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ネットブックと個人的PC遍歴に関するメモ
ネットブックというPCの新しいカテゴリについて知ったのは2007年の暮れあたり、ASUSTekのEeePCについてのニュースによってだったと思う。そのときどういう印象を持はったかは忘れてしまったけれども、一種のキワモノだと感じていた気がしないでもない。だいたいEeePCというネーミングがいかがわしいではないか。
ところがこのカテゴリの製品が次々と登場し、着々と市場シェアを拡大していくのを見ているうちにこれはたいへんなことが起きかけているのだとようやく気がついた。
店頭に並んだネットブックをあれこれ眺めたり触ったりした末に娘の卒論作成のためにEeePC901-Xを買った。画面は8.9インチしかなく、しかもXGAに満たないULCPC規格だったがちょっとした文章を書く程度ならば十分だろうと思った。
しかし問題はCドライブの少なさにあって、わずか4GBのSSDに設定されたCドライブはほぼWindowsOSに占められており、WindowsUpdateをかければ空きはすぐになくなってしまう。これでは使いものにならない。
ところがPCの世界には知恵者がいて、4GBのSSDでWindowsを快適に使うノウハウが編み出されているのだった。そういう情報はインターネット上で探せばすぐに見つかる。具体的には普通に使うならば要らないようなサービスを止め、ファイルを削除する。サービスを止めればCPUの負荷は下がり、不要なファイルを削除すればストレージに空きができる。こうして先人の知恵のおかげでEeePC901-Xは稼働しはじめた。
それからしばらくして格安のEeePC4G-Xを手に入れた。このマシンは実は一番気になっていたネットブックだった。コストを下げるためにカーナビ用の7インチ液晶パネルを使った結果、SVGAにも満たない800×480というケイタイ並みの狭くて小さな画面を持つチープなプラスティック筐体のPCだが、店頭で何度も触ってみて魅力を感じていたのも事実だ。
実際の購入動機は発売時の4分の1という信じられない安さだった。発売時点の価格はいくら安いとはいっても5万円近かった。20万円もする日本製ノートPCに比べれば破壊的価格だったにせよ、性能面でもそれなりであり、使いにくそうだった。しかし値段が安ければ話は別だ。
それからはネットで探し出したさまざまなノウハウをつぎ込んでチューンアップした。基本的には901-Xで経験したことばかりだから手順は理解しており、むずかしくはなかった。小さく軽くチープなPCにはそれまでに感じたことのない愉悦のようなものがあり、それが自分でも不思議だった。古のAppleII以来何台のPCを買ったか忘れてしまうほどだが、それらの中でも特異な魅力があった。メモリもハードディスクも信じられないほど安くなり、望めばいくらでも手に入る時代にあって、狭い液晶画面と小さなストレージしか持たないことが逆に魅力に映るのだ。
この小さなPCには驚くべき学習効果があった。これまでWindows環境がずっと嫌いだった。Windows3.1以来、Windowsを快適で楽しいと思ったことはない。必要だからいやいや使っていたに過ぎない。理由はいくつもあるが、大きくて鈍重だという印象は昔からあった。どんどん大きく重くなり、高速のCPUと大きなストレージを際限もなく要求してくるがその割に便利にも楽しくもならない。ところが制約の多いネットブックではWindowsそのものを小さく軽くすることが必須の条件で、それを実行してみるとWindows(XP)も捨てたものじゃないなと思えてくる。思いのほか軽くなり、簡素になり、これで十分だと思えてくる。
SSDストレージはときどき回るファンの音以外は無音であり、思考を妨げない。小さなSSDには少しのデータしか置いておけないが、では私にとっていつも持ってあるくほど大切なデータってあるのだろうか?結論はNOだ。個人的にもっとも大事なデータはたぶんこれまで書いてきた文章のデータだが、それらは全部合わせてもせいぜい数メガというところだろう。カンボジアで撮ってきた遺跡の写真も大事といえば大事だが、せいぜい十数GBかそれくらいであり、USBメモリに楽に入る。それ以外のデータはすべて捨ててしまってかまわない。
こういう考え方はたぶん私の年齢とPCやネットとの長い付き合いというふたつの要因からきている。自分がいつ死ぬかはわからないけれどもそれほど長く生きられるわけでもない。多くの人間と同じく、モノがだんだん要らなくなってきている。もう四半世紀のあいだPCと付き合ってきて、永遠だが一方で失われやすいというデジタルデータの性質をよく(経験的に)理解しているつもりだ。死ぬときにデータを持っていくことはできない。残しておいて私が死んだあとも誰かの役に立つデータ以外はなにもいらないと考えるようになった。こういう思考、感覚はネットブックにうまく適合したようだ。
ネットブックはあらゆる意味でチープだが、一般的なユーザーがPCに期待する機能性能を実現している。必要十分なのだ。それを最小の資源で実現し、コストの極小化=価格の極小化を実現している。今の時代にあって大変に正しい考え方だ。使いもしない機能性能を高価格で提供する考え方はここにきて破綻しかけている。もちろんそういう機械を必要とするユーザーもいるだろうが、大多数はPCでインターネットしてメールを読み書きし、YouTubeを見てiTunesでiPodとリンクするくらいしかしていない。たいしたことをするわけではないのに高くて高性能の機械しかなかった時代が終わりを告げた。

私にとって最初のPCはAppleIIだった。Applleの製品コンセプトが好きで実際にかなり長いあいだMacユーザーだったが、実際に深く関わったのは専用ワープロという製品カテゴリーだった。このカテゴリーの製品は今は滅びてしまったけれどもある時期には店頭を埋めるほどの製品があったものだ。その中でも主に企業で使われていた大型の専用ワードプロセッサを私は愛用していた。A4タテが表示できるポートレートディスプレイ付きのOASYS300Aという富士通製のビジネス機で、定価は300万円ほどもした。私はそれの中古を買ったのだが、それでも80万円くらいはした。そういえばAppleIIは本体だけで40万円近くした。昔はPCはとても高価な買い物だったのだ。
ほぼ完璧な日本語文の作成能力と広大な画面を持つこのワープロ専用機で私はパソコン通信をやり、最初の本を書き、MS-DOSやCP-Mを走らせた。
その後ワープロ専用機は凋落し、パソコンの時代になった。Macと専用ワープロを併用していた私は結局のところ仕事に使わざるをえないという理由でWindowsを使い始めた。私にとって長い不幸の時代が始まったのだ。

ただの安いPCだとしか思っていなかったネットブックが実は知的で豊かなPCだったことを理解していくにつれてPCとの付き合い方は決定的に変化しそうな雰囲気だ。そうした変化と前後して私の中でもうひとつの変化がはじまった。Windowsとの訣別である。
Linuxの派生ディストリビューションはたくさんあるが、その中でも数年前から気になっていたのはubuntuである。しかし自分にLinuxを使いこなす能力はないと思っていた。ところがネットブックと付き合うようになるとLinuxの世界もまた近づいてきたようなのだ。Linuxとネットブックになんらかの関連があるかどうかはわからないけれども、すくなくとも私の中ではある相乗があった。ネットブックが省資源と低コストを指向するとき、無償で軽いOSであるLinux系のOSが採用されるのは必然といえるかもしれないが、問題は完成度でありシロウトにも使えるかどうかだ。ubuntuはなかなかの完成度であり、Linuxをよく知らないユーザーにもとっつきやすそうだったので試してみた。
結果はまったくのオッケーだった。それどころか、Windowsマシンを1台は持っている必要があるにしても、日常的な利用ではubuntuでいくことを決断させるほどのインパクトがあったのだ。
まずEeePC4G-Xでubuntu8.04のライブCDを試した。次にubuntu9.04のnetbook remixをインストールした。これですっかりはまってしまった。それから調子に乗ってeeePC901-Xにeeeubuntu9.04(個人がカスタマイズしたいわばeeepc remix版)をインストールしてWindowsXPとのデュアルブート環境を作った。
ubuntuは結局のところLinuxとしてはとても軽いというわけではないようだが、それでも軽いのは間違いなく、思想がWindowsとは違い(Windowsに思想があるかどうかは別として)、その違いが刺激的だ。新しい社会、新しい思想との遭遇のおもしろさが確かにある。ubuntuというプロジェクトに思想的バックボーンと持続的な活力があることが伝わってくるし、その活力はユーザーをも勇気づける。
ソフトウェアの裾野はおそらくWindowsのほうが広いが、普通のユーザーが使うソフトは限られているわけで、その意味では無償で良質なソフトウェアが最初からインストールして提供されるubuntuのソフトウェア環境はむしろ十分すぎるという印象だ。
そんなわけで、個人的にはWindowsに対する関心が極端に低くなっている。
ubuntuを使い始めたのも結局はネットブックがあったからで、細かい話になるがUSBメモリからのインストールが簡単にできるという環境面も大きい。ubuntuOSを入れたUSBメモリを差し替えて次々と別の環境を起動するなどということが簡単にできる。PCにはもともとたいしたデータは入れていないし、それもUSBメモリなどにバックアップしてあるから、OSがこわれても再インストールすればいいという気楽さだ。
by hatano_naoki | 2009-05-10 19:33 | ネットとデジモノ
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