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書籍版『沖縄勉強ノート』(仮題)を書く(5)
ようやく二割くらい書いた。
文体と内容がようやくシンクロしてきて、結果はともかく一定の水準で書き進めることができる状態になってきた。
これまでにさんざん書きかけてちらかしてきた残骸から少し拾い、以前に書いた文章も一部を使い、しかし大部分は新しく書くことで活路が開けたというような感じ。地味な作業があと一年も続けばできあがるかもしれない。心理状態は悪くない。書くことが自分を支えているのはたしかだ。いつものことながら本になる可能性は現時点ではまったくないが、半分くらい書いたら引き受けてくれるところを探し始めようかと考えられる余裕がようやくでてきたところだ。
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by hatano_naoki | 2009-06-28 18:02 | 沖縄勉強ノート
雨上がり3
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by hatano_naoki | 2009-06-27 20:29 | 写真日記
雨上がり2
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by hatano_naoki | 2009-06-24 20:26 | 写真日記
雨上がり
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by hatano_naoki | 2009-06-23 20:11 | 写真日記
ちょっとした思いつき
奇妙なかんがえかもしれないが、今後世の中はネットワーク化が進展する一方でそれぞれのノード(=個人、家庭、企業といったコミュニケーションの受け渡し点)のスタンドアロン化が際立ってくるのではないかと思っている。
ここでいうスタンドアロン化というのは雑ないいかただがおおよそ次のようなイメージだ。
現在では通信分野に限らず流通や電力などのエネルギー供給、人間の移動もふくめて広域化し高度にネットワーク化している。こういったネットワーク化を否定したらどうだろうか?
各ノードが電力を太陽電池パネルで可能なかぎり自給自足すれば電力供給ネットワークは増強しつづけなくとも済む。各ノードがそこそこの食料を(たとえば水耕による野菜の栽培とかで)生産し蓄積すれば、各ノードを支える流通ネットワークは小規模化できる。ネット上の遠隔学習システムは通学しておなじ空間で学ぶという現在の学校教育システムを通信教育システムのようなものに変えてゆく。ネットを利用した在宅型勤務が可能な職種はそうとうな数にのぼるはずだ。
こうして各ノードの自律性、自立性が高まればそれぞれのノードはある程度完結した小世界を形成することになり、その結果さまざまな危機(たとえば自然災害による電気・ガス・水道の供給停止、食料供給の停止)に対する耐性が高まる。
ひと、もの、情報が移動することが経済的価値創出の根幹だから、各ノードがスタンドアロン化し自足していき、自給自足型の生活スタイルが極大化すればこれまでの基準でいうならいわゆる経済規模は縮小していき、一種の地下経済が出現するだろう。
流通を否定するということは入手できる物品が身近にあるものに限られることを意味する。付加価値の低いもので我慢するということでもある。しかし人間の歴史の中で流通が高度化したのはごく最近のことであって、もともとは基本的に地産地消型だったはずだ。小さな村から一生でることもなく、自分で作ったものを食って生涯を生きた封建時代の農民の生活が再現されることはないだろうが、ネットワーク化が自動ロボットのように自己増殖をつづけている現在、いま説明したような「スタンドアロン化」の兆しと可能性を改めておもしろく感じている。
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by hatano_naoki | 2009-06-20 07:15 | 日日
android
d0059961_18204239.jpgAndroid OSをUSBメモリから起動できるということでちょっとした評判になっているらしく、自分でも試してみた。なぜかEeePC901-Xではうまくいかず、900HAでは起動できた。まだ雰囲気を楽しむ程度の造り込みで実用にはならないが、なかなか楽しい体験だった。
それほど遠くない時期に(ASUSTekのデモが予感させるように)Androidノートが出てきそうな気がするし、UbuntuやMoblinもいわゆるネットブックに載るだろう。Moblinはベータ版になった。非力な小型ノートPCにふさわしい軽いOSが新しい世界を見せてくれる時代がそこまで来ている。その予告編が"OS on USB Memory"というわけだ。
OSをUSBから起動すること自体、なかなか楽しい。CD/DVDドライブが不要になるのはもちろんだが、それ以上に自由の感覚があるからだ。linux系のOSはいろいろあるけれども、それらを材料にしてUSBメモリからのOS起動をもうすこし遊んでみたい。
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by hatano_naoki | 2009-06-14 18:17 | ネットとデジモノ
類型学、および博物学的世界観の視線
今月のBRUTUSに載っているベッヒャー夫妻(ベルント・ベッヒャー、ヒラ・ベッヒャー)の写真を見て、自分はまさにこういう写真を撮りたかったのだと思った。タイポロジー(類型学)という彼らの作品に対する後付けのキーワードも自分に合っている。

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by hatano_naoki | 2009-06-09 07:41 | 写真日記
エトルリアの偶像
d0059961_10571172.jpg昔、フィレンツェから市バスに乗ってフィエゾレの丘に登ったことがある。かつてエトルリア人が住んだところだ。そのためにエトルリアという固有名詞は今でもなんとなくなつかしく気になることばになっている。エトルリアについてはその起源も歴史も諸説があって、よくわかっていないということらしい。
写真は最近見つけたエトルリア文明の出土品。現代美術を思わせる造型だ。なんという、すばらしい。
進歩とか進化とかいうものはなく、あるのは変容だけだという感覚が私の内部で最近とみに強くなっている。
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by hatano_naoki | 2009-06-08 08:02 | 日日
無数の内臓
ネットを読んでいると無数の内臓に出会う。内臓という単語がそれほど頻繁に語られているとも思えないが、ようするに内蔵と書くべきところを間違って内臓と書いているだけのはなしだ。
そういうひとにとっては内臓も内蔵も似たようなものでたいした間違いだとも思っていないらしく、たまに注意するひとがいても反応するひとはほとんどいない。
私個人としては内蔵を内臓と書いて平然としているというような、文字表現に関する一級の鈍感さを「内臓」したひととは友だちになりたくないという思いだ。漢字に関するリテラシーの目をおおうばかりの低下がネットのそこらじゅうで展開されている。
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by hatano_naoki | 2009-06-03 20:13 | 日日