先日書いたチェルノブイリ原発に関する記事に関連して、一通のメールを受け取った。了解をいただいたので以下に全文を掲載する。
初めまして、このたびhatano_naokiさんのチェルノブイリの記事を拝見させていただきメールさせていただきました***と申します(偶然にも同じお名前なので驚きました)。 私は今年で20歳になるごく普通の学生です。 あるときふと思い立って、私が生まれた年にはどんなこと起こっていたのか調べていると、チェルノブイリ原発事故に目が向きました。 もともと天災ではなく、人災と言いますか、人間が作り出したものによる事故などには非常に興味があり、軽く調べてみることにしたのです。 化学的な専門知識は皆無なので、爆発原因などを読んでもいまいち理解できないのですが、事故現場の写真やエレナさんのサイトを見ると、hatanoさんと同じく「ここは一度見ておかなければいけない」という強い衝動に駆られました。 私も正に、hatanoさんがBlogに書かれていた「ここもまた根源的で黙示的な世界の場所のひとつであるからだ。」という理由から、見に行きたいと強く感じます。 チェルノブイリ原発や、被害地から放たれる猛烈なオーラのような「何か」を画面からでも十二分に感じます。 第2石棺の建設が2010年完成予定となっている今、新石棺完成前に見ずしていつ見るのか?(あの現石棺の生々しい人為的恐怖感を心に刻んでおきたいのです)と自分に言い聞かせています。 ウクライナのツアーなどを軽く調べてみましたが、もちろん見学ツアーなどあるはずもなく、どうしたものかと考えています。 ただ、やはり自分の心の中に「見に行きたいけれど、現状では個人レベルで見に行ける場所ではない」という気持ちがあり、その気持ちが私の考えを楽天的にさせているような気がします。 つまり、見に行きたいと言っておきながら、もしも仮に見に行けるということになったら、現実的な恐怖感などで見に行きたいという気持ちが果たして持続できるかということです。 ある意味見に行けないと分かっているからこそ、見に行きたい見に行きたいと叫べるのであって、現実問題となるとどうなのか?というわけなのです。 まぁそうは言っても、今現在は見に行きたいことには変わりはありません。 今回は偶然にも全く同じような動機で見に行きたいという文面を見つけたのでメールさせていただきました。 チェルノブイリに行ってみたいということを友人に話したところ、「そんなこと思っている人はいるのか?」と言われたので、なおさらメールせずにはいられませんでした。 このメールをhatanoさんにお出ししたことで何がどうと言うわけではないのですが、同じ気持ちを持った人間がここにいるということを心の片隅にでも置いていただければ幸いです。 まとまりのない文章ですが、長々と失礼致しました。 それでは。 メールを読んだ私は一瞬、いくつかの思いにとらわれる。 20才の青年がチェルノブイリ原発を目指すとき、旅はその目的地の存在のありかたに呼応するように"根源的で黙示的"なものになるだろう。 しかし旅は往々にして期待を裏切る。チェルノブイリにしても観光客気分で石棺の前に立つ人々がいることを私は知っている。 それでも行くべきなのか、それとも内なるイメージの純度を高め、反芻して、仮想のチェルノブイリとの対話を続けるべきなのか。もちろん答はひとつではなく、あるいは、ない。 私自身は、少なくとも、そこに行くことを考え続けるだろう。 追記。 この記事とは直接関係ないが、以下のサイトには原発とチェルノブイリに関する重要な情報がある。 チェルノブイリ(京都大学原子炉実験所原子力安全研究グループ)
by hatano_naoki
| 2006-04-29 12:29
| 行くべき場所
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