてカルチュラルスタディーズなることばを知ったのだと思う。この集まりの趣旨も実態もなにも知らないままに、笹川さんから情報を得て、いわば飛び入りで参加したのだった。
小さな集まりにふさわしく、参加者はその日のテーマに関心の深い人ばかりのようで、私などは場違いな存在だったが、それでもこれまでまったく興味がなく知識もない分野について話を聴くのはなかなか刺激があった。まったく知らない分野の話を聴くとき、頭の中は忙しい。聴きながら情報をあわただしく(粗く)咀嚼してなんとか一定の理解の受け皿を用意しなければならないからだ。これがないとよくわからない語彙と表現が目の前を素通りするだけで終わってしまうだろう。しかしその分野に深い興味がない場合、情報の摂取と咀嚼にめりはりをつける必要もありそうだ。専門的な話というものはときとして必要以上に深くまで下りてゆくが、そこまでついていく必要はない。私にとってはいわば文脈をたどれれば十分だ。その話からひとつでもはっとする発見や刺激があれば、その時間は有益だったと感じられる。
音楽をあまり聴かないで育った私にとってこの分野は"暗黒大陸"だが、たとえばこれまで聴いたことのないジンバブエの音楽の状況についての話を聴き、いくつかを試聴してみて、新鮮な空気を感じたのはたしかだ。"異種格闘技"はなかなかいいものだ。
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by hatano_naoki | 2007-05-27 15:49 | 日日