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Bophana活動休止
Bophanaのブログを久しぶりに見に行ったら、今日書き込まれた活動休止のメッセージが目に飛び込んできた。
Bophanaのブログのプロフィールには「山田里香(Vo.&Shaker)、小池龍平(G.&Vo.)、織原良次(B.)による サンバ、ボサノヴァ、MPB等のブラジル音楽を独自の解釈で演奏するアコースティック・トリオ。2003年4月結成。」と書かれている。
ボーカルの山田里香さんとは偶然知り合って一度か二度会ったことがある。それも彼女の音楽性に魅力を感じたからではなく、お母さんがカンボジア人だというのがわたしにとってのキーワードであったので、そこからシハヌーク時代にプノンペンに住んだことのある彼女のお父さんにインタビューすることにもなり、その結果は『キリング・フィールドへの旅』の中に書いた。
彼らの音楽についていえば野外ライブをちょっとだけ聴いたことがあるという程度でしかなく、そのときもはっきりいって彼女の声だけを聴いていた。しかし人間の歌声というものは実に感情を載せて飛翔する乗り物であるので、そのライブは実に印象深く豊かな感情となって記憶に残った。
ある音楽的な結合がほどかれてそこにいたメンバーがゆっくりと拡大する星雲のようにお互いの距離を広げてゆく。そこでなにが起き、どのようなプロセスをたどっていくのかはわたしにはわからないが、一抹のさびしさのようなものを感じるのは事実だ。
わたしの知る歌い手がこれからどのような旅に出るのか、なぜだか気になる。
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by hatano_naoki | 2008-06-30 21:05 | 歌が私を・・・
イー・モバイルのS11HT(27)テーマを作る
d0059961_17414076.jpgWindows Mobileの特徴のひとつであるテーマを作ってみた。使ったのは幻律である。
使いやすいテーマ作成ソフトだがテーマ作成のためにはかなりの数の設定をしなければならない。もちろんこれは作成ソフト側の問題ではなくWindows Mobileのテーマというものの性格による。
いくつかテーマを作ってみて、これはようするにカスタマイズの楽しみだが、Windowsの壁紙よりあれこれいじれるので工夫のしがいもあると思った。はまる要素がある。ただ狭小な画面にさまざまな情報を表示するとせっかく作ったテーマも見えにくくなるのが残念だ。テーマ作りはおもしろいが、道具としての活用に時間を使いたいのでここは我慢しておこう。
ひとつだけだが、ダウンロード可能にしておくことにした。

Windows Mobileテーマ(浦添ようどれの石垣)QVGA/172KB
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by hatano_naoki | 2008-06-29 18:32 | ネットとデジモノ
境川河口
[RICOH GR Digital]
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by hatano_naoki | 2008-06-29 08:12 | 写真日記
英語で話すと積極的なわたし
ロイターの記事によると、「2つの文化に順応し2つの言語を話す人たちは、話す言葉によって無意識に性格も変えている」という研究結果が発表された(ニューヨーク市立大学バルーク校とウィスコンシン大学ミルウォーキー校のチームが、バイリンガルのヒスパニック系女性グループを対象に実施したもの)。「被験者の女性たちは英語を話すときよりもスペイン語で話すときに、自分がより積極的に自己主張すると答えた。また、この変化はバイリンガルでも1つの文化のみに適応する人たちよりも、バイリンガルで2つの文化に順応する人々の間でより顕著だった」ということだ。
わたし個人にとっても、この結果には大いにうなづけるものだある。わたしの場合、母国語以外にはわずかな英語が話せるだけだが、それでも英語を話す自分の人格が積極的で明確な意見を持った方向にシフトしているのを感じる。
それは英語という言語の論理性があいまいな思考を許さないからではないかと思うし、自分の中の積極性が外国語を媒介にして活性化する、つまり隠れていた積極性が出口を探していたというふうにも思う。
あるいは単に英語に仮託して自分の変化を楽しんでいるだけなのかもしれない。さらにいうなら日本語を話すとき、つまり日常の時間の大半だが、普通に話される日本語のあいまい性の部分をあえて拡大して遊んでいる自分を感じている。
いずれにしても英語を話している自分が明快で好きだ。そのときわたしは明らかに違っていて、日本語では決していわないことを言っている。
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by hatano_naoki | 2008-06-26 12:59 | 日日
偽マルテの手記
『偽マルテの手記』というタイトルが唐突に浮かんできた。
『マルテの手記』はライナー・マリア・リルケがパリの滞在体験をもとに書いた小説だが、わたしは高校生のころに読んだ。ただし、そこに漂う空気が好きだったが結局熟読することはなかったと思う。
それから何十年も経っていまだにこの小説の記憶が自分にとって危険なほどに身近に感じられるので、それならば偽マルテというタイトルを採用してもいいだろうと考えた。
このタイトルを動機としてなにかを書いてみよう。
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by hatano_naoki | 2008-06-24 21:34 | 日日
チベットの今日
チベットのニュースを聞かなくなってしまった。
かの地でなにが起こっているのか、もうわれわれは知ることができなくなっており、チベットに特に深い関心を寄せているひとにぎりのひとたちだけがチベット人たちの運命を憂いている。
以前からときどき見に行っているチベットの専門サイト、I love Tibet!にはチベットの状況が簡潔にわかりやすく述べられている。このサイトはもともと政治的ではなかったはずだが、現実のチベットが強い抑圧のもとにあることが世界的な規模で明らかになった以上、そのことに触れないわけにはいかないだろうし、その結果サイトが政治性を帯びることからくる苦渋を想像できる。
なぜかといえばわたしもまたカンボジアの専門サイトとみなされるウェブサイトを作り運営しているからだ。カンボジアの今日の現実はチベットとはくらべものにならないにせよ、正義が社会を律しているとはいえない、憂鬱な側面を持っている。わたしはそのことをサイト上で訴えたことはないが、それはサイトに政治的な色を与えたくなかっただけでなく、政治的な批判だけが一人歩きすることに危惧を感じるからだ。今日の現実は歴史を負っている。今日にいたる歴史、その経緯を知ることなく単に弾圧や抑圧を訴えることに不安を感じる。
ただし刺激的な体制批判ではなく、社会の現実のさまざまな局面を知らしめることによって読者がみずから理解していき、体制の実態をつかむならばそれが望ましいことだと思うし、そういうスタイルでやっていきたいと考えている。
チベットの場合も、暴動と弾圧という暴力の衝突の構図ばかりが強調され、なぜそうなったかはわずかに説明されたにすぎないような印象を受ける。つまりチベット人たちの絶望はうまく伝えられなかった。
あっという間に忘れられ、あるいはそう仕向けられたチベット。世界はなぜこれほどまでに不条理なのか。彼らの絶望はこれからが本番だというのに。
心の奥底でチベットを忘れないでおくつもりだ。
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by hatano_naoki | 2008-06-21 22:23 | 日日
発信?
パソコン通信にはじまってインターネットの時代になってからも自分の器に合わせた「発信」をしてきたと思う。
発信する者がえらいとかそういうことを言いたいのではない。気がつくと周囲に誰もいなくなっていた、仲間の姿が見えない。そういう気がすることがある。
時間がたてばひとは変わり、その境遇だけでなく意識も変容するのは当然のことだ。また昔のネット上の友人たちのブログを発見することができないからといって彼らがネット上における攻撃的なポーズを捨てたときめつけるのも早合点だろう。
しかし、それでも、孤立しているという意識が消えない。自分がネット上に曲がりなりにも存在しつづけることを通じて新しいひとびとと知り合うことができたし、今も新しい人間関係が生まれていてそのことは幸運だと思っているが、基調になっているのがはぐれた感じだということを否定できない。
発信とはなにかと考えてみればそれはたいしたことではなく、ブログを地味に書き続けたりウェブサイトのコンテンツを増やしたりといったことで、そのことが誰にどのような力を及ぼし、なにが生まれているかもわかりはしないが、それでも自分が自分の内部に生じたアイデアや感慨や思考の断片を世の中に展示し、その前をわずかなひとびとが通過していくことは感じられるし、それがわたしにとっての他者というものの心象の一部をなしている。ほとんどの場合、それが誰かはわからないが、すくなくとも他者の手触りがある。
こうした「発信」は今では誰でも出来る手軽なことで、あえて「発信」というほどのことでもないのだろうが、わたしとしてはそこになんらかの前向きの価値を見出したいし、「発信」の内容にある種の矜持(きょうじ)を持ちたいとずっと願っている。それにはどうすればいいのか、教科書もマニュアルもなく、ひとりで考え続けるしかないのだが。
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by hatano_naoki | 2008-06-21 18:32 | 日日
沖縄勉強ノート(127)池宮城積宝『奥間巡査』
池宮城積宝(いけみやぎ・せきほう)の短編、『奥間巡査(うくまぬじゅんさ)』を読んだのはたまたま青空文庫にあったからで、沖縄が舞台だったからにすぎない。
作者は青空文庫の解説によると1893年に生まれ、1951年に亡くなっている。沖縄出身で、新聞記者や中学の英語教師などを勤めた後、創作をしながら放浪したという(大野晋による解説から抜粋)。また琉球新報刊『沖縄コンパクト事典』によると生まれは久米村だそうだ。沖縄戦による作品・資料の喪失のせいもあって作者についてはよくわかっていないらしい。
短編だからすぐに読み終えた。
まず面白く感じたのは、主人公の生まれて住む"部落"が久米村を想起させることだった。文中で描かれる部落は貧しくて差別されていて、かつて琉球の政治と文化に大きな影響を与えた歴史の中の久米村とは似ても似つかないが、小説の中の創作部分なのか、明治以降に実際にそういう側面があったのかはわからない。
うすっぺらな感想を言う前にまず、この小説がシャトルとなってわたしの中で横糸を曳きながら動いていったことを書き留めておきたい。これまでの自分の沖縄についての勉強を縦糸とすれば、この小説が横糸だ。そこで描かれるひとびと、本土からきた警官、辻遊郭といった要素に奇妙になつかしさに似た感慨を抱く。それはつまりこれまで断片として知ってきたいくつものかけらが結びついて人の生きる世界をかたち作っていたという当たり前の事実に思い当たることであり、それらの断片に人の息が吹き込まれることだ。この作品がどのような意図で書かれたかをこえて、そういったディテールとそれらがコラージュのようにつむぎだす世界のイメージがわたしにとってのすべてだったといっていい。
これを歴史史料として読むには注意を要するだろうが、一瞬一瞬きらめくリアリティのようなものが印象的だった。
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by hatano_naoki | 2008-06-21 05:52 | 沖縄勉強ノート
イー・モバイルのS11HT(26)三ヶ月目のスマートフォン
d0059961_2333027.jpgS11HTを使い始めて3ヶ月がすぎようとしている。
ここまできて、動作がおそくなったりハングしたりするようになり、「やっぱりWindowsだな」と思う。一部の動作が不安定になったのにはソフト同士の相性も影響しているような気がする。
結局この小さなPCをどう使っているか。
最近はインターネットラジオ、ムービープレーヤー、音楽プレーヤー、青空文庫のビューワー、gmailを読む道具などとして使いまくっているが、最大の活用方法はstowaway のbluetoothキーボードとの組み合わせで文章を書くことだ。これほど小さなPCで文章を書く楽しみはこれまでに味わったことがない。
最近、bluedotから出ている小さなスピーカーを買った。おそらく最小のモバイル用スピーカーだろう。リチウム電池を内蔵していてUSB充電ができるところが気に入った。驚くほど短いUSBケーブルとUSB端子のある充電器が付属している。当然、音質はそれなりだが意外にがんばっている。あとは気に入った小型のbluetoothヘッドセットを見つければ完璧だ。
WM6.1が発表され、ずいぶんスペックがあがっているようだが、このWM6のチープさも捨てがたいものがある。EeePCのユーザーたちのように、資源の貧弱さを楽しむ気分がこの機械にもあると思うし、資源が豊かになったからといってわれわれが幸せになるわけではない。むしろ制約の中でわれわれは豊かになれると、これらの小さなPCが教えているような気がする。
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by hatano_naoki | 2008-06-19 22:47 | ネットとデジモノ
moumoonを聴きながら
夕方、新宿駅近くを歩いていたら路上ライブがはじまるらしかったので立ち止まって待った。路上といっても新宿通りと靖国通りを結ぶ幅広い道で、普段は車も通っているがけやきの並木があっていろいろなイベントが行われる。
ライブはmoumoonという聞いたことのないデュオで、女性のボーカルが歌い始めると張りのある歌唱が新宿の雑踏を圧倒した。その最中、googleでこのデュオがどんな存在なのかを知ろうとする。3分後には彼らのおおまかなプロファイルをつかんでいた。それなりに知られているらしく、インストアライブをこなして次のステップを狙うというような位置にいるらしかった。
歌い手というものは、大衆から突出した存在なのだなと思う、芸能一般がそうだといってもいい、声で語りかけ、存在をさらして生身で表現する。それにくらべたら文章を書いて本にして本屋に並べて買い手を待つなんて相当にささやかな行為だ。
路上でわたしはひとりだが、雑踏はそれほど凶暴ではなく、むしろくつろいだ雰囲気さえ感じる。この盛り場をもう何十年も知っているから、これまでにわたしが歩いた足跡をすべて残しておいたならそれだけで街路の地図が描けるかもしれない。路上でライブを聴くわたしはとてもくつろいでいたに違いない。
moumoonはそれなりによかった。彼女の歌はわたしの周囲を浸し、その水位はゆっくりと上昇していった。
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by hatano_naoki | 2008-06-19 22:07 | 歌が私を・・・