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Wikipedia on Windows Mobile(2)
d0059961_7274474.jpgWikipediaをWindows Mobileで持ち運ぶことができるようになった。
900MBもあるこの巨大なオンライン百科事典をイーモバイルのS11HTにいれてみた。正確にはこの常に成長し変化するとらえどころのない情報のかたまりのようなもののある日の断面に過ぎないが、それでも持ち歩けるのはすごいことだ。データ量は広辞苑の実に30倍もある。
データについては、安易な道を選んでBitTorrentをインストール、変換済のデータファイルをダウンロードした。しかしtorrentには、そのしくみは一応理解できるものの、一抹の不安があるのが正直なところだ。
Wikipedia、広辞苑、英和和英などが爪の先のように小さいmicroSDHCカードにつまっているのは不思議な気さえする。

最初の感想。
動作は速く、実用になりそうだ。狭小なQVGA画面でも十分読むことができる。
ところでWikipediaの英語版には273万件の記事があり、次いでドイツ、フランス、ポーランド。日本は記事数56万件で五番目だという。
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by hatano_naoki | 2009-02-28 00:24 | ネットとデジモノ
Nike Sport Bandがほしい
本来は効果的なランニングを支援するツールという位置づけの製品だが、単に時計としてもクールなデザインだ。入手困難な状態が続いていると聞くとますますほしくなる。USBマニアのわたしとしてはUSB端子付の時計だと思うだけでワクワクする。これを買ったらダイエット・ランナーの仲間入りをしようか。こういう機械はモチベーションを高める祭祀の器具だといってもいいが、それでもかまわない。

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by hatano_naoki | 2009-02-23 22:44 | ネットとデジモノ
秋葉原駅
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by hatano_naoki | 2009-02-22 19:38 | 写真日記
今頃になってEeePC 4G-X(5)
愛用しているデスクトップ(Mouse Computer LM-M100S)がノートPC用のメモリを使用していることがわかっただけでなく、EeePC 4G-Xと同じ規格(SODIMM DDR2 5300)だったので、メモリを増やしてみようと思った。こういうときのパソコンはおもちゃだ。
秋葉原で買ったTranscendの2GBは2,200円台。これと同じ規格のメモリの底値はいまや2,000円以下になっている。
まずLM-M100Sの2本のスロットのひとつに入っていた1GBを抜き、2GBを挿した。もうひとつのスロットは空のまま。次にEeePC 4G-Xの512MBメモリを抜いてさきほどの1GBを挿し、抜いた512MBはLM-M100Sの空きスロットに挿す。いずれも問題なく認識した。これでLM-M100Sのメモリは1GBから2.5GBに、4G-Xは512MBから1GBになった。どちらも十分すぎる。
4G-XにはERAMでramdiskを256MB設定してtempファイルとFirefoxのキャッシュを移す。こういうノウハウがインターネット上でいくらでも発見できるのはありがたいことだ。
メモリ強化とRamdiskの効果ははっきりしないが、どちらのマシンも動作がいくらかきびきびした印象だ。
ついでにeeectl改造されたiniファイルを組み合わせてクロックのコントロール。仕様では600MHzに下げているがACではCPU本来の900MHzで、バッテリーでの運用では466MHzが実用的ではないいかと思った。
発売後一年が経ち、ユーザーが遊びつくしてしまった感のある4G-Xだが、最後発ながら今でもおもしろい。
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by hatano_naoki | 2009-02-22 14:22 | ネットとデジモノ
配管
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by hatano_naoki | 2009-02-18 12:51 | 写真日記
ネットを書く・その後
ネットの人間模様をあまり重くない文体であれこれ書こうとしているが、どうもおさまりが悪いというか、立ち位置があいまいというか、書きたい・書かなければという気持ちと結果とが乖離しているのが悲しい。人前には出せんなあという感じ。
ネットでの見聞やその感想を気楽に書けばそれでいいのかもしれないが、それでは15年前に書いた雑文以下ではないか。進歩がないなあとちょっと呻吟。
しかしなにしろネットについて書きたいという気持ちはあるので、もう少し迷走してみようかというところだ。
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by hatano_naoki | 2009-02-15 20:18 | 日日
mixiニュースから
mixiニュースでおもしろいトピックを2つ見つけた。

ひとつめはシンガポールの華字紙「聯合早報」の記事の抄訳らしいが、「現代中国語の社会や科学、文化の分野で日本語を由来とする言葉が7割を占める」という記事。
日本で生まれた単語、たとえば人気、写真、新人類、職場、達人、健康、衛生、文化、時間、労働、生産などが中国で日常的に使われているという。
言葉が近隣の国を行き来する(輸入、逆輸入)現象は一般的だと思うけれども、現代中国で日本生まれの単語が使われているとは思いもよらなかった。ただしこの記事の信憑性については保留。

もひとつはケスラーシンドローム。
この間、イリジウム計画で打ち上げられたアメリカの通信衛星とロシアの衛星が宇宙空間で衝突したが、こうした事故がさらに増加し、地政学的問題を招く可能性があると指摘されているという(ソースはロイター)。
この衝突で少なくとも600個の破片が散らばったという。興味深いのは、こうして生まれた破片が次の衝突を起こし、加速度的に衝突と衛星の破壊がふえていくと予測されていること。これをケスラーシンドロームと呼ぶ。詳しい解説がWikipediaにあった。
破滅のモデルのひとつとして興味深い。
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by hatano_naoki | 2009-02-15 18:08 | 日日
憂鬱な東アジア
昔空想していたのは、対馬海峡にトンネルを掘り、東京を出発した列車がこのトンネルを通って朝鮮半島を縦断し、それから大陸を西にひた走ってパリまで、あるいはロンドンまで行くことだった。
そのとき日本は英仏海峡トンネル完成後の英国のように島嶼国家ではなくなり、大陸の一部となっていく。
こういう夢想は、しかし少なくともここ何十年は(あるいはもっとずっと長い長いあいだ)実現できないように見える。隣人たちとは仲良くしなければならないし、仲良くなれば周囲は安定し、大きな経済的利益が生まれるはずだが、現実はそうはなっていない。朝鮮半島はいまだに不安定であり、北朝鮮は過去もこれからもずっと日本ののど元に刺さった小さいが鋭い棘だ。核武装を済ませた空想的独裁国家が崩壊するとき東アジアに何が起きるかは誰にもわからない。中国は日に日に巨大化しつつあり、いずれその経済力と軍事力によって東アジアにおけるアメリカの覇権を奪うかもしれず、そのとき日本は中国の傘の下で生きる選択をせざるをえなくなるわけだ。アメリカが永遠に日本を庇護する善良な隣人だという思考をとても持続できない。
・・・というようなことをときどき考えるが、実際にはわたしもまたそういう状況を支える信仰と哲学を欠いた芯のない標準的日本人であり、無防備な国家の作った繭の中でまどろんでいる。突破するにはどうしたらいいのかがわからない。
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by hatano_naoki | 2009-02-15 17:17 | 日日
青空
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by hatano_naoki | 2009-02-14 17:26 | 写真日記
どう生きる?(4)
世界的な経済状況の悪化が進み、先が見えない。戦後最大の不況などといわれるがこれからどうなるのか。根拠もなにもない個人的イメージにすぎないが、いちおうメモ。
今後少なくとも10年、あるいはそれ以上、世界全体にとって苦境が続き、これまでわれわれがかんがえてきたような景気なるものは回復せず、新しい枠組みが発見できないならば「不況」は常態化し、恐慌めいた状況が世界を圧迫する。そこまで悪い状況に運良くならなかったとしても見通しの悪い霧の中のような状況が長期にわたって続く。もっとも考えられるのは恐慌寸前の低空飛行、破滅の手前の状態での綱渡り的緊張が持続することだ。
・・・というようなイメージがわくが、繰り返すが根拠はない。しかしどうも明るい展望を描けないのは悲しいことだ。ことによると生きている間ずっと不景気あるいはそれよりも悪い状況とつきあわなければならないというわけだ。そういう世界の中でどのように生きていけばいいのか、国家が新しい生き方を探さなければならないように個人もまたひとりひとりが新しい自分の生き方を創造しなければならないように感じる。

ずっと昔、20年ほど前のインターネット前夜にこう書いたことがある。

 時代というものは、時々ハードルを用意してわれわれに挑戦してくる。そのハードルを越えられる人とそうでない人との間にある決定的な差異が生じて、それが生活レベルの差となり、社会的な上昇と下降のきっかけになる。歴史の中の勝者と敗者が生まれる局面に他ならない。ただし、ひと昔前のBASIC 学習ブーム(?)の例のように、真にハードルであるのかどうかは多少時間が経ってみないとわからない。結局は自分で判断して、時代に賭けることになる。ここでは、これからの「時代のハードル」として,単にパソコンを使えるかどうか、キーボードが打てるかどうかだけではなく、パソコン通信やインターネットによるオンラインコミュニケーションのスキルをあげることにしたい。
 ネット上にはオンライン感覚なるものが存在する。それは他人と深くつながっているという感覚だ。どのようにつながっているかといえば、大勢の人とあらゆる方向につながっている。その誰とでもコミュニケーションがすばやくでき、大量の情報を難なく送ったり受け取ったりできる。豊かで自由な感覚だ。はじめはオンラインでコミュニケーションしているときにだけ感じられるオンライン感覚が、やがて人生の全体を覆い始め、ネットワーカーという属性を持つに至る。
 ネットをやっている人だからといって、必ずしもこのオンライン感覚を知っているとは限らない。私が思うには、パソコン通信に接続している画面をはじめて見た時にそこに人間を見る人と、単なるコンピュータ画面を見る人のふたつの種類の人間がいる。前者はたぶんオンライン感覚を理解する素質がある。オンライン感覚とネットワーキングの意識はもしかするとかなり近いものであって、この両者を理解するどうかが、これからの時代を生き抜くキーワードである。
 ではオンライン感覚とはなんだろうか。それはおそらく楽観的な想像力のことだ。自分の向かっている端末の向こうに人がいて世界がある。人と人とはお互いに理解ができ、コミュニケーションは何ものかを生み出す。そのような可能性を持った人たちがいまの瞬間、自分と同じようにして世界のどこかの通信端末の前にいる。距離に(さらには時間に)隔てられながらも、自分と同じように肯定的な世界観を持った人たちとのコミュニケーションチャンスが自分の前に開けている。それは極めて生産的で創造的な感覚である。
 一方で、オンライン感覚なるものがぜんぜん分からないという不安を感じる人がいま現在も存在し、これからも続々と登場するはずだ。急拡大するオンラインコミュニティの内外で、オンライン感覚の欠如の不安もまた増大していくのではないか。それはいるの社会にあてはめればクルマの免許を持っていないというような種類の不安だ。
 オンライン感覚はまさに感覚のレベルの問題だが、ネットワーキングへの理解の欠如はさらに深刻かもしれない。社会がネットワーク型へ移行していくのはほぼ確実な時代の流れであって、通信ネットワークの整備とその上でのトラフィックの急増が拍車をかけている。ネットワーキングが理屈として受け入れられたというよりも、通信ネットワークというインフラがわれわれにとっての学校として機能し、その上でネットワーキングが実践的に理解されつつあるというのがパソコン通信のもうひとつの顔だ。
 パソコン通信やインターネットをビジネスに活用しよう、その上でもうけようと思っても、ネットワーキングとは何か、そこでコミュニケーションする人たちのオンライン感覚とはどんなものかについて理解していないならば、成功はおぼつかない。このへんにネットワーク上でのビジネスの秘密があるように思う。

・・・インターネットが普及しきった今、20年前に書いたような情報技術のハードルはもはや風化してしまった。
次のハードルはおそらく、世界の直面する困難にどのように対し、どう生きていくかという問いかけだ。「時代のハードル」がまたも現れた。
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by hatano_naoki | 2009-02-11 09:53 | 日日