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「富」の偏在
国連の研究機関の調査によると、「日本が世界で最も豊かな国となる結果が出た」そうだ。それによると世界中の家計の富を合計すると125兆ドル。日本は1人あたりの富が18万1000ドル(約2000万円)でトップ。米国は14万4000ドルだそうだ。 ただし物価水準を考慮した購買力平価で計算すると、日本はスイスや米国、英国などを下回るという。
記事
ここでいう富とは、「不動産や預貯金、株式などの個人の資産から借金などの負債を差し引いたもの」を指すという。
ところでこれよりも興味深い、というか憂鬱な結果は次のようなものだ。
・世界の成人人口の1%が世界中の家計の「富」の約4割を所有し、世界の約半数を占める貧しい人々は「富」の1%しか所有していない。世界を10人の集団にたとえると、1人が99%の富を独占し、残りの1%を9人が分けている状態。
・コンゴ(旧ザイール)が1人あたり180ドル、エチオピアは193ドルで、北米やヨーロッパ、日本などと比較すると1000倍規模の激しい格差が生まれている。
・世界で最も資産の多い1%は、37%が米国に、27%が日本に住んでいる。

すさまじい富の不均衡。
またしても「生活実感とは遠い」というコメントが聞かれそうだが、私たちがどう感じようとも最貧国から見れば黄金の国であることは否定しようがない。
こうした不均衡は今後さらに拡大し、そのことがさらなる憎悪を生む傾向にあるにちがいない。憎悪はもちろん豊かな者に向けられる。貧困の生む憎悪が暴発するとき、世界は一種の地獄になるような気がする。
こうした数字を突きつけられて怯まないひとはただ単に鈍感であるか、あるいは他者に対する想像力の枯渇したひとである。わたしはそこまで鈍感ではないが、ただうろたえるだけでどうしていいか分からない。
イデオロギーも善意も吹き飛んでしまうほどの「貧困」という名の破壊力を前にして、結局ひとはできることをやるしかないのだが、それにしてもあまりに無力だ。ここにおいても無知の災いは大きい。まず私たちは状況を客観的に知らなければならないだろう。おおぜいの人々が知ったうえで何も起きなければ、それは人間という存在がもともと愚かなのだ。知ることは遠回りの道筋だが、知る、あるいは知らしめることがはじまりだと、カンボジア史をつかの間旅した私は思うのだが。
by hatano_naoki | 2006-12-06 13:44 | 日日
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