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『ブエナビスタ・ソシアルクラブ』を聴きながら
キューバをめぐるわたしの心象は、日本と聞くとゲイシャとニンジャとツキジとアキハバラが浮かんでくる外人と同じように、ポンコツのアメ車とブエナビスタ・ソシアルクラブとチェ・ゲバラとからできている。
それから浅黒いひとびととさとうきびの畑と米軍基地と疲弊した社会主義。
カストロが死ねばアメリカと和解して親米に舵を切り直すにちがいないこの骨董品のような社会主義国家はいまはまだ、遠くからみているかぎりロマンチックでレトロでノスタルジックな空気を漂わせて誘惑的だ。行くならカストロがようやく生きている今なのだろう。

映画『ブエナビスタ・ソシアルクラブ』(1999年製作)をDVDでようやく見た。
音だけは以前から聴いていたが、映像で見てみると歌はもちろんだが、老いたミュージシャンたちの語りとか表情とかが実にいいのだった。
彼らはたまたま死の間際(といってもいい時期)に「発見」されたが、すばらしい才能を持っているのに発見されずに死んでいく恵まれないミュージシャンはほかにもいるはずで、キューバの老いたミュージシャンを見つめながら「すばらしい才能を持っているのに発見されずに死んでいく恵まれないひとびと」という普遍的な人間像についてかんがえている自分に気づく。
たくさんのすばらしい歌い手が登場するなかで、イブライム・フェレール(Ibrahim Ferrer)とオマーラ・ポルトゥオンド(Omara Portuondo)がよかった。映画の頃の年齢は72歳と69歳あたり。ふたりとも(そして他の登場人物も皆)楽ではない人生を歩んできて、それが彼らの立ち居振る舞いと表情とに豊かな情感とともにあらわれている。彼らを見て聴き入りながら、彼らの人生そのものに入り込んでいく、あるいは引きこまれていく。
老人が歌うラブソングの切なさもわたしにとっては発見だった。老人もひとを好きになるが、社会は恋愛にふさわしい年齢区分を決めているからこのルールを外れるにはちょっとした勇気(あるいは世俗的な権力)が要る。しかし歌なら別だ。詩歌、小説、演劇、絵画、諸々の芸能と芸術の世界でも恋愛は想像力の中で生きつづける。
ライ・クーダーは掛け値なしにいい仕事をしたと思うけれども、これも西欧による非西欧世界の発見の一例なのだなと思っている自分もいる。そういう側面がこの「発見」にはあるのだ。彼らは発見し、価値を認め、メディアを通じて広めたが、西欧はここ何百年も、初期には植民地主義と手に手を携えて、こういう作業をつづけてきた。こういう文脈に『ブエナビスタ・ソシアルクラブ』を置き直してみるとかすかな憂鬱がある。
by hatano_naoki | 2011-08-06 23:58 | 歌が私を・・・
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