パソコン通信にはじまってインターネットの時代になってからも自分の器に合わせた「発信」をしてきたと思う。
発信する者がえらいとかそういうことを言いたいのではない。気がつくと周囲に誰もいなくなっていた、仲間の姿が見えない。そういう気がすることがある。 時間がたてばひとは変わり、その境遇だけでなく意識も変容するのは当然のことだ。また昔のネット上の友人たちのブログを発見することができないからといって彼らがネット上における攻撃的なポーズを捨てたときめつけるのも早合点だろう。 しかし、それでも、孤立しているという意識が消えない。自分がネット上に曲がりなりにも存在しつづけることを通じて新しいひとびとと知り合うことができたし、今も新しい人間関係が生まれていてそのことは幸運だと思っているが、基調になっているのがはぐれた感じだということを否定できない。 発信とはなにかと考えてみればそれはたいしたことではなく、ブログを地味に書き続けたりウェブサイトのコンテンツを増やしたりといったことで、そのことが誰にどのような力を及ぼし、なにが生まれているかもわかりはしないが、それでも自分が自分の内部に生じたアイデアや感慨や思考の断片を世の中に展示し、その前をわずかなひとびとが通過していくことは感じられるし、それがわたしにとっての他者というものの心象の一部をなしている。ほとんどの場合、それが誰かはわからないが、すくなくとも他者の手触りがある。 こうした「発信」は今では誰でも出来る手軽なことで、あえて「発信」というほどのことでもないのだろうが、わたしとしてはそこになんらかの前向きの価値を見出したいし、「発信」の内容にある種の矜持(きょうじ)を持ちたいとずっと願っている。それにはどうすればいいのか、教科書もマニュアルもなく、ひとりで考え続けるしかないのだが。
by hatano_naoki
| 2008-06-21 18:32
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