沖縄勉強ノート(123)目取真俊『帰郷』
d0059961_0264795.jpg作家・目取真俊(めどるましゅん)は1960年、本部半島の今帰仁村生まれ、琉球大学卒。『水滴』で第百十七回芥川賞を受賞している。
この作家には強面(こわもて)の先入観があった。いくつかの評論を読むと、実に鋭いことばで状況を斬って捨てている。いささか辟易するものがあったのも事実だ。
しかしこの人物と作品には関心があった。
なぜこの『帰郷』を最初に読んだかといえば、近所の図書館にはこの作家の本は短編集『群蝶の木』ともう一冊しかなく、その二冊をうち偶然先に開いた『群蝶の木』の冒頭にこの作品があったにすぎない。私は芥川賞受賞作『水滴』や川端康成文学賞と木山捷平文学賞を受賞した『魂込め』を先に読むべきだったのかもしれない。しかし私は偶然の腕の中で『帰郷』を読み始めた。
結果からいえば、読み終えた私は短編集である『群蝶の木』の中のほかの作品を読む気になれず、本を閉じて残像と余韻を味わおうとした。私にとって『帰郷』はすばらしくよかった。その余韻は私が書くものが持つべき空気を示唆しているような気がしたし、私が沖縄への旅について書くとき、これまでの私の作品よりも濃厚に文学を指向すべきだと言っているようでもあった。
Amazonを見ると、『帰郷』については「BOOK」データベース、「MARC」データベースともに「公園の隅に置かれた男の死体をめぐる話」と紹介されている。本書についての説明は「新感覚とふかい身体的描写による4つの物語を収める短篇集」となっている。
『帰郷』を紹介する「公園の隅に置かれた男の死体をめぐる話」という短い語句は、ある文学作品を外形的に短く紹介する制約を考慮すればこう書くしかないという気はするけれども、いかにも無残だ。公園の見えない死者は強い印象を与えはするが、それは話の中心ではない。ただし最初は気味が悪かった死者がしだいに親しみを感じられる存在になっていく主人公の内面の変化が読者である私自身の内部でも起こり、死者との距離が極限的に縮まっていくのを感じながら、伊波普猷の本にあった明治期の津堅島でのある種の風葬の描写を鮮やかに思い起こすのだった。
青年にとって那覇は都会であり、どちらかといえば都会特有の冷たさをもっているが、それほど鋭利でも冷酷でもない。輪郭の曖昧な、いくらかやさしい冷たさ。それは沖縄の内部と外部に広がるマトリョーシカ人形のような"入れ子構造の疎外"を暗示しているようでもある。
私個人は個別的に考えてゆくと失われてしまうに違いない、作品を包む空気そのものが好きだと感じた。背景となる沖縄の生活のリアリティ、沖縄人のリアリティが濃密に描かれているのも、個人的にはうれしかった。

6月7日の追記。
「群蝶の木」に収録されている『帰郷』以外の3作、『剥離』『署名』『群蝶の木』を読んだ。
いずれもあまり後味のいい作品ではなく、その後味の悪さがどのような創作意図、どのような心象に基づいて作り上げられたのか解くことはできないが、とりあえずこれらの作品は好きではないと思った。

6月8日の追記。
短編集『魂込め(まぶいぐみ)』を読みはじめた。
まず『魂込め』。これは好きだ。
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by hatano_naoki | 2007-06-05 19:14 | 沖縄勉強ノート
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