<   2008年 11月 ( 25 )   > この月の画像一覧
『グローバルな規範/ローカルな政治』
d0059961_2113936.jpg『グローバルな規範/ローカルな政治』の一編、「パリ和平協定後のカンボジアにおける『民主化』の検討」(山田裕史著)を読んだ。
この本は上智大学出版から出ていて、地域立脚型グローバル・スタディーズ叢書の一冊ということになっている。内容は二部構成で、第一部が「グローバル化の中の民主政治」、そして第二部の「民主主義はグローバルな規範なのか?」の冒頭が本稿だ。
世界を見渡してみるといわゆる西欧型民主主義はそれほど成功していない。われわれが意識することなく標準として受け入れてきた西欧型民主主義が追い求めるべき国家像であるのかどうか、さまざまなかたちでの異議申し立てが顕在化しているなかで、疑問が拡大しているというのがわたしの個人的な状況だが、本書のタイトルはなかなか示唆的だ。それはおそらく国ごとの状況の多様性を見ずしてステレオタイプの民主主義像を語ることの危険性を指摘しているのだと思うのだが、カンボジアについてもその民主主義的な装いの内実がどのようなものであるのか、それほど知られていないのだと思う。
非民主主義的な体制は民主主義的な体制の前段階であり、一種のポイント評価システムによって、どれだけ状況が「改善」されて民主主義に近づいたかが測られる、そういう考え方を自然に受け入れてきた。民主主義が到達すべき歴史の必然だというような意識。ところが実際には非民主主義的体制は世界にあまねく存在し、西欧型民主主義のほうに接近してくるのではなく、今まで見たこともないような社会を作り始めているようなのだ。
カンボジアがおだやかな民主主義国家だと感じて、あるいはそういう具体的な用語では意識しないにせよ独裁的で専制的な国だとは感じずに、つまり体制に批判を持たないで帰ってくる旅行者は多数を占めるだろう。では実際はどうなのか?
カンボジアの「民主主義」の実体とはなにかということについて、著者の分析はわかりやすい。ポルポト政権時代からベトナム支配、UNTACの暫定統治を経て現在にいたる長い時間を生き延びてきただけでなく、ますます権力基盤を強化しているようにみえる一群の支配的グループと、彼らが操縦してきたカンボジア人民党の体質と構造についての研究は多くはないらしく、その意味でも本稿は現代のカンボジアを理解する上で大切な情報となると感じた。

地域立脚型グローバルスタディーズという概念は、「刊行にあたって」の短い文章からみるかぎり欧米主導の従来のグローバルスタディーズに対する批判と反省から出発しているらしく、「『地域』の人びとの立場からグローバル化に向き合」う」というのが基本的な姿勢だという。
本書の構成はつぎのようになっている。
第1部  グローバル化のなかの民主政治
 現代日本の「ナショナリズム」とグローバル化(中野晃一)
 新自由主義改革の政治分析(三浦まり)
 食の安全をめぐる政治(早川美也子)
 EUと国民国家のデモクラシー(河崎健)
第2部  民主主義はグローバルな規範なのか?
 パリ和平協定後のカンボジアにおける「民主化」の再検討(山田裕史)
 グローバル・スタンダードとしての民主主義(岸川毅)
 ポルトガルにおける民主化と欧州統合(西脇靖洋)
 南アジアにおける女性の政治参加とグローバル化(北川将之)
[PR]
by hatano_naoki | 2008-11-30 02:19 | カンボジア
第26回カンボジア勉強会のお知らせ
ここ数年、カンボジア勉強会という小さな集まりをやっています。
次回の案内を掲載しておきますから興味のある方はどうぞ。

開催日時  2008年12月6日(土)午後1時半~5時
内容
(1)映像で見るシハヌーク時代
シハヌーク時代(第二次世界大戦後の独立から内戦がはじまるまで)は
カンボジアに一定の平和と繁栄がもたらされた時代でした。
当時の記録映像でシハヌーク時代を感じてみたいと思います。
(2)未定
開催場所 上野桜木・旧市田邸
会場費  500円(当日会場でお支払い下さい)

くわしくは、こちらで。
[PR]
by hatano_naoki | 2008-11-29 07:32 | カンボジア
プレアヴィヘア問題の背景
クメール研究会の講演会を聴きに行った。
講師は今川幸雄さんで、演題は『プレアビヒア寺院とカンボジア・タイ国境問題』。タイムリーなテーマのせいか、聴衆はいつになく多かった。
この問題の本質を理解しようとすると、結局タイ(そしてその前のシャム)とカンボジアの長い歴史に戻らなければならないことが、今川さんの話からもよくわかる。
この1000年のあいだにタイ(シャム)とカンボジアの領域はずいぶん変化している。その間、領域なるものも山(=分水嶺)や川といった自然地形をのぞいてラインとしての国境は意識されていなかったように思われる。両国間で国境が地図上に描かれる明確なラインとして意識されたのはおそらくフランスがカンボジアを保護領としてからだろうし、それはつまり近代的な国家が人工的なラインとしての国境の概念を生み出したわけで、フランスとの国境の策定交渉にあたってシャムの側にはその認識が希薄だったようにも読める。プレアヴィヘアをカンボジアの領土内に引き入れたフランスは狡猾だったが、それはフランスの狡猾であると同時に近代の狡猾というものだ。近代との距離がタイとフランスの態度の差に表れていた・・・そのように感じられる。
国際法上、プレア・ヴィヘアがカンボジアの領土であることはあきらかだが、タイの政権がどのように変遷していこうとも、経済価値のあるこの世界遺産をタイがますます経済的に支配していくのは明白だ。カンボジアの所有は風化し、タイの経済が遺跡を我が物顔に跋扈する。
[PR]
by hatano_naoki | 2008-11-28 20:28 | カンボジア
新型インフルエンザの恐怖
核戦争や大地震よりも発生が確実視されていて、その威力はもしかするとこれらを上回るかもしれないのが、いずれかならず発生すると考えられている新型インフルエンザだ。これに対する恐れから、最近は食料の備蓄計画を具体的に考えるまでになった。感染を防ぐには感染者との接触を避けなければならず、つまり自宅にこもることになるわけだ。
備蓄といっても数ヶ月分を家庭内に備蓄するのは大変なので、まずは2週間分を備蓄し、発生が報告された時点で1ヶ月以上の備蓄に移行することにしたいと考えている。食料だけでなく、自宅内でとどまって長期間外に出ない場合、必要になるすべての物資を備蓄しなければならないわけで、それを考えると大変な事態だ。
厚生労働省のウェブサイトでは新型インフルエンザについて、次のように述べている。
『20世紀では、大正7年(1918年)に「スペインインフルエンザ」、昭和32年(1957年)に「アジアインフルエンザ」、昭和43年(1968年)に「香港インフルエンザ」、昭和52年(1977年)に「ソ連インフルエンザ」が流行しています。これらはいずれも世界的に流行し、時に多くの死亡者(たとえば、「スペインインフルエンザ」において、世界では約4,000万人、わが国では約39万人が死亡)を出しました。こうした「新型インフルエンザ」は、10年から40年の周期で流行してきましたが、次の新型インフルエンザがいつ出現するのか、予測することはできません。なお、過去の例を見ても、流行の季節は冬とは限りません。』
感染を抑えるには人が集まり、移動することを制限しなければならないから、鉄道を止め、会社を休業し、店舗を閉めることになる。体内に免疫が存在しないから感染すれば終わり、ということだ。感染を防ぐことこそが最大の対策で、つまり社会活動そのものを休止して嵐が通り過ぎるのを待つことしかない。おそろしい状況だ。

追記
くだらない金のばらまきに対する批判が強いが、新型インフルエンザ対策=保健衛生面での国家安全保障にその全部を投入するのは国家のとるべき戦略的行動のひとつだと思うのだが。

追記その2
日本のマスコミでも「こわいよ」という警告は行われているけれども、防御の具体的な方法の告知が弱い、つまり具体性に欠けているのが極めて日本的だ。
どの程度の防御でどの程度防げるのかが知られていないのは、危険があまりにも深刻だからというふうにも読めるのだが。
[PR]
by hatano_naoki | 2008-11-26 21:22 | 日日
落葉
[RICOH GR Digital]
d0059961_2123477.jpg
[PR]
by hatano_naoki | 2008-11-25 21:23 | 写真日記
ubuntuその後
d0059961_22443026.jpgubuntuのUSBメモリへのインストールにはインターネット接続が必須だが、ここしばらくなぜかubuntuからのインターネット接続ができなかった。それが突然に接続可能になり、無事にubuntuのUSBメモリへのインストールと起動ディスクの作成が終了した。
起動ディスクは名刺大で、これとUSBメモリを合わせた『ubuntuキット』を持ち歩くのはなかなか楽しそうだ。
ubuntuで使えるソフトは基本的なものはほとんど揃っており、特殊な使い方をしなければWindowsは要らなくなりそうだ。
ubuntuの第一印象は"cool"だということだ。非力なハードで軽々と動作するし、環境一般のグラフィックの要素もセンスがいい。しばらく付き合ってみようかと思う。
[PR]
by hatano_naoki | 2008-11-23 22:44 | ネットとデジモノ
アスファルト、白線、水道制水弁
水道制水弁とは配水管の終点や分岐点などに設けられ、非常時などに水を止める弁を指すらしい。

[RICOH GR Digital]
d0059961_16142817.jpg
[PR]
by hatano_naoki | 2008-11-23 10:08 | 写真日記
過去を思わず
おそらく過去をなつかしんだことはない。基本的に過去がない。
少し前までは過去というのは文章を書くときにだけ立ち現れる一瞬の幻のようなもので、日常の感覚としては現在と未来しかなかったが、今は未来すらうっすらと消えかかっていてほぼ現在しかない気がしている。
過去をなつかしむ習慣がない理由は、第一に誇るに足る過去がないということかもしれないが、過去を思い出して、昔はよかったとなつかしむ姿勢そのものを嫌っているということの反映であるのもまた間違いない。
過去の記憶というのは一種の繭のようなもので、そこに入り込めば時間と理性は停止し、感情が生き生きとしてくる。回顧し詠嘆し、それによって自分を癒し、なぐさめるやさしい時間。こういう構造そのものが大嫌いなのだ。
過去などどうでもよくて、過去の延長上に今の自分があるとも考えない。過去にかかわるとすれば、それは鮮烈な記憶の瞬間のコレクションの一方法としての関与であってそれ以上でもそれ以下でもない。こういう意識は「消えかかった未来」に直面するとき、さらに過激になってくる。
[PR]
by hatano_naoki | 2008-11-22 23:39 | 日日
晴天
[RICOH GR Digital]
d0059961_17453630.jpg
[PR]
by hatano_naoki | 2008-11-22 17:45 | 写真日記
新宿B級グルメ
d0059961_8445392.jpgうまいモツ煮はないかと探していて、ここはと思い、新宿3丁目末広亭近くの「沼田」に行ってみた。ちょうど長テーブルが空いていて角に座れたのはラッキー。店の雰囲気は活気があって悪くない。接客もテキパキしている。
つまみは小皿に盛られて出てくる。一皿の量は少ないがだいたい400円前後と安い。レバテキ、モツ煮込み数種のうちから塩ニンニク味、センマイ刺を注文したがいずれもおいしい。全体的に味が濃いが酒のつまみにはちょうどいいようだ。メニュー全品目を制覇することに決めた。
ビール一杯つまみ二品で30分いて、さらっと帰るのがいい。

この店じたいはほんの数年前にできたばかりで、レトロ調の店作りをマーケティングの基本にしているグループの一業態ということらしい。皮肉な言い方をすれば、昔からやっている、そして時代的にも数十年前の店の雰囲気を、たとえばナンジャタウンのように人工的に作り出している。本物かにせものかで二分すれば、にせものに属していることになる。
しかしそれであっても一定の味と雰囲気はたしかにあるわけで、好きか嫌いかで二分すれば好きに属しているという感じだ。
(写真:厚切りのレバサシ。表面をあぶり、刻んだ玉ねぎがたっぷりかかっている)
[PR]
by hatano_naoki | 2008-11-22 08:53 | 日日