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沖縄勉強ノート(50)独立国家・沖縄
照屋林助は"コザ独立国大統領"を自称したが、これは一漫談家の冗談を越える意味をふくんでいるのかもしれない。
沖縄人の意識には近世の歴史が沖縄に刻み込んだ日本の支配に対する抵抗感、日本からの被差別感とそれに起因する過剰適応意識、それにある種の情緒的独立志向があるように思う。
また中国への親近感も歴史的に日本一般よりは強かったようだが、今現在の沖縄人の対中国意識についてはデータがないのでなんともいえない。

1997年2月14日、沖縄県選出の上原康助議員(社民党、元全軍労委員長)は衆院予算委員会で「沖縄独立」に言及した。
上原氏は「沖縄独立に必要な法的措置は何か」と質問し、これに対して内閣法制局長官は「憲法は規定を設けておらず、適法にそうした(独立)行為はできない」との見解を示した。
上原氏は基地削減が進んでいない現状を指摘し、「独立の機運が盛り上がるかどうかは、橋本竜太郎首相(当時)の答弁次第」「琉球王国をつくろうと思っている。あまり沖縄をいじめてはいけない」と述べたという。
上原氏の発言は実際に独立するという意味ではなかったのは明白だが、沖縄人の心情を代弁しようとするとき、独立ということばが発せられたことは興味深い。
「沖縄独立を」25%、4割「沖縄人」と認識(琉球新報2005年12月20日)
この調査は琉球大学法学部が2005年11月に行い、1029人から回答をえた。それによると、アイデンティティに関しては4割が「沖縄人」21%が「日本人」、「沖縄人で日本人」が36%だった。また「沖縄は独立すべき」と25%が回答したという。
今現在沖縄独立が現実的に論議されているとは思わないが、独立の幻想が心情的なものであるにせよ生きていること自体が象徴的に沖縄の位置を物語る。
まだ私が大学に行っていた1970年前後、沖縄は独立するべきだと思っていた。しかしそれはたとえばスペイン市民戦争を戦った政府側民兵や国際義勇軍に対する共感に似て、まったく非現実的で甘美な歴史的幻想に過ぎなかった。
絶対に確かなことなどない国際政治の未来において、沖縄が独立国家となったり中国に領有されたりすることはありえないと断言することはできない。沖縄の運命はいまだ安定していないという認識だ。
一方で沖縄が日本という国家の枠内にいながら本質的な意味において高度に自立的な地域として生きつづけることはまったくの夢とはいえない。沖縄は日本に対してなにかを黙示あるいは明示しつつ、日本の文化に対する批評的存在あるいは刺激的要因としての役割を果たしうる。意識、文化、アイデンティティにおける精神的独立。これもまた幻想だろうか。

参考書籍:
「『沖縄独立』の系譜―琉球国を夢見た6人」(比嘉康文著、琉球新報社刊。ISBN:4897420598)
「琉球共和国―汝、花を武器とせよ!」 (竹中労著、筑摩書房刊。ISBN:4-480-03712-8)
by hatano_naoki | 2006-03-07 15:28 | 沖縄勉強ノート
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