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国際災害救助部隊
これは妄言にすぎないのだが:

自衛隊の内部に『国際災害救助部隊』という名の巨大組織をつくり、現在自衛隊が消費している国家予算の大きな部分をこの新しい組織の活動原資とし、世界のいかなる場所で起きる大規模災害に対しても即時・大量の人員・機材が派遣ができる体制を維持したらどうだろうか。
もちろんミャンマーの例に見られるように、権力はどれほどの自国民が死ぬより自らの権力の維持を優先する。平和的な救援部隊の大兵力が「侵入」してくることには大きな抵抗が予想されるだろう。そんなことはわかっているが、大人の知恵を駆使して解決すべきだし、国際政治という複雑怪奇な力学の世界では比較的解が求めやすい問題のはずだ。
国連がやるべき仕事かもしれないが国連にはそこまでの力も資金もない。
自衛隊は軍隊だが、仮に自衛隊のそうとう大きな部分が世界の災いを救うきわめて平和的な機能を持つとしたら日本のイメージはどのように変わるだろうか?
わたし個人はこれを冗談とは思っていない。意志薄弱で存在感の薄い日本が世界の平和に対する強い意志を持った国家に生まれ変わることができる。短期的な見返りを求めない支援こそが翻って大きな見返り(=世界平和を基盤とする経済的発展)を得ると思うし、中国に代表されるような国際政治のプロに対する痛烈な批判になるだろうと思う。こうして新しいパラダイムを日本も示せると思うのだ。
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by hatano_naoki | 2008-05-30 22:37 | 日日
書かれざる傑作
ようやくまとまった文章を書きたいという意欲というか意志というか、そういった雰囲気が生まれて来た。
ではなにを書くのか?
昔、父親がこんな話をしてくれたことがある。ある絵描きが傑作を描くのだといい、その絵の制作が進んでいるらしかったが誰も絵を見た者はいなかった。やがてある人物がアトリエをのぞき見るとキャンバスには何も描かれていなかった。彼は発狂していたのだ…。
ストーリーを正確には覚えていないし、父親の創作ではなく誰かの小説かなにかだったと思う。父親がどのような話の流れでこのエピソードを持ち出したのかも忘れてしまっている。たぶん、たいした深い意味もない雑談の一部だったのだろう。
しかしどういうわけかときどきこの話を思いだす。わたしもまた書かないで書くことを思い、書こうとして書けずに発狂してしまうひとびとの系譜に連なるのだろうか、と。
実際には書けずに発狂するとは思っていない。書くことがわたしの人生を支えているといってもいいが、それとは別の視点からいえばわたしは書くことが好きなただの物好きにすぎない。それで発狂するなどおこがましい、発狂するならそれはそれで天晴れというくらいのものだ。書くには内部の高まりが必要だが、書くエネルギーが絶対的に不足している。書くという行為において貧血気味なのだ。
書くことの恍惚、書くことの奈落。それらは書いたことのある者にしかわからない。そしてその質は措いて、わたしはある程度のまとまった文章を書こうと呻吟したことがある。
わたしが書くべきものが書かれていない。自分が書くべきものを書いていない。わたしほどの年齢になってまともな作品が生み出せなければ、一般的にいえば能力に欠けていると言うことで、それがわかれば書くのをあきらめる。しかしわたしはそのへんが脳天気なのか、まだなにかが書けるのではないかと思い続けている。こういう精神構造なら発狂することはちょっと考えられないから安心だが、そのかわりに書けずに老残の身を晒すという運命が待っているとは思う。
いつまでもスタバのカウンターで自分にはなにが書けるのだろうかと考えているわけにもいかない。『なぜわたしは書かないのか、あるいは書けないのか』という本なら書けそうな気がしてきた。
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by hatano_naoki | 2008-05-28 00:01 | 日日
搬送
わたしを載せた担架がごろごろと動き出して病院の建物を出ると、外はたじろぐほどのいい天気だった。救急車が待っているのが視界の隅に見えた。これは思いがけず大変なことが起きかけているのかもしれないぞ、と心の中の小さなわたしが言う。
ちょっとした衝撃とともに担架が車に運びこまれる直前、わずかに目を開けると空が見えた。救急車には乗ったことがあるから中の様子はわかっているつもりだったが、担架に横たわって見上げるその内部は、まずその視線の仰角が鮮烈な視覚的刺激だった。まるで手術室のように白い車内には病院の延長である生と死の臭いがしたが、わたしの感覚はいくらか死に近づいた病人というよりも、野次馬的好奇心が不安を上回っていた。
救急隊員のひとりがわたしの脇に寄り添った。彼はなるべくわたしに心理的圧迫を加えないように気を使いながらわたしのからだの状態を知ろうとしていた。簡単な問答を繰り返すうち、救急車はサイレンを鳴らしながらスピードをあげた。天井の高い車内は壁面にいくつかの機器がかかっているほかは意外にがらんとしていた。ひとつの病院から別の病院へと搬送されるわたしには特にすることもない。強いていうならなるべく手の掛からないようにおとなしくしていることだろうか。
事態は思いがけず急展開していた。いまやわたしは手術設備の整った大病院への緊急搬送を要する危険な状態の病人としてこの世に存在しはじめているのだった。わたしの個人史や思考や人間関係などどうでもいいことで、わたしとは壊れかけた肉体の器官であり、またそれらを覆う薄い皮膚である。救急車は壊れかけたわたしを病院という神殿へと運ぶために天翔る神ののりものだ。そこでは近代医学という名の呪術がわたしの命をこの世につなぎ止めるために待ち受けている。
いくらも走らないうちに目的の病院に着くと救命救急の初期的プロセスがあわただしくはじまった。搬送された簡易ベッドに横たわったままのわたしの周囲では救急隊員と看護婦たちが交錯する。病院の職員らしい女性が近づいてきて「保険証はお持ちですか」といった。ええ、ありますよ。医師らしい男性が来てわたしが担当医ですといった。ああそうですか、よろしくお願いします。周囲の様子を寝たままで見ていると、これはちょっとしたドキュメンタリーでありノンフィクションだ。わたしはその中心人物で、わたしの容態が周辺の状況を律している。
状況はそれからも一分単位で変貌した。ICUに運ばれ、あわただしく容態の説明を受け、からだにはいくつもの線や管が取り付けられて病人ができあがったかと思うとさっそく手術室に運ばれた。そこには人数は分からないが少なくないひとびとがいる気配があった。これはようするに事態が悪化した場合に備えているのだな。
わたしにとって生涯ではじめての手術がはじまろうとしていたが、ここでも好奇心が不安を上回っていた。旅客機で飛び立つ気分にいくらか似ていた。死ぬかもしれないが、自分がその死へのプロセスに積極的な役割を果たすことはできない。わたしは自分の運命の傍観者であり、また観察者である。最悪のケースでは、死に至るまでを報告することができるだろう。ことによると死後の世界さえ報告できるかもしれない。
手術は短時間で終わり、ICUに逆戻りする。あわただしい事態の急転回は私に考えさせる余裕も時間も与えなかったが、時間がすこしゆるやかにすすみはじめたために思い返すことができるようになった。それはおそらく喜ばしいことだ。わたしは緊急手術をようするほど危険な状態にあったわけだが、危機を危機として理解した上でなお、そのような状況を深刻に受け止めたり考え込んだりする暇がなかったことが喜劇的だ。笑いは状況への客観的な視点と関わっており、なんらかのアンバランスに起因するのだな。
ICUは静かだった。背後ではわたしのさまざまな生体データが数字とグラフで表示されている。これまで何度かそのようなグラフがしだいに波動と脈動を失って一本の水平線に収束してゆくのを見たことがある。それはつまりひとの死の視覚的な表現であり、わたしの場合は肉親の喪失を告知していた。そのときのことを思い出していたが、特に感慨を伴うことはなかった。
ベッドに横たわって特にかんがえるべきことはなかった。生体のちからとでもいうべきものが旺盛ならば生命はそこで途切れずにすむ。わたしの場合、死はそこには準備されていなかったらしく、いくらか先だったのだろう。わたしはどうやら死から遠ざかりつつあるらしかった。
こうして死をかいま見る短いツアーは終わった。それはまさに旅の一種であるとともに、いずれ間違いなくやってくる本物の死の予告編でもあった。その後、不思議なことに死は懐かしくも親しい存在となって身近に息づきはじめた。
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by hatano_naoki | 2008-05-25 16:08 | 記憶のメモ
イー・モバイルのS11HT(25)環境作り、一段落
今回実現したS11HT/WZ Mobile Editor/ATOK for Pocket+stowaway bluetooth keyboard+eneloop mobile boosterの組み合わせはすばらしい。レスポンスは速いし、電源も4、5時間は持つはずだ。これほどコンパクトで実用的なモバイルテキストエディターがあると外にいって書きたくなるのは自然の流れだ。実用性を探りつつ書いているが、2.8インチのQVGA画面は文章作成にはなんら問題がないようだ。
私がこれまで親しんできたモバイル用途での文章作成環境といえば、最初は富士通のOASYS FROM9MDという通信ワープロだった。それからいろいろ使ったけれども、小型で実用的という意味ではOASYS PocketとJornada720が印象に残っている。今回実現したシステムはそれらのどれよりも小さく軽量でかつ大きなキーボードがある。表示画面の小ささが唯一の弱点だが、前に述べたように使ってみるとほとんど問題とは感じない。さすがにこれで半日うち続けるのは楽ではないだろうが、少なくともこれでなにかを書いてみたいと思わせる刺激がこのシステムにはある。
一方で、こういう環境を整えるまでに二ヶ月かかっていることに注意すべきだろう。言い換えれば、買ってきただけでは、少なくともわたしにはつかいにくいことこの上なかった。さまざまなユーティリティを組み込んではじめてまともに使えるようになるような製品はコンシューマー向きとはいいがたいが、それがWindows MobileというOSでありそれをもとに作られた製品だということになる。ではコンピュータを知らないひと向けに使い勝手を向上させるという方向をとれば、自由度の低い、制約の多い機械ができあがるだろう。
わたし個人はコンピュータに詳しい人間ではないが、先人たちのマネをする程度はなんとかできる。それでもインターネットでずいぶんと勉強し情報を集めなければならなかった。Windows Mobileを載せたスマートフォンという製品はなんととっつきにくい荒削りな製品かと思ってしまう。ともあれ昔のコンピュータのような遊び方ができる(そうせざるをえない)のがWindows Mobileだし、昔の一抱えもあるようなパソコンが手の中に入る大きさになったのがWindows Mobileという「パソコン」だと思えばそれはそれで面白い機械だ。
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by hatano_naoki | 2008-05-25 15:57 | ネットとデジモノ
イグアナがキーボードの上で居眠りする

[RICOH GR Digital]
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by hatano_naoki | 2008-05-25 06:17 | 写真日記
イー・モバイルのS11HT(24)bluetooth keyboardをつなぐ
d0059961_1735863.jpg2ヶ月にわたるS11HTの環境整備の当面の終点と考えていたstowaway bluetooth keyboardの接続がようやくうまくいった。ドライバーの選択にせよ、入力切替(FEPTgl)にせよ、ここでも先人たちの経験と知恵の恩恵を受けてなんとかできたわけで、自力では不可能だったにちがいない。実にパソコン的世界だ。
危惧していた道具としての実用性は思いのほか高い。入力のレスポンスは速く、ATOKのおかげで快適そのもの。長文が苦もなく打て、書けそうだ。文章を書くという用途にしぼるなら、当面ノートPCは不要かもしれない。ここにきてわたしの極小PCプロジェクトは一応の完成をみることになった。つぎのステップは、そう、書くことだ。
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by hatano_naoki | 2008-05-24 17:06 | ネットとデジモノ
イー・モバイルのS11HT(23)「プッシュ」の終わり
auの携帯のパケット契約を解除し、音声通話だけにした。一方データ通信はS11HTに集約し、こちらは音声通話はしない。これを機にメールをこちらから取りに行く方式にした。携帯ならメールはどんどん着信するし、それが当たり前になっていたが、その今は常識であるしくみをやめたわけだ。メールは気がついたときにnPOPで読みに行く。
こういうやりかたは不便だろうか。やってみると実際のところ困ることはない。メールでチャットめいたやりとりをするならプッシュ方式を選択すべきだろうが、それであってもプッシュ式でなくてもできると、パソコン通信の時代を思い出して確信できる。あのころはメールは読みに行くものであり、頻繁に読みにいくこともあったが、それは時間の無駄というよりひとつの生きがいであったのだ。極論かもしれないが、これでプッシュから解放されたという気もする。
すべてをマニュアルで制御する。メールだけでなくRSSリーダーも手動で動かし、自動取得はしない。それをもって能動的情報取得などというつもりはないけれども、なにか清々した気分でいるのはたしかだ。
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by hatano_naoki | 2008-05-21 21:23 | ネットとデジモノ
Facebook
SNSサービスであるFacebookに登録した。
このサービスが基本的に実名でのコミュニケーションを標榜しているところに興味を感じたからだ。
だいたい匿名・偽名・名無しのコミュニケーションなどくずでしかないのに日本ではそういうくずのコミュニケーションが席捲しはびこってあれもこれも台無しにしている。今やインターネット上には死骸累々の荒野が広がっているといって差し支えない。Facebookがどこまでやれるのかはわからないが、とりあえずやってみようというスタンスだ。もうひとつ、これは基本的に日本に閉じたコミュニケーションではなく世界に開いているということが入ってみるとすぐにわかる。幼児なみの英語を駆使(?)して英語圏にコミュニケーションを広げてみようか。
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by hatano_naoki | 2008-05-20 12:42 | ネットとデジモノ
イー・モバイルのS11HT(22)rssリーダーとネットラジオ
その後もいろいろと試している。
こういう小さな端末にrssリーダーを入れるとなかなかの機動力であり、QVGAの狭小な画面でウェブをみるより実用的だと感じる。Opera miniを入れてみてIEよりは相当ましだがやはりこれはテキスト中心でいくべきだと思い、rssリーダーをいくつかためしたが今はとりあえずpRSS readerに落ち着いている。ニュースやブログを見ているがこれはこれでなかなか快適な環境だといえる。
もうひとつはネットラジオだ。昔からBeach FMのインターネット放送を愛好しているわたしは、Windows Mobile端末でWindows Media playerを使い、湘南の風を感じるコミュニティFMの放送を聴くことができて小躍りするほどうれしい。これでパケット定額の限界まで払うことが確実になった。
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by hatano_naoki | 2008-05-19 20:59 | ネットとデジモノ
スタバのタンブラー
d0059961_11375275.jpgスターバックスコーヒー大好きというマニアがいるらしいがわたし個人は特に気に入っているわけでもない。ただ店があちこちにあって入りやすいこともあって結果としてはよくいくといっていいかもしれない。
で、ちょっとした気まぐれでタンブラーを買ってみた。一番小さい8ozサイズの、もっともベーシックなタイプだ。店ではタンブラーをわきに置いている客をときどき見かけるけれども、それほど普及しているとも思えず、太めでかさばるし中のコーヒーがこぼれることもありそうで、要するにそれほど評価していなかったのだが、実際に使ってみると思いのほか楽しいのだった。わたしがどう楽しいかといえば、ひとつにはタンブラーを手で触ったときの感触とちょっとくびれたデザインからくる快感がある。デザインそのものにはちょっと無神経なアメリカ的気分があってそれもなかなかいい。結局のところスタバの作戦にはまってしまったわけでくやしいといえばくやしいが、このシステムがコーヒーチェーンと消費者との距離を縮める役割を果たしているのが実感される。たぶんこれからはしばしばタンブラーをかばんに入れてでかけることになるのだろう。
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by hatano_naoki | 2008-05-18 11:38 | 写真日記