沖縄県警察本部のホームページには、沖縄県内の暴力団について以下のような記述がある。
「沖縄県の暴力団は、第二次世界大戦後の混乱期から復興の兆しが現れた昭和27年頃、不良者等が集団化したのが始まりで、伝統やしきたり、掟というのはなく、 腕力の強い者がリーダーとなり、そのうち那覇市を活動拠点とする那覇派(約70名)とコザ市(現沖縄市)を活動拠点とするコザ派(約70名)の不良グループが組織化されたものが沖縄県の組織暴力団の起こりとなっている。 昭和47年5月15日、沖縄の本土復帰が決定したことを契機として、数次に渡る対立抗争を繰り返しながら生き残ってきた「那覇派」と「山原派」は、本土暴力団の沖縄進出阻止を図るため、大同団結し昭和45年12月8日「沖縄連合旭琉会」を結成した。しかし、その後も組織内の争いは絶えず、組織の統廃合を繰り返していった。 昭和58年5月10日「三代目旭琉会」を結成し、構成員1,000名余を擁する県内最大の組織暴力団となるが、内部の主導権争いから理事長派が分裂し、平成2年10月11日「沖縄旭琉会」を結成し、現在に至っている。」 なお県警によると県内の暴力団(構成員)は約900人。 県警の記述の中で興味を惹くのは、まず「伝統やしきたり、掟というのはなく、 腕力の強い者がリーダーとなり・・・」という部分。 次に「沖縄の本土復帰が決定したことを契機として、数次に渡る対立抗争を繰り返しながら生き残ってきた「那覇派」と「山原派」は、本土暴力団の沖縄進出阻止を図るため、大同団結し昭和45年12月8日「沖縄連合旭琉会」を結成した。」という部分である。 なお県内の指定暴力団構成員の比率は人口1万人あたり、九州平均3.3人、全国平均3.5人をはるかに上回る5.1人。 月間「記録」編集長というブログによると、 「沖縄の2団体は戦後のアメリカ占領下という特殊な環境によって誕生したとされ戦前には本土でいうような意味での暴力団はいなかったとされる」という。 この記事はとても面白いのでもう少し紹介すると、日本の指定暴力団に関して、 ・博徒系が圧倒的に多い ・空白地帯がある(北海道と東北、甲信越、北陸にいない) ・山口組は独特である(もとは港湾荷役の労働者のまとめ役として登場し、共済組織の色彩が強かった) ・中国地方と福岡が異様に多い といった指摘をしている。 [指定暴力団の定義] 暴力団のうち暴力団対策法に基づき、各都道府県公安委員会が国家公安委員会の確認を受け、指定暴力団として指定した暴力団で、同法に基づき、現在、全国で山口組や稲川会等24団体が指定されている。 (図:県内指定暴力団組事務所所在地<平成15年末現在>)
by hatano_naoki
| 2006-01-30 19:40
| 沖縄勉強ノート
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