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カンボジアSNS(2)
SNSの設定をいろいろいじってほぼできあがってきた。サイトのデザインには基本的にそれほどの自由度はないし広告も入るから結果はそれなりだが、それでもSNSの基本形はできている。
ミクシィとかの大型SNS内でカンボジアをテーマとする複数のコミュニティを作ったとしても「カンボジア」としてのくくり(のイメージ)はほとんど作れないが、自前のSNSならカンボジアというキーワードでくくられた閉じた世界を形成できる。それはつまりテーマがより濃くなり、コミュニケーションがより濃密になる可能性があるということだ。場はあるていど閉じていなければならないし、そうでなければ場とは呼べない。
WWW一般はもちろん、現存するSNSも基本的に「情報発散型」であってその内部に存在する情報の編集は放棄されている。ちいさくてかつ発散型の貧弱な場(のようなもの)が無数にあってそれぞれが孤立しており、内部に蓄積されたメッセージの寿命は(データそのものは長期にわたって残るにしても)事実上数日という程度であり、それらが再利用される可能性は極小だ。せいぜい数日というスパンでメッセージが参照され、コミュニケーションは一過性で深まらない。そもそもコミュニケーションと呼べるのかさえ疑問なレベルだが、そのことに誰も不満がなくそのまま流れていっている(ように見える)のがミクシィ型SNSにおけるコミュニケーションの現実であり、現代のコミュニケーションのひとつのスタイルということになるのだろう。希薄、希薄。
モデリングの問題もある。コミュニケーションにかぎらないが、場の形成にはモデリングが不可欠だ。先導車が場を抑制しつつレースのはじまりをデザインし、それから離脱してゆくとレースがはじまる。場の雰囲気や傾向は場が生まれて比較的はやい時期に決まる。モデルが必要なのだ。
インターネットの掲示板やSNSでは場を抑制する機能は弱く、あるいは存在せず、そこにくるひとびとの場への帰属意識はほぼ存在しない。悪意がはびこりやすく、それを抑える規範もモデルもない。そこでちょっと違うモデルを試みてみたいのだ。ただし道具はSNSで環境はWWWだから、その中でどこまでできるかということになる。
もうすこし考えてみよう。
by hatano_naoki | 2008-09-20 10:07 | カンボジア
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