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竹内実著『毛沢東』を読む
竹内実著『毛沢東』(岩波新書)、なかなかおもしろい。学者の文章はよみずらいものが少なくないが、この本は大変に読みやすいだけでなく描写(記述)にリアリティを感じる。私にとってはポル・ポト時代についてのてがかりをつかもうとする読書の一環だ。
中国の現代史、そして毛沢東の功罪についてのさまざまな考察は私には難物だが、この本は入門書としてわかりやすい。
結局読後感として残るのは「中華世界」というキーワードだ。そこにひとつの世界があり、その掌(たなごころ)の上で国家の盛衰がまるで孫悟空のように見える。これは壮大なビジョンであり、私たちの国家に欠けている概念だ。毛沢東もそこでうごめく皇帝のひとりだった、と。
日本もカンボジアも琉球も、こうした中華世界の縁辺に生まれた小国と見ることができる。古代の日本は中華世界から多くの恩恵を受けたが、それは同時に縁辺国家の運命のようなものでもあった。影響を受けざるをえなかった。歴史を通じて日本は幸運にも中国の侵略を(ほとんど)受けることがなく、恩恵が勝っていたと思えるが、カンボジアは現代に至って中国から大きな負の影響を受け、その結実は巨大な悲劇となった。しかし第二次世界大戦後の中国国内で起きたできごとの連なりを考えてみると、それすら霞んでしまうほどの虚脱感を覚える。いったいどれほどの人が死んだのか。中国を統治するという行為の中に、それだけの死が必要条件として見込まれているように思えてくる。そして巨大な統一国家となった現代中国は歴史の法則にしたがうなら、いずれ分裂の方向に向かうのだろう。
おもしろいエピソードが書かれている。毛沢東は血をみることを極端に恐れていたという。ここで私はポル・ポトのことを思い出す。やわらかい掌のポル・ポトもまた、同じような人格の持ち主だったのではないか、そしてまたポル・ポトの過激さは縁辺という地理的特性が生む原理主義の発露ではないか、と。

※別の話だが、私がアンコール期の寺院建築や都市デザインから受ける印象もまた、"縁辺における原理主義"である。クメール民族はインドの建築や都市が実現しなかったほどの純度で、過激にヒンドゥー的建築理念あるいは都市理念を追求したように思える。
by hatano_naoki | 2007-04-24 19:13 | カンボジア
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