書籍版『沖縄勉強ノート』(仮題)を書く(15)
沖縄の原稿が(まだはっきりはしないものの)どうやら本になりそうなかんじになってきた。
大変にうれしい。
実際には手直ししたいところもあるし、あれこれまちがいがあったりもするはずで、不安な原稿ではあるけれども、とりあえず先がみえてきた。
具体化していくようならば写真や図版をできるだけ多く入れたいと思っているのでそれらを準備しなければならない。特に図版は書き起こすのに時間がかかる。
文章にしても、正確に書くという視点でいえば、あやふやな部分がずいぶんある。
これらを全部クリアするのに手間がかかるのはまちがいない。
いまは原稿に対して距離感ができているので、ひさしぶりに読んで他人の文章のようにかんじられた。これはいい傾向だ。
夏までには出したいものだが。
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# by hatano_naoki | 2012-01-18 17:52 | 沖縄勉強ノート
AKB48のGoogle+がすごい
ネットでのAKB48の露出というとウェブサイト、ブログ、Twitterあたりだが、いまはGoogle+がすごい。
基本的には宣伝ツールだが、(みなが皆ではないかもしれないけれども)ファンとのコミュニケーションだと思ってポジティブに受け止めて楽しんでいるメンバーが少なくないようにみえる(夜中の3時に自分が眠れないからといってフォロワーに尻取りを無理強いする篠田麻里子はファンサービスでやっているとはおもえない。)。
おそらく「会いにいけるアイドル」だったAKBが会いにいけなくなった今、「ネットで出会えるアイドル」として補完しようとしているのだろう。
なにしろ主要メンバーが仕事のあいまにメッセージばかりでなく自分たちが撮った写真も掲載しまくり、それをファンが24時間体制でフォローするというすごいことになっている(一部はTwitterとダブっている)。
付き合いでたまにTwitterするようなタレントはいくらでもいるけれども、おおぜいのメンバーがほぼ一日中Google+やTwitterに書くというのはなかなかないだろう。
ナマ番組ならば「これから出演です!」という書き込みを読んで「がんばってね」とコメントしてから番組を見て、見終わったら「今、終わりました!」というメッセージに「おつかれさま」と返事を返す。「これから寝ます」というメッセージに「おやすみ」を言って自分も寝る。こういうストーカー的ファン生活が可能なのだ。
テレビ番組への出演やステージでの公演は彼女たちの私的な時間とシームレスにつながり、自分たちの生活ともつながっていることが実感できる。自分ひとりに語りかけてはこないが、すくなくともおなじタイムラインを共有し、同じ時間を生きている。
おにゃんこのときは放課後に部室で活動している程度のイメージで、部室を出てしまえばそれ以上追いかけることはできなかったが、AKBは24時間つきあってくれる。彼女たちの資質もあるかもしれないが、それ以上に時代というものだろう。AKBがSNS上に織り成すタイムラインは今を生きていて、これまでのタレントやアイドルではかんがえられないほど接近した距離感覚と時間感覚を生み出す。
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# by hatano_naoki | 2011-12-26 06:59 | ネットとデジモノ
Blackberry 9900にさわってきた
有楽町のドコモスマートフォンラウンジでBlackberry9900にさわってきた。
だいたい予想通りの質感と操作感。決して悪くはないが、Blackberryらしく飛躍的な変化はかんじられなかった。わたしが使っている9000とフォームファクターがほぼおなじなのも一因だと思う。
タッチ操作が可能になったのは、マーケティング上もそのほうがいいとはおもうけれども、もともと操作体系が優秀なので、それほど感激はなかった。
ウェブブラウザがいちおう使える水準になったので、これ1台で済ませることができそうではあるけれども、うわさではカメラがだめということなので、ここだけが残念だ。
マイクロキーボードは面積が大きくなったかんじがするが、おそらくキートップの盛り上がった部分の形状を変えたせいだと思う。盛り上がりの高さをわずかに減らしていくぶん平らになった分、広くかんじるのだ。それに打鍵がすこし軽くなっている。いずれにしても打ちやすい。
きょう体が薄いので持ち歩くのが楽になったのもいい。
唯一のがっかりはドキドキ感が薄いこと。9900に機種変更するのはほぼ決まりなので、ドキドキを満足させる別のなにかをさがさなければならない。それにしても9000の完成度は高く、わたしのニーズからするとまだまだ使って行けそうな雰囲気だ。
現在のところ、使い方としては、メール、電子辞書(広辞苑、英和和英とオフラインのWikipedia)、インターネットラジオ、音楽プレーヤー、ビデオプレーヤーといったところ。
発売はたぶん3月だろうから、それまでにソフトをもっと充実させようと思っている。特にビデオクリップのコレクションを増やしていきたい。
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# by hatano_naoki | 2011-11-27 19:16 | ネットとデジモノ
韓国を書く
『朴正煕(パク・チョンヒ)に会いに行く』(仮題)という、単行本を想定した文章を書きはじめた。
内容は一種の紀行だが、構想(?)自体は20年以上も前から温めていたもので、ようやくまとめようという気になってきた。その一部分はすでに書かれていて、全体では450枚くらいに仕上げたいとかんがえているところだ。脱稿の目標は来年の夏あたりだろうか。

そして、これだけでなく、複数の原稿を並行して仕上げていきたいとかんがえている。
あと2本ほど、同時並行的に書いていく。それぞれ、構想は前からあって多少は書きかけてもいるものだ。
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# by hatano_naoki | 2011-11-16 05:12 | 書く
書籍版『沖縄勉強ノート』(仮題)を書く(14)
何年もこだわってきたが、ようやく脱稿(いちおう)。
すでに他人の手にわたっていった。本になるかはまったく不明。
それでもそれなりのカタルシスがある。この感覚をあじわうために書いてきたといってもいい。

一方で空虚で虚脱の感覚もある。
腑抜けになっている。

しかし、それほど時間が経たないうちに、またはじめるだろう。
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# by hatano_naoki | 2011-11-08 19:42 | 沖縄勉強ノート
Blackberryでラジオざんまい
blackberry 9000はスピーカーが立派なのでラジオを聴くのに便利。音量も音質もすばらしい。
昔から聴いているのは湘南BeachFM。デスクトップPCで聴き、それからノートPCで聴くようになったが、TuneinRadioにこのラジオ局が登録されていたのはうれしかった。ほかにも地方のラジオ局を聴くのが楽しみになっている。ときによってはBGMとして何時間も流しっぱなしにしている。
blackberryで聴くラジオは、ちょうど昔のトランジスタラジオを聴いている感覚にちかくて、それが実になごむ。
iPod Touchのスピーカーは聴くに耐えなかった。
海外でもインターネットにさえつなげれば湘南のコミュニティFM局が聴けるのは(当たり前だが)すごい。
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# by hatano_naoki | 2011-11-03 15:26 | ネットとデジモノ
ある写真サイトのこと
ネットで定期的に見に行くのはいわゆるニュースサイトが多いが、それ以外にも不定期に行くサイトがいくつかある。
たとえば写真サイトのいくつかには思い出したように行っている。どれもアマチュアでネット上でも特に有名というわけではないと思うし、どういう経緯で知ったのかも忘れてしまっているが、要はそのひとの撮る写真やサイトの雰囲気が気に入っているということなのだろう。
そんな具合で何年もすぎていくうちに、写真から作者の人生がにじみだしているとかんじるようになってきた。
ネットでは自分の日常を過剰に(と思えるくらい)露出するタイプのひともいるし、逆に一切生活を見せないひともる。わたしの見ている写真サイトの作者たちは露出好きのタイプではないと思うが、しかし一連の写真を見ているとそのときどきの感情とか、暮らし方がなんとなくわかってしまう。そしてある作者について気になっているのは、実はそのひとが離婚したかどうかなのだ。
だいぶ以前、何年もまえ、そのひとはある女性と結婚する直前で、それから結婚した。ここまではたしかだ。だがその後、どこかの時点で彼は離婚したのではないか。これはそのひとの写真の傾向の変化からの推測だ。
あんなにしあわせそうだったのになにがあったのだろう。そのひとと会ったこともなく、もちろんなんの関係もないわたしは最近掲載された一枚の写真をみながら思う。
こういうのはわたしにとっては感情のムダ使いかもしれない。そのサイトから他に移動すればたちまちそのひとのことは忘れてしまうのだから。
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# by hatano_naoki | 2011-11-03 07:48 | 日日
Blackberry 9900
d0059961_8192150.jpgBlackberry9900が予想よりかなりはやく発売されそうだ。といってもまだ4ヶ月以上ある。現在のBB9000の次はたぶんこれにするだろう。
ここ1年以上9000を使ってきて、いまだに満足度はたかい。なんといってもマイクロキーボードがすばらしい。
ただしこれ1台でなんでもこなすのではなく、ほかのデバイスとの組み合わせて使うべきだとは思う。相方としてイメージしているのは、画面の大きい(たとえばGalaxy Noteのような)LTEデバイス。
iPhone/Android全盛の日本では、Blackberryはこれからも売れないだろうが、ちょっとしたきっかけで一気に知名度が高まってヒットする可能性はないとはいえない。日本だけがこれだけ売れないというのは、なにか理由があるはずだ。それにこれからはパケット節約志向が高まるだろうだろうから、もともとパケット節約型のBlackberryはアピールできるはずだ。
やりようはあると思うのだが。
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# by hatano_naoki | 2011-11-01 08:37 | ネットとデジモノ
多良間島とメガネ
最近、多良間島に興味を持っている。

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# by hatano_naoki | 2011-10-31 21:40 | 写真日記
佐伯祐三アトリエ
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# by hatano_naoki | 2011-10-23 14:54 | 写真日記
書籍版『沖縄勉強ノート』(仮題)を書く(13)
このブログに「沖縄勉強ノート」という文章をシリーズで書きはじめたのは2005年の11月で、それから3年で130本ほど書いた。
それを下敷きに2009年の春になって書籍版『沖縄勉強ノート』(仮題)を書きはじめた。
それからすこしずつ書きついで、うまく書けない時期がつづいて、書籍版『沖縄勉強ノート』(仮題)の進捗についてこのブログに最後に書いたのが15ヶ月前。
そこからのながい中断のあとで気をとりなおして書きはじめたのはこの夏だった。
それがようやく、なんとか姿がみえてきたような気がする。
今年中にはまとめることができると思う。2年半以上もかかったわけだ。
前の本が出たのが2006年暮れ(注:「カンボジアノート」I/IIの2冊)で、それから5年が経っている。
この原稿が本になるのかどうかはわからないが、少なくとも手を離すことはもうすぐできそうだ。
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# by hatano_naoki | 2011-10-16 16:19 | 沖縄勉強ノート
ジョブズ
きょうの米アップルのサイトのトップページは美しい。
白い背景とジョブズの肖像。シンプルでアップルらしい。
いいデザインだ。
1984年頃のこと、appleIIeという8ビット機を買う気になった理由のひとつは、アップル社をめぐるいい雰囲気だった。小さかったのだ。
その頃のアップルにはガレージカンパニーのイメージが残っており、そのロゴマークはラブ・アンド・ピース的なヒッピーイズム的な残滓をひきずっているようで、悪の巨人IBMに立ち向かう英雄というかんじもあった。
わたしの印象としてはappleIを作った中心人物はウォズニアックだと思っていたのだが、経営でも製品開発でも映像コンテンツの制作でも成功をおさめることになったから、ジョブズはその後大化けしたことになる。
appleIIの時代は好きだったがMacになってからは「微妙」だった。だがMacは何台も使った。その後、アップルが巨大化して「支配者」になるにつれて嫌いになった。いまも好きではない。製品はすばらしいといえるがその完成度が気に入らない。
昔のジョブズは若かったが、アップルサイトのトップページにいるジョブズはもう若くはなかった。それだけ時間が経ったのだ。

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# by hatano_naoki | 2011-10-06 17:33 | 日日
『ブエナビスタ・ソシアルクラブ』を聴きながら
キューバをめぐるわたしの心象は、日本と聞くとゲイシャとニンジャとツキジとアキハバラが浮かんでくる外人と同じように、ポンコツのアメ車とブエナビスタ・ソシアルクラブとチェ・ゲバラとからできている。
それから浅黒いひとびととさとうきびの畑と米軍基地と疲弊した社会主義。
カストロが死ねばアメリカと和解して親米に舵を切り直すにちがいないこの骨董品のような社会主義国家はいまはまだ、遠くからみているかぎりロマンチックでレトロでノスタルジックな空気を漂わせて誘惑的だ。行くならカストロがようやく生きている今なのだろう。

映画『ブエナビスタ・ソシアルクラブ』(1999年製作)をDVDでようやく見た。
音だけは以前から聴いていたが、映像で見てみると歌はもちろんだが、老いたミュージシャンたちの語りとか表情とかが実にいいのだった。
彼らはたまたま死の間際(といってもいい時期)に「発見」されたが、すばらしい才能を持っているのに発見されずに死んでいく恵まれないミュージシャンはほかにもいるはずで、キューバの老いたミュージシャンを見つめながら「すばらしい才能を持っているのに発見されずに死んでいく恵まれないひとびと」という普遍的な人間像についてかんがえている自分に気づく。
たくさんのすばらしい歌い手が登場するなかで、イブライム・フェレール(Ibrahim Ferrer)とオマーラ・ポルトゥオンド(Omara Portuondo)がよかった。映画の頃の年齢は72歳と69歳あたり。ふたりとも(そして他の登場人物も皆)楽ではない人生を歩んできて、それが彼らの立ち居振る舞いと表情とに豊かな情感とともにあらわれている。彼らを見て聴き入りながら、彼らの人生そのものに入り込んでいく、あるいは引きこまれていく。
老人が歌うラブソングの切なさもわたしにとっては発見だった。老人もひとを好きになるが、社会は恋愛にふさわしい年齢区分を決めているからこのルールを外れるにはちょっとした勇気(あるいは世俗的な権力)が要る。しかし歌なら別だ。詩歌、小説、演劇、絵画、諸々の芸能と芸術の世界でも恋愛は想像力の中で生きつづける。
ライ・クーダーは掛け値なしにいい仕事をしたと思うけれども、これも西欧による非西欧世界の発見の一例なのだなと思っている自分もいる。そういう側面がこの「発見」にはあるのだ。彼らは発見し、価値を認め、メディアを通じて広めたが、西欧はここ何百年も、初期には植民地主義と手に手を携えて、こういう作業をつづけてきた。こういう文脈に『ブエナビスタ・ソシアルクラブ』を置き直してみるとかすかな憂鬱がある。
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# by hatano_naoki | 2011-08-06 23:58 | 歌が私を・・・
前田敦子の孤独
AKB48の前田敦子には絶対エースとか絶対的エースとかの形容がつく。現時点でAKB48最大のスターであるのはまちがいない。
一方でファンのあいだに批判勢力があって、主にネット上で中傷がくり返されている。人気のあるアイドルにアンチが生まれるのはめずらしくないだろうが、盛り上がりがちょっと異様にかんじられる。彼女はなぜアンチに悩まされるのだろうか?
たまにみせるちょっとだるそうな、やる気のなさそうな態度とか、寝てばかりいるとか。彼女の態度や雰囲気にイラッとさせる要素があるのかもしれない。『情熱大陸』では「わたしを番組にしてもおもしろくないでしょ」というような意味のことを言っていたのがおもしろかった。そして番組の仕上がりは彼女が予言したとおりだった。
一連のバッシングを「傍聴」していて思ったのは、これはいじめの構造だなということだった。理由が明確にあったというのではなく、まず彼女を単純にムカつくとかんじる少数がいて、集団で(ここがすでに下劣なのだが)ひとりを攻撃しているうちにことばの共振で攻撃の度合いが強くなっていったというような。罵倒するにつれて自分が興奮してくる。汚いことばが自分を支配しはじめる。
まったくの想像だが、彼女の熱狂的なファンの絶対数はそれほど多くない。アンチはさらに少なく、たぶんごく少数にすぎない。その少数が大量の攻撃をおこなっているというイメージだ。

わたしの知る範囲ではAKBのセンターはフォーメーションとしてセンターを据えたいというプロデュース側の意図で生まれ、そこにまだ子どもといってもいい年齢の前田敦子がフィーチャーされたということらしい。それから運命のようにセンターとしてやってきて今に至っている。
前田敦子という個性は誤解されやすいかもしれない。大島優子のような明るさとサービス精神に欠けるし、思ったことをなめらかに口にするタイプでもない。そして働きすぎて疲れている。
それでもわたしは前田敦子からある種の感銘を受けている。ほかのメンバーにはない(というとおこられそうだが)ある要素を彼女がもっているようにみえるからだ。それはひとことでいうなら孤独である。やさしい母親がいて、AKBの創設以来苦労してきた仲間がいても、人間には孤独が生まれるのだ。それは彼女に内在するもので、外の世界との関係で生まれたものではないというふうにかんじられる。その孤独と戦っている気配、孤独と会話している気配があって、彼女自身も気づいていない深みのようなものがそこから生まれ、彼女に陰影を与えている。
そのような側面を持ったうえで、彼女はセンターに君臨する。百数十人もの人数から構成されるAKBのスターシステムのピラミッドの頂点にいるのだ。舞台のうえにいる彼女には孤独の影はみえず、ときとしてなまめかしい笑みを浮かべることすらある。
まあここに書いたことの全体が妄想にすぎないのだろうが、大衆は芸能人に対してなにかを仮託することができる。
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# by hatano_naoki | 2011-08-05 22:32 | 歌が私を・・・
ゴーヤー
[RICOH GR Digital]
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# by hatano_naoki | 2011-08-05 15:12 | 写真日記
探偵と老人
マクドナルドの隅の席に向かい合った男ふたり。
声が異様に大きい三十代くらいの方は探偵で、もう一方の老人は投資詐欺にあって金をとられた被害者だと、聞こえてくる話の内容からすぐにわかった。
こういう事件はマスコミ経由ではよく聞いているが被害者の実物を見るのははじめてだ。ははん、こういう人物が、いくらだか知らないが、欲の皮が突っ張ったために少なからぬ額を失いかけているのだなと思いながらその人物の服装とか風体とかをうかがっている。たいして金持ちにはみえないがこういう人物が実は金を持っているのだ。勉強になった。
話の内容からすると犯罪は完成していて、おそらく金は戻ってこないだろう。しかし探偵は金を取り返せると力説している。ほんとうだろうか。わたしには無理に思えるが、探偵はこういう事件のプロだといっているので彼の判断が正しいのかもしれない。
探偵は彼の会社に依頼するようくりかえし促すが老人の態度はいまひとつはっきりしない。自分が被害者であることがわかっているのにそれを直視したくない、認めたくないというふうにもみえる。欲が生んだ失敗を人間は認めたくないものなのだ。また勉強になった。
こういうやりとりが際限なく繰り返されるうち、やがて彼らがふたりそろってわたしの脳髄にぐいぐいと入り込んできて居座ってしまった。迷惑なはなしだが聞き耳を立てていたわたしが悪い。
だがちょっと見たかぎりでも大声での会話はわたしだけでなくまわりの客たちに影響を与えはじめているようだ。彼らもまた脳内に住みついてしまったこの事件の細部に興味を持ちながらも辟易しているのがかんじられる。会話は彼らの周囲の客を飲み込んであたりの空間までを支配してしまった。
わたしはといえば大きな異物が頭のなかにできたようでじゃまでしかたがない。彼らが私の頭のなかで議論しているので自分の思考に集中できない。
結局老人は探偵に依頼をしなかった。探偵に対する猜疑心が勝利したらしい。その猜疑心をもう少し前に別の状況で生かしていたら大枚を失うことはなかっただろうに。
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# by hatano_naoki | 2011-07-26 18:43 | 日日
線量計つき携帯を持つ明日
簡易線量計つきの携帯は売れるかもしれない。線量計がカメラのように携帯に必須の機能になる明日はきてほしくないが。
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# by hatano_naoki | 2011-07-26 17:09 | 日日
イムジャ氷河湖のこと
d0059961_20414760.jpgきょう放送の『世界遺産』をみていたらエベレスト街道が写っていた。エベレスト街道とはルクラからエベレストのベースキャンプにいたるトレッキングルートのニックネーム。テレビ画面を見ながらあそこを歩いたのは35年も前だったな、と思う。
番組ではイムジャ氷河湖が紹介されていた。
エベレスト南面から流れ下っている大きな氷河はクンブ氷河と呼ばれているが、ローツェの南側を下ってクンブ氷河に合流しているのがイムジャ氷河である。そのイムジャ氷河のモレーンの末端ちかくに大きな氷河湖があって年々大きくなっており、モレーンの末端が決壊すると下流の村々に大きな被害をもたらすおそれがあるというような内容だった。
わたしはこのイムジャ氷河をさかのぼり、ローツェから南に伸びている枝尾根上の小ピークであるアイランドピーク(6168m)までいった。ルートをまちがえたのと装備が貧弱だったのでたぶん6000mあたりまでしか行けなかった。このとき現在のイムジャ氷河湖付近にあるパレシャヤギャブと呼ばれるところでキャンプしたのだが、そのように大きな氷河湖を見た記憶はない。この氷河湖は1960年代に生まれ、それからすこしづつ大きくなって現在の姿になったという。ということはわたしが行った頃はたぶんとてもちいさな湖だったのだ。
氷河湖が大きくなったのは気温の上昇のためだ。わたしはこの氷河湖によって地球温暖化と過ぎた年月のながさを実感することになった。
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# by hatano_naoki | 2011-07-24 19:54 | 日日
どんなキーワードで来るのか(ブログの解析)
わたしののブログ(http://stowaway.exblog.jp)にくるひとがGoogleなどの検索の結果からやってくる場合、どんな語句で調べていたのかを見なおしてみた。
全体的な傾向としては検索キーワードのトップは「神は細部に宿る」で、ここ何年も変わっていない。これは「神は細部に宿る」について書いたこの記事に由来している。
2番目は、最近は「チェルノブイリ」。おもしろいのはこの傾向は3月11日にはじまったのではなくて、去年(2010年)の8月頃にあらわれてその後のつづいていたことだ。なにかの予兆だったのだろうか。
あとはいろいろで、ガジェットとか沖縄とかにかかわるキーワードが並んでいる。
それにしても「神は細部に宿る」にまつわるアクセスは根強い。現在では格言になった謎の語句に関する関心が存在することをうかがわせる。
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# by hatano_naoki | 2011-07-24 06:01 | 日日
桂銀淑(ケイ・ウンスク)のこと
桂銀淑(ケイ・ウンスク)という韓国からきた演歌歌手がいた。テレビで見かけることも多かったのがいつの頃からか姿を見なくなった。
あるときYouTubeをふらふらしていると彼女の映像に行きあたったのでなりゆきでいくつか見て(聴いて)いるうちに、みるみる引き込まれていった。
特によかったのは『つぐない』だった。桂銀淑のカバーする『つぐない』はちょっと温度が低くてちょっと乾いた情感に満たされているようで、わたしはいいカバーだと思った。
そしてなによりも声だった。いわゆるハスキーボイスだが、その声そのもので自分の感覚のどこかに直接触れられるような戦慄があった。聴覚だけでなく、もっとさまざまな感覚器官が震え、それらが雪崩れうって脳髄に駆けあがっていく。
そしてまた彼女の醸し出す雰囲気だった。静かであり、演歌にありがちなオーバーアクションではない。わたしが見た映像はおそらく40歳かそれくらいのときだろうか、若さが生み出す魅力はいくらか翳っていたが、そのかわりにそれなりの歳月を超えてきた静謐があった。
それでスイッチが入ったように彼女が日本にきて最初に歌った『大阪暮色』(1985年)からつぎつぎに聴いていった。
日本にきたばかりの若い頃は声そのものに本質的なちがいはなくてそこに魅力があるが、それほどの深みはなく、美しくてコケティッシュだが凡庸ともいえる。しかし年齢を重ねるにつれて時間の深みとでも呼ぶべきものが彼女の空間を支配するようになっていく。
典型的な演歌を歌っていてもそこからかんじられるのは負のエネルギーの横溢する怨念や諦念とかいうのではない。当時の日本のニーズが彼女を演歌歌手にしたのだろうが、ブルースを歌ってもよかっただろうと思わせる。
彼女が消えたのは数年前に覚醒剤所持で逮捕され、国外退去処分になったからだということを改めてたしかめた。歌手としての時間のほとんどを日本ですごしてきた彼女が日本への入国を許されないというのは歌手として死んだも同然だし、なんて馬鹿なことをしたんだと思うけれど、それも人生の変転のひとつの局面であるわけで、他人には負うこともできはしない。人生にはいろんな思いがけないことがある。
もう50歳になるはずの彼女は老いた母親とソウルで暮らしていて、いくらか歌手活動をはじめているらしい。何ヶ月か前に、彼女の執行猶予が終わる瞬間がみじかいトピックとしてテレビ番組に差し込まれていてそれを見たが特に感慨もなかった。見たいのは歌う彼女であり、その心地良い声が聴きたいだけなのだ。
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# by hatano_naoki | 2011-07-22 06:33 | 歌が私を・・・
原発ライブ
[RICOH GR Digital]

福島第一原発のライブカメラ映像が公開されている。けさのぞいてみると台風が去ったあとの重苦しい曇天だった。夏草がだいぶ伸びてきている。

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# by hatano_naoki | 2011-07-21 07:40 | 写真日記
タヌキ
d0059961_518327.jpgここ数日、タヌキが現れるようになった。こどもが3匹で、親はまだ見かけない。東京の区部でもタヌキは増えているということだろうか。
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# by hatano_naoki | 2011-07-18 05:18 | 日日
「だったり」症候群
ことばは時代時代に変化していくものだということはわかっているし、時代のはやりが気に入らないのは老齢化のあかしだというのもよくわかる。
しかしどうにも気に入らないのがいくつかある。

「になります」は論外として、「だったり」とか「であったり」が気になる。
これらは最近は非常によく使われる表現になったけれども、なぜ気になるかをかんがえてみて、そのあいまいさ加減が許せないということだと気がついた。使うひとは意図的に使うわけではなくとも、こういう朦朧とした表現によってなんとなくまろやかな言辞になるということだろう。使われ方をみていると、「であったり」というのはいくつかの例示の冒頭に置かれる表現であるはずなのに、そのあとにつづく複数の例示が省略されることも多い。むしろつづくことは稀だという気がする。
これはどういうことだろうか。たぶん、さきに書いたように意味はあまりないのだ。「になります」に特徴的にあらわれているように、いくらかながく言うことによって場の緊張が和らげられる。「カレーです」より「カレーになります」のほうが間がもつわけだ。「だったり」「であったり」にもこういう「長く言う効果」があるような気もするのだが。
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# by hatano_naoki | 2011-07-11 18:58 | 日日
烈日(2)
[RICOH GR Digital]
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# by hatano_naoki | 2011-07-11 18:19 | 写真日記
烈日(1)
[RICOH GR Digital]
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# by hatano_naoki | 2011-07-11 18:17 | 写真日記
facebook同窓会
facebookにはずいぶん前にサインアップしたが利用しているのか怪しい程度。それでも細いコミュニケーションの糸がつながっている。
パソコン通信の時代に、それは四半世紀ちかくも前のことだが、知り合って濃いコミュニケーションをしていたり、あるいは名前をよく見かけていたひとがfacebook上で発見できる。積極的に探す気になれば相当な数のひとたちを発掘できるだろう。それほどの情熱はないので友達のリストに載っている数はまだすこしだが、それでもちょっと同窓会的な雰囲気にはなっている。
mixiができた頃にはmixi上で似たようなことがあって昔の友だちと連絡がとれてうれしかったものだ。facebookでは世界のレベルではるかに大きな規模でこういう同窓会現象がおきているのだろう。それはわたし自身にも起きている。
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# by hatano_naoki | 2011-07-11 06:06 | ネットとデジモノ
ちいさな一軒家がほしい
ちいさな一軒家がほしいと思っている。
住む空間はそこそこひろいほうが快適なのは当然だが、実際にはしごく小さくて狭い住宅はたくさんある。たとえば最近の建売住宅では10坪ちょっとの敷地にむりやり3階建の木造住宅を建てるようなやりかたが横行している。このように一般に狭小な住宅は狭い土地に家を建てざるをえないという制約の結果として狭小になるわけで、狭小な住宅をつくることが目的ではないはずだが、一方で制約の多いちいさな土地に建てる家を構想し設計するという作業は建築家の想像力をいたく刺激するらしく、狭小住宅というひとつのカテゴリーがあるようにさえ思える。そしてわたしにとっては限界的に狭小な住宅というのが自己目的化していて、小さな小さな家をつくって住んでみたいという願望にずっととりつかれている。狭小な住宅に対する偏愛だ。
ところでどれくらいの広さを狭小というのか。定義はあいまいだと思うけれども、見たとたんになんて小さいのかと感嘆するかどうかがひとつの基準だとは思う。それに加えて狭い空間で生きるセンス、哲学、生活のノウハウといった知的なもろもろが感じとれるかどうかも鍵だ。その意味では建売の狭小住宅は志がかんじられないので仲間に入れたくない。
トインビーではないが、土地の狭さという挑戦に対してどのように応戦するか。そこに設計者あるいは建築主の世界観とか人生観とかが現れてくる。こういうストーリーがみえないと、それはただのせま苦しい家ということになってしまうだろう。
センスのいい狭小な住宅をについては、ネットをすこしさまようだけで相当量の情報が手に入る。狭小住宅が専門と思える建築家さえみつかる。狭い売地をさがすのは大変かもしれないが不可能ではないだろう。つまり資金さえあれば実現可能な夢といっていい。もちろんここが一番の問題ではある。
これまで住んできた家を数えてみたら、いま住んでいるのは8つ目だった。木造の一軒家が4つ、木造アパートが2つ、コンクリート造の集合住宅が2つ。一番狭かったのは高校生のとき短期間住んだ木造アパートの3畳の部屋だった。
ところでわたしがイメージする狭小住宅は、たとえばこんなかんじだ。
土地は10坪以下、できれば8坪くらい。限界まで小さい家にしてみたいからだ。
8坪で家が建つかというとそうとうきびしいといわざるをえないが、実際に建てられている事例があるしやってみる価値はある。8坪で建ぺい率が6割ならば建坪は5坪弱。2階建ならのべ床面積は9坪を下回る。この中にトイレ、お風呂、台所、玄関、収納スペース、階段などを収めなければならないから、リビングと寝るスペースでせいぜい7、8畳だろうか。ワンルームマンション程度の広さの一軒家ということになる。
なぜこんなに狭い家に住みたいかということだが、まずその狭さが愉快だという感覚がある。狭い空間に住もうとすると家は装置に近づいていくはずだ。空間の活用からいってもヨットや宇宙船に似てくるにちがいない。一方でその家の住人が価値を認めている要素が極小化されずに相対的に大きな空間を占めることも考えられる。トイレでのんびりするのが大好きだというひとがいるが、こういうひとが住人になったならば家の大きさとは不釣り合いな大きめのトイレ空間がしつらえられるかもしれない。わたしならば風呂桶は入れない。するとシャワールームはとても狭くて済むはずだ。こんな具合に住人の生活のしかたを反映させることで、ただ単に住宅の設備を小さく狭くするというのではなく、取捨選択を行なうことになっていくはずだ。なにを残し、じゅうぶんなスペースを与えるか。なにを削ってスペースを節約するか。それらはすなわちそのひとのイメージする生活とはなにか、価値を付与している要素はなにかを明らかにすることになる。
住宅内で上下方向の移動の多い家(つまり現在の住まい)に長年住んでいると、決して住みやすいとは思えない。個人的には住宅は平屋が理想なのだ。ところが狭い土地に建てられる家は必然的に縦に伸びていき、塔のようなかたちになりやすい。狭小住宅なのに縦に伸びるのはいやだというのは無理があるわけだ。しかしこのへんは工夫次第だという気がする。勉強のために狭小住宅を見てまわるのもおもしろそうだ。
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# by hatano_naoki | 2011-07-07 22:11 | 日日
最近の「モバイルチーム」
d0059961_1756363.jpg最近持ち歩いているガジェットの集合写真。
写真右上から左へ、RIM Blackberry bold 9000、Apple iPod touch (4g)、NEC Aterm3500R(モバイルルーター)、SONY MW600(bluetooth headset)。
写真左下はSANYO eneloop mobile booster、右下はThink outside Stowaway universal bluetooth keyboard。
これらに加えてmicro USBなど何種類かのケーブル類、USB出力のACアダプターなど。
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# by hatano_naoki | 2011-07-06 17:56 | 日日
カフェ・クメール
昔からカフェをやってみたいと思っている。ただし具体的に計画するというのではなく、いわば妄想のたぐいだ。最近も自分の経営するカフェのことを妄想していて、いっそのことカンボジアをテーマにしたらどうかとひらめいた。ならば店名は『カフェ・クメール』がいいだろうか。
それは学生街にあるような雰囲気のこじんまりした店で、たとえば京大のちかくにある喫茶店のようなかんじ。店内は暗く、インテリアの基調はクールに整えたラテライトの赤茶。モノクロの良質なアンコールの写真がたくさんかかっている。メニューは古典的な喫茶店メニュー。全体にレトロなかんじがいい。
ただしインテリアのテーマにカンボジアを持ってくるだけで、カンボジアマニアがやっているというようなかんじにはしたくない。
イメージの背景には自分が気に入っている喫茶店の記憶がある。独特の雰囲気のある店、たとえば昔の新宿にあった『風月堂』とか、御茶ノ水の『穂高』とか。
喫茶店というのは不思議と独特な空間であって、その空間の雰囲気が好きだし、喫茶店にいる自分が好きだというのもある。
個人経営の喫茶店というのはずいぶん減ってきているようだ。大手チェーンが増えるなかで経営がむずかしいのだろう。自分が所有しているビルでやるとかなら別だろうが、どうかんがえても儲かりそうにない。そういう現実があるのはわかっているが、妄想のレベルでのカフェ経営はなかなかに楽しい。
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# by hatano_naoki | 2011-06-30 05:52 | 日日
LOMO風(5)
[iPod touch 4g]
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# by hatano_naoki | 2011-06-28 06:33 | 写真日記