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谷中界隈

寺の境内に櫨(はぜ)の巨木があった。はぜはウルシ科の落葉高木で、その実から白ロウが取れるという。

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by hatano_naoki | 2007-07-30 22:50 | 写真日記
歩行者天国

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by hatano_naoki | 2007-07-30 06:25 | 写真日記
革のソファ、縫い目

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by hatano_naoki | 2007-07-30 06:20 | 写真日記
築地本願寺

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by hatano_naoki | 2007-07-29 07:42 | 写真日記
母胎回帰ストーリー(2)
この事件について多くのブログ記事が書かれているが、そのごく一部を読んだだけで、世の中にはいろんな考えの人がいるものだといまさらながら驚く。
遺族に対するさまざまな種類の嫌悪感をむき出しにするひとがおり、弁護団に対する強い支持を表明する人がいる。それらを読んでいると人間の思考と思考がおりあわず、互いの理解が不可能であるに違いなく、そこらじゅうで不愉快なきしみが聞こえるとき、相手とコミュニケーションができない状況というものが相当な絶望であることを具体的に理解することを迫られる。
たとえばこの裁判の傍聴を続ける遺族の主張を、さらにはその人格を攻撃する人がいること自体、それはおそらくイデオロギーの問題ではなく何らかの感情に基づいているように思えるのだが、私には彼らがほとんど完全に理解できない。あいだに深い裂け目がある。彼と私の距離に戦慄する。匿名に隠れた卑怯者の発したことばのカミソリが空(くう)を飛び回っている。その光景を見ながら、ひととひととは理解できないのだと思っている。

この公判の経過をわずかなマスコミ報道だけを通じて知りえている私は、深く絶望しているらしい。公正な裁きを通じて社会に正義をひろめるべく行われているはずの裁判は多くのひとびとに理解のできる論理をもって進められるべきだし、何が起きたかの真実に迫るべく行われているはずであり、千でも二千でも言い募ることが可能な「ストーリー」の捏造開陳の場であってはならないはずだ。本当に起きたことはなにか、本当の動機はなにか。裁判の場でそれが行われないで異様なストーリーの怪物が跋扈しているので、私はさらに絶望する。
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by hatano_naoki | 2007-07-27 20:50 | 日日
国際子ども図書館

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by hatano_naoki | 2007-07-26 18:32 | 写真日記
母胎回帰ストーリー
光市母子殺害事件の差戻し審公判は実に気分の悪くなる経過をたどっている。
その核心は最近になって死刑廃止論者の弁護士たちによって持ち出された「母胎回帰ストーリー」ということばに集約されるように思う。
ある事実があるとして、その事実とはなにかということを明らかにしようとするとき、人はその付近の「見取り図」をことばによって書こうとする。ことばとことばの間の整合性が高ければその「見取り図」は信頼に足ると思われる可能性が高いにちがいない。
普通、このような「見取り図」は事実と思われるあたりを周回しながら次第に近づいてゆくために描かれる究明の作業だ。ところが先に「ストーリー」があったとしたらどうだろうか。こうであるべきだという結論にいたるために描かれた「見取り図」は、それなりの一貫性、整合性を持っているだろうが、それゆえに逆に異様さを際立たせる。
光市母子殺害事件における弁護手法は、まず死刑は行うべきでないという信念があり、次にどのような被告も死刑にすべきでないという目的があり、そのための方法論として死刑に相当しないという結論に導くための「論理」が構築され、「見取り図」が描かれる。そこから生まれる論理のゆがみ、「ストーリー」から見えてくる光景は嘔吐をも催すほどだ。
裁判という場で弁護士は何をいってもいいということを、私はこの事件の公判報道を通じてはじめて知った。弁護士には原告を極限的に中傷したり、被害者である死者の尊厳を信じられないほどの卑劣さで貶めたりする権利が認められているらしい。そういう卑劣が法の正義という衣をまとっている。
死刑廃止論にはそれなりの根拠があり、彼らにはそれを主張する権利がある。しかしこの公判を通じて彼らは一種の過激派として大衆から離反してしまった自分たちを発見するだろうし、それだけが彼らの収穫となるだろう。
彼らの正体は死刑反対論を収束させるための陽動作戦を行っている死刑賛成論者に違いない。

[母胎回帰ストーリー]
このことばを用いたのは被告側の依頼を受けて被告の心理鑑定を行った加藤幸雄氏(日本福祉大学副学長・学園常任理事・社会福祉学部教授)だという。この人は精神科医ではなく臨床心理士であり、臨床心理学の専門家だそうだ。 
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by hatano_naoki | 2007-07-26 18:31 | 日日
カメラは自分を覗き込む道具でもある

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by hatano_naoki | 2007-07-25 21:42 | 写真日記
紙のコラージュ
d0059961_18244368.jpgここしばらく書いてきた沖縄に関する文章はいずれも断片にすぎないが、それらをなんらかのかたちでひとまとめにできないか考えた。具体的には、これまでにもやったことがあるのだが、文を印刷して切り貼りすることを試みた。パソコンの画面でまとまりのない多数の断片を整理してひとまとまりの文章に仕上げるとき、画面の見通しの悪さが問題になるが、紙の切り貼りはそのへんの居心地の悪さが解消されてなかなか気分がいい。
その場その場で書いてきた断片はお互いに重複する部分もあり、まとまりもないが、ある程度整理できるならば、それはそれで今後書く全体の核となるかもしれない。
こんなことをしながら、これからどんなものを書こうかとあれこれ考えている自分がいる。
少なくとも全体の構成をちゃんとしてから書かなければダメだな、と思いながら無残な断片を見ている。こういうことはもっとはやく気づくべきなのだ。
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by hatano_naoki | 2007-07-23 20:14 | 沖縄勉強ノート
『プノンペン=東京 往復書簡』のデザイン
一般には往復書簡というカテゴリーの"売り"は著者が著名であるということだろう。著名な作家や文化人が手紙という形式で語り合うのをのぞき見するような趣もある。
ところが井伊さんには申し訳ないけれども、彼も私も著名人でも文化人でもないので、往復書簡という形式の必要条件を満たしていないといわれてもしかたがないだろうと思う。
そういう問題点が始める前に露呈しているわけだが、当事者としてはなんにせよはじめる前というのはワクワクするし、特に往復書簡のように相手がある場合は格別に楽しいものだ。あまり深く考えずにはじめてしまおうという意図が透けて見える。
カンボジア関係の書籍の幅が狭いとずっと思ってきた。アンコール遺跡とクメール・ルージュ(あるいはポル・ポト時代)が二大テーマで、私自身もまずこの二つをテーマに選んだのだったが、それ以外はがいして暗い話題が多い。
往復書簡で何が語られるかはわからないが、少なくともこれまであまり語られなかった話をしてみたいと思うし、往復書簡という形式自体がカンボジア関連書籍では見かけたことがないのでそれをやってみたいとも考えている。
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by hatano_naoki | 2007-07-19 20:22 | カンボジア