JR新宿駅の東口地下改札を抜けて左に曲がってすぐのところ、ルミネエストの地下1階にあたるところにベルクという小さい飲み屋がある。
店にはとりたてて特徴はないが、あえていうならイギリスやドイツの飲み屋を思わせる洋風で、メニューにはソーセージやキッパーヘリングとかがあり、いつも混んでいる。 こういう立地からしても静かに飲む場所ではないし、立ち飲みで済ませる客も多いが、下品に騒ぐような輩はみかけない。 もとは純喫茶だったそうで、その開店は1970年だそうだ。そのせいか、昔の新宿の左翼的な飲み屋の残り滓がここに集まっているのかどうかはわからないけれども雰囲気的にはそれらしい要素があるような気もする。しかし客たちはそういうことには関心がなくて、単に安くて居心地がそこそこいい普段使いの飲み屋として評価しているようだ。 店は立ち退きの危機にここずっとさらされているようで、しかしまだなんとか生き残っている。 たまにこの店にいくときは、ほとんどの場合はひとりだ。 せまい店にうずまくひとと酒とそれらに包み込まれた会話の混沌のなかで、黙ってひとりきりで酒を飲むのは人生におけるよろこびのひとつだが、実のところわたしにとってひとりで飲んで居心地がいい空間は多くはない。なごんでひとりで飲める場所は広い東京でも(わたしとの関係において)まれなのだ。 しかし、他人と飲むのがきらいだといっているわけではない。 それはもちろんのことすばらしいが、ひとりで飲むという行為にまつわるなんともいえない愉悦があるということを強調したいのだ。 周囲のにぎやかなひとびとの存在は自分がひとりでいるという事実を際立たせる。自分がその場にひとりで存在していることを、下線を引いて強調している。 そういう状態でざわめきを味わうのは本質的に人生そのものをあじわうことなのだと、ビールをもう一杯飲もうかどうか思案しながら思っている。しかし、人生を味わうという行為を追求するまえにいつもアルコールが回ってしまい、自分自身がその場の混沌に溶け出していって消えてなくなってしまったようにかんじられてくる。 あとに残るのは弛緩した思考のぬけがらとおなじように弛緩した肉体だ。 まあそれでもいい。ひとりきりで飲むのはあいかわらず楽しいのだから。 #
by hatano_naoki
| 2012-04-22 17:54
| 日日
昼をはさんで数時間を国会図書館ですごした。しかし座って本を読んでいたわけではなくて、というかほとんど座ることはなくて、借りだし、コピー、返却を繰り返していた。
こういう行動に別の階にある地図の借りだしとコピーが加わると、館内における移動距離はばかにならない。1万歩くらい歩いたんじゃないかと思えるほどだ。 ここしばらくごぶさたさしていたらシステムが新しくなっており、自分用のカードで入館し、借りだし、コピーも申請するようになった。 館内のシステムは亀のようにゆっくりと動き、そのあいまにかんがえごとをする余裕を与えてくれる。 これは、(住宅地の道路にわざとカーブをつけるように)図書館というものは早足で歩き回るような場所ではないことを教えるために意図的にもうけられたのにちがいない。 しかしどんなしくみであれ、衝突と忍耐のあとで自然に慣れていくものだから、この国会図書館のシステムもすぐになれてなにもかんじなくなるはずだ。 それにしても、こういうすごいシステムがつかさどる図書館はコンピュータにうとい老人をどうかんがえているのだろうかと余計なことまでかんがえてしまった。 #
by hatano_naoki
| 2012-04-21 16:24
| 日日
facebookに登録したのは、タイムラインによれば2008年5月20日だそうだ。
それからずっと放置していたのが、昨年秋あたりからちょっとずつ投稿をはじめて友達が増えはじめた。 ではなんでfacebookやってるのかということだが、基本的にはここ二十数年来ネットでなんらかの存在表明をしてきた性のようなものがあり、ごくみじかいものであっても自分の意識のうごきをネット上にひっかき傷のように残しておきたいという衝動があるのだと思う。 しかしむかしのような強い感情をネットにぶつけようという気分はなくなっており、ネットに残すのは気がつかなければ聞くこともできないほどちいさなつぶやきだけになっている。 それでもいくらかのよろこびがあるのは、そこにかすかではあるが今があるからだ。 今にふれているという、ほとんど妄想ににた意識。 どんなささいなことであれ、それをネット上の文字に置き換えるというのは一種のトレーニングだと思っているのは、わたしにとってのネットはずっとそのように機能してきたからだ。 facebookもその意味ではこれまでに経験してきたプラットフォームとおおきなちがいがあるわけでもない。特にひどいとは思わないが夢のようにすばらしくもない。そこに、とりたててすばらしいわけでもない庶民としての日常とそこでのちょっとした心のうごきをみじかい文章で書きとめる。 こういうとずいぶん否定的でシニカルに聞こえるかもしれないが、断続的であれ書くことをやめていないのは、わずかではあっても意味が見いだせているからにちがいない。 人間はどんなささいなことであれ、それによって日々を刻む感触をたしかめることができる。facebookはそういう日々のよすがのようなものかもしれない。 facebookをみていると、これはわたしの周囲だけの傾向かもしれないが、ネガティブなことを書くひとはあまりいないような気がする。むしろほほえましいこと、うれしかったこと、ささやかな自慢などが開陳される。 世界のどこかから電報で I am still alive というおなじ文面をおくりつづける、河原温のよく知られた作品がある。 facebookをみながら、ああ、なるほど、これは大衆にとっての I am still alive なんだなとわたしは思うのだ。 #
by hatano_naoki
| 2012-04-15 06:17
| ネットとデジモノ
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